1月3日『琉球新報』眞境名笑古「陳侃の観たる沖縄」
1月5日『琉球新報』俳諧小僧(末吉安恭)「兎の俳句ー卯歳の新年に因みて古今の兎の句を紹介してみます。兎と云ふ動物は家畜としても面白い」ものだがまだ野生を脱しない奴で其の特色は寧ろ野生の馴致し難い所にある。・・・・・」
1月7日『琉球新報』「尚昌氏、英国留学中昨日加茂丸で神戸着帰朝」/「来県中の中央気象台長理学博士の中村静男氏を池畑旅館に訪ねる」


『琉球新報』1915年1月11日

2月7日『琉球新報』伊波普猷「沖縄人と神道」
2月9日『琉球新報』「尚昌、尚順、神山政良 広運丸で帰郷」
2月10日『琉球新報』神山政良「滞英雑感」
2月16日『琉球新報』「蘇鉄の實と売薬商」
2月27日『琉球新報』麦門冬「琉球饑饉史」(2)/「円覚寺の建築に就きて」
3月13日『琉球新報』「拳法大家 糸洲安恒翁逝く」
3月5日『琉球新報』「神山政良氏の結婚」
3月15日『琉球新報』「糸洲武勇伝ー昭霊流の名人」(1)

3月15日『琉球新報』「糸洲武勇伝ー昭霊流の名人」(1)
3月16日『琉球新報』「糸洲武勇伝ー昭霊流の名人」(2)
3月17日『琉球新報』「糸洲武勇伝ー昭霊流の名人」(3)
3月18日『琉球新報』「糸洲武勇伝ー昭霊流の名人」(4)
4月20日『琉球新報』鉄拳禅「武道伝来記(1)ー鯖に呑れた豊見親」
4月21日『琉球新報』鉄拳禅「武道伝来記(2)ー文格碗保宇盃」
4月22日『琉球新報』「武道伝来記(3)ー巨人与那覇親雲上」
4月23日『琉球新報』鉄拳禅「武道伝来記(4)ー目黒盛英雄物語」
4月24日『琉球新報』「武道伝来記(5)ー祖納堂の与那国征伐」
4月25日『琉球新報』「武道伝来記(6)ー内間大親賊を救ふ」
4月26日『琉球新報』「武道伝来記(7)ー攀安知と本部大原」
4月28日『琉球新報』「武道伝来記(8)ー御茶多理眞五郎」
4月30日『琉球新報』「武道伝来記(9)ー凶暴残忍なる熱田の子」
5月3日『琉球新報』「武道伝来記(10)ー安田恨の古葉の葉」
5月4日『琉球新報』「武道伝来記(11)ー鄭大夫と牛魔王」
5月5日『琉球新報』「武道伝来記(12)ー鄭夫人 大石 賊を圧す」
5月6日『琉球新報』「武道伝来記(13)樽良智と大里鬼」
5月10日『琉球新報』「武道伝来記(14)大島征伐と根差部親方」
5月11日『琉球新報』「財団法人久米崇聖会にては孔子廟及び明倫堂敷地全部を無償にて譲り受けんと那覇区に請願」
5月12日  『琉球新報』「孔子廟敷地譲與条件」「𤘩宮城宗倫母病気加療中死去ー親戚・上運天宗丑、我那覇宗達、小橋川昭顕、友人・久高喜顕、又吉昌徳、城間恒淳、饒平名紀腆」
5月14日『琉球新報』「武道伝来記(15)奥間里之子と宇波慶」
5月15日『琉球新報』「武道伝来記(16)京阿波根と地金丸」
5月16日『琉球新報』「武道伝来記(17)八重山征伐 赤蜂の乱」
5月18日『琉球新報』「武道伝来記(18)儀保大腔と糸満巨人」
5月19日『琉球新報』「武道伝来記(19)右京筑之親雲上」
5月20日『琉球新報』「武道伝来記(20)飛鳥曾禮と射を争ふ」
5月22日『琉球新報』「武道伝来記(21)嘉沙須茶羅按司」
5月24日『琉球新報』「武道伝来記(22)久米中城按司と堂の比屋」
5月25日『琉球新報』「武道伝来記(24)三十四嶽の由来」
5月26日『琉球新報』「武道伝来記(25)八重山征伐と君南風」
5月28日『琉球新報』「武道伝来記(26)三人姉妹物語」

