05/08: 琉舞ん雑筆①
1990年10月ー桐書房『ナースアイ』第24号□白石弥生「住民の健康を担う使命感ー新城あけみさん」
1998年11月17日『沖縄タイムス』「琉舞の月刊誌 来月お目見え 豊里ひとみさん計画」
1997年10月12日ー柳清本流・柳の会「雅びの会ー八重山民謡・沖縄民謡の集いー大城豊子、大城奈津子、新城あけみ他」
1981年11月22日ー関西沖縄芸能協会「第一回芸術祭ー舞台監督・宮城正雄、助監督・玉城利則、ナレーター・与那嶺伸枝/小浜節(藤間松豊琉舞研究所)藤間松豊、山本勝子、上間照美、新城あけみ、他9名」
1991年6月12日ーパレット市民劇場杮落とし記念公演「舞踊の祭典ー月夜浜(柳清会比嘉清子琉舞研究所)比嘉倫子、大城鶴子、新城恵子、長嶺江美、与那嶺順子、金城恵美子、金城博恵、新城あけみ」
2006年11月18日ー大阪沖縄県人会連合会創立60周年記念「大芸能祭ー夏姿(柳清本流柳豊会・大城豊子・大城奈津子琉舞研究所)新城あけみ他」
真境名本流/島袋本流
宮城流
2021-5-5 こうたろう
柳清会家元 比嘉清子
〇1915年、那覇市東町に生まれる。1933年、辻端道の屋我良勝に女踊りや組踊を習う。21歳、甲辰小学校で何かの祝いで「柳」を踊る。25歳、比嘉仁勇と結婚。1942年屋我師匠が中風で亡くなると、その師匠嵩原安詩に学ぶ、安詩は女形で、男踊りは謝花寛温(玉城盛重弟子、謝花雲石弟)に習う1944年、10・10空襲の後大分に疎開。
1947年、大分から引き揚げ、テント屋暮らし。母は助産婦開業、その手伝い(清子は助産婦免状は戦前に取っていた)もした。1950年、「柳」の踊りを保持したことで「柳清会」琉舞研究所開所。1964年、琉球政府主催沖縄物産展で、岡山県、徳島県で琉球舞踊の講演。1967年12月12日、琉球新報ホールで初めて「芋引」の踊りを発表。
1940年1月 風月楼で生田乃木次那覇飛行場長就任歓迎会ー前列左から3人目が渕上房太郎県知事、その右は石山賢吉ダイヤモンド社長、その右が生田氏、後ろで川田松雄が長女礼子ちゃんを抱っこ。後列右端が宮城嗣吉(このころ、生田の部下)、後列右から4人目が比嘉清子
2008年7月『柳清本流柳清会 比嘉倫子二代目家元襲名披露公演』/1987年4月『柳清会家元 比嘉清子芸歴五十五周年記念公演』