6月22日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(1)
6月23日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(2)
6月24「日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(3)
6月29日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(4)
6月30日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(5)

7月1日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(6)/「芋お料理」「広告ー貸本・古本 天地堂、知念菓子店」「ライオン歯磨」「活動写真帝国館ー世界一週」「球陽座ー歌劇・黒島昔譚」

7月2日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(7)7月2日/「本県人の読書力」

7月3「日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(8)7月3日/「広告ー氷冷ソーメン 森屋本店、不勉強屋」「広告ービスケット おふくや、やぶれ屋」

7月4日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(9)/「薩南大洪水ー鹿児島市の羅災者2000人」「広告ー博文館『講談雑誌』出来」

7月5日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(10)
7月6日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(11)/「昨日、奥武山公園で目白の鳴合会」」
7月8日   『琉球新報』武藤文学士「琉球と支那文化」~ □→『沖縄教育』7月号 武藤長平「斉彬公考」
        この前後に琉球新報は中座俳優を攻撃     

7月9日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(13)
7月10「日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(14)
7月12日『琉球新報』「朝鮮史に見えたる古琉球」(15完)
7月13日  『琉球新報』「球陽座ー歌劇・二和加」「小嶺幸恒 病気のところ昨日死去ー男・小嶺幸栄、男・小嶺幸秀、男・岸本幸厚、兄・小嶺幸得、甥・渡久地政瑚」
7月16日  『琉球新報』「活動写真の進歩」
7月17日  『琉球新報』「広告ー仁丹」
7月18日  那覇潟原で「第一回沖縄模型飛行機競技大会」が挙行され中々の盛会であった。
7月21日  『琉球新報』富永徳麿「タゴール評論①」~
7月22日  『琉球新報』茅原崋山「新世紀の始め」~
7月25日  那覇丸で京大教授・文学博士の小西重直(元・第七高等学校長)、沖縄教育会夏季講習会講師のため来沖(26日ー尚家訪問/8月4日ー琉球新報社第9回通俗講演会で講演) □→『沖縄教育』9月号「本会記事ー8月1日より7日迄一週間京都帝国大学文科大学教授文学博士小西重直氏を聘し教育科講習会を開催せり講習員無慮六百名閉会式後紀念撮影をなせり」 親泊朝擢「編集員を辞すとて」
7月26日  『琉球新報』「安良城盛一/千葉で療養中死去ー弟・盛英/盛雄」「シュワルツ牧師ー第二の故郷(沖縄)」「蔡温の雷霆説」
7月28日  『琉球新報』「島の伝説ー水納島/鷹の塚」
7月29日  『琉球新報』「島の伝説ー竹富島/兄妹の船」「読者倶楽部ー那覇警察署長警視和田竹四郎足下に一言・・・」
7月30日  『琉球新報』内海理事官「ラサ島視察談」
8月1日   『琉球新報』「沖縄電気株式会社取締役社長・才賀藤吉 病気のところ昨夜死去」
8月3日   『琉球新報』「尚順男爵の名誉ー11月の御大典参列総代に選定」「島の伝説ー粟国島/僧の化石」
8月4日   『琉球新報』「島の伝説ー屋我地島/夫振り岩」
8月6日   『琉球新報』「島の伝説ー宮古島/船立山」
8月8日   『琉球新報』「島の伝説ー久高島/お屁物語」
8月10日  『琉球新報』「新井白石と琉球」
8月11日  尚昌、尚景、尚旦、尚暢、廣運丸で帰省 □→『沖縄教育』7月号 素位生「侯爵令嗣尚昌君訪問記」
8月12日  『琉球新報』「今帰仁朝敷男爵薨去・・」「従三位男爵今帰仁朝敷儀永永病気の処昨日薨去」 
8月13日  『琉球新報』下地玄信「南清踏破記①」~壷川逸史「読琉球見聞録並小引」
8月14日  『琉球新報』「今帰仁朝敷 葬儀御礼ー孫・今帰仁朝英/男・今帰仁朝珍、男・今帰仁朝亮、在京孫・今帰仁朝規、孫・今帰仁朝常、孫・今帰仁朝明 親戚総代/男爵・尚順、男爵・伊江朝眞、男爵・尚琳、護得久朝惟」
8月15日  『琉球新報』「蔡温の処世訓ー客間録より抄録」
8月20日  『琉球新報』「小鳥屋が出来た」 桃川燕林改め坂本冨岳「講談ー宇都宮釣天井 第壹席」~
8月21日  『琉球新報』杜来児「芸者の内幕(1)」~順風耳「分析と総合」
8月23日  尚昌帰京
8月24日  『琉球新報』ロ坊(末吉麦門冬)「是でも歌?」「物を考える機械」
8月25日  『琉球新報』登茂美「桜ビヤホールで」 黒旋風「東洋文明と西洋文明」
8月26日  『琉球新報』ロ坊(末吉麦門冬)「是でも歌?」「球陽座ー歌劇・黒島昔物語」
8月27日  『琉球新報』ハ坊(末吉麦門冬)「是でも歌?」 笑古「夏日偶成」 樽金尊者「丹青協会の展覧会を見て」
8月28日  『琉球新報』「活動写真帝国館ー宇都宮釣天井」
8月30日  『琉球新報』「鳥堀の綱曳」「中城村當間の2年ぶりの大綱曳の椿事」「一昨日から森楽器店の琉歌吹込みを聞く」
8月31日  『琉球新報』「那覇尋常小学校上空に太陽三個現るー測候所の筒井技手談」
9月3日   『琉球新報』「琉歌レコード仕上」 ロ坊(末吉麦門冬)「是でも歌?」
9月10日  『琉球新報』「』「島の伝説ー久米島/王女の恋」
9月11日  『琉球新報』「電話の話(1)」~
9月15日 『琉球新報』麦門冬「薫風を浴びて(27)山城君は海の男で二三里も泳いでいったけれども、吾輩は泳ぎが出来ぬから砂の上にかじりついてばかりいた。泳ぎの出来ぬ奴が海に入るのは極めて滑稽だ、両手で砂の上にあぐらを掻き、足でじゃぶじゃぶ波を蹴るのである。土仏の水遊び気の利かぬこと夥しい。」~
9月16日  『琉球新報』「本県人女優となるー芸術座の第一回生徒・南風原鶴子(23)」
9月19日 『琉球新報』莫夢山人「早涼可人」


10月8日 『琉球新報』「今般沖縄朝日新聞社創設ー當眞嗣合、仲吉良光、小橋川朝明、末吉安恭、嘉手川重利、野村安茂」
10月9日 『琉球新報』「那覇の興行界」「球陽座ー北谷眞牛」
10月20日『琉球新報』「秋閏ー酔明、泉南、松涛、笑古、莫夢」
10月21日 『琉球新報』莫夢山人「秋風夕」
10月23日『琉球新報』「那覇区の紋章改正ー明治42年以来用い来りたるー蘇鉄葉にて縄を巻きその中に区の字を現し縄区にて那覇区を象徴したー複雑なる紋章」』「重陽ー酔明、泉南、松涛、笑古、莫夢」
11月7日  『琉球新報』宮城鉄夫「琉球に於ける有用植物(1)」~
11月10日 『琉球新報』「日本地図を背景に『万歳』の文字ー我が読者を代表し、寶祚の萬歳を奉祝する」/大正天皇、京都御所紫宸殿で即位礼を挙行
11月14日 『琉球新報』「大嘗祭」「野間五造ー祝電」
11月20日 『琉球新報』「琉球音楽奨励会ー大聲蓄音器と琉歌音譜大割引」「東町さくらやーさくらぱん、サトーパン、ジャムパン、ロースパン、バンズパン、カタパン、食パン」

12月4日 『琉球新報』神山政良 訳「奈翁とホ氏の琉球問答=セントヘレナ島に於ける=」(1)
12月13日 『琉球新報』神山政良 訳「奈翁とホ氏の琉球問答」(9)

12月14日 『琉球新報』金口木舌ーナポレオンは英の一船長を引見した時▲「卿は曾て尊父が予の事を話すのを聞かれた事があるか▲卿は曾て尊父が予に逢いたいと云うのを聞いたことがあるか▲と云うようなことを荐(しきり)に聴いて居る▲之が絶世の英雄ナポレオンの言葉である▲罪のない可愛い人間性が現れて居るではないか▲又彼が彼の少年時代を送ったブリアンの事なら如何に詰まらぬ事にも非情な興味を持って居た▲と云う事にも人間性の懐味が滲み出て居るではないか▲偶像化された英雄豪傑でも祭壇から引きずり下して見ると▲意外に無邪気な人間性の欠点や凡庸人と異らない人情味が見出される▲近世の芸術は一切の偶像を祭壇から引き下ろそうとして居る▲それは然うとナポレオンが琉球の地理的位置を聴いて▲琉球人の風習制度等が他国の干渉によって影響されたに相違ない▲と話したと云う事は其の炯眼に驚かざるを得ない▲事実我が琉球は他国の干渉に依って風習や制度に影響される處があった▲其處が又渾身活動慾制服慾に満たされたナポレオンが想像することも出来ない▲全然武器なき國として立って行かれた所以となったのだ

8月18日  『琉球新報』麦門冬「薫風を浴びて(1)」~
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○人生最も幸福な最も愉快な婚礼のことを紹介したから、今度は人生最も不幸な最も不愉快な葬式のことを述べよう。老少不定は何処の島の果てでも免れぬ、老いてこの世に用のない人は、遮莫(さもあればあれ)だが、是からが人間の働き盛りと云ふ若い人でも死の神に取憑かれると、いくら首を振って行くを肯んしないのでも、冷酷無情に冥土の使いがアッと云へば、無理にも引立てられて行かねばならぬ、人の世の果敢なさは是非もない。ああ朝に紅顔の美少年でも暮れに白骨となる。三寸息絶れば万事休す、一門眷族泣き叫べども又止めんようもあらず涙と共に棺を蔽へば死出の旅路の鹿島立、吾輩の旅はまた帰ってくるも、永久帰らぬ旅客はあわれなる哉。

人生最も不幸な不愉快な葬式は、吾輩この島に来て遂に出会なかったのはよかったが、かねてこの島や並びに遠い田舎では今現に行われると聞いた葬式の異風に就き訊ねて見たら、成程異った所もあれど又多くは変遷改廃して噂に聞くほどのものはなかったが、そのあらましを記すると、老人の死んだ時は別に異ったこともないが、若い男女の死ぬる時はあるある、以前は大いにあったが今でもある。何処も同じ人情で若いのは惜しまるる習いだが、情深い島の人々はわけても惜しみ悲しのあまり、一旦棺に詰めて墓に葬るの後も生前親しかりし友人知己が、初七日を終えぬ中は毎日墓に集うて別れを惜み甚だしきは死骸を引き出して、生ける人に物言うごとく慰め語り携ふる所の御馳走を口に充がい、酒を飲ますなど云うことも昔はあった。けれども世が進むに従い開け行く人智は遂に古風の改造となり、今は若い人と雖もさることなく、埋葬の後は死骸に手を触るることがない。