○人間存在の何たるかを追求して止まぬ先生・・・・・・・・・・・・・川平成雄①
○松田賀孝教授略歴および業績一覧
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右ー松田賀孝氏(一橋大学経済学博士、琉球大学名誉教授)

①川平成雄
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左端が川平成雄氏
2011年2月ー川平成雄(沖縄社会経済史)『沖縄 空白の一年 1945-1946』吉川弘文館□日本は「主権国家」とは名ばかりのアメリカの「属国」であり、この「属県」が沖縄であることを、今回の仲井真知事の訪米は知らしめてくれた。仲井真知事が、県民の「声」を代表して渡米したと釈明するのは、目に見えている。沖縄県民の意思を愚弄した知事も悪いが、この知事を選んだ沖縄県民はなお悪い。(略)管内閣はといえば、アメリカの顔色を伺い、先延ばし政策をとる。鳩山・管内閣は、「主権なき国家」のみじめな姿を教えてくれた。

2012年10月 川平成雄『沖縄 占領下を生き抜くー軍用地・通貨・毒ガス』吉川弘文館
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占領下を生きるープロローグ
アイスバーグ作戦と沖縄戦ーアイスバーグ作戦と住民/「鉄の嵐」「血の嵐」の沖縄戦朝鮮戦争・スクラップ・沖縄ー朝鮮特需と日本経済/スクラップと沖縄経済/生活の糧と事故の多発強制的軍用地接収と住民ー軍用地問題の発端/土地接収の本格化/軍用地料一括払い問題の波紋/「土地なき民」と軍雇用者/プライス勧告と土地闘争のうねり類をみない度重なる通貨交換ー無通貨時代/B型円軍票・新日本円から新日本円時代へ/B型円軍票時代/ドル時代/ドル時代から円へ

毒ガス貯蔵発覚からレッドハット作戦へー毒ガス貯蔵の発覚/アメリカ政府と日本政府の動き/毒ガス撤去闘争と琉球政府の苦悩/レッドハット作戦「見えぬ恐怖」との闘い沖縄返還から40年をへてーエピローグ


1919年6月15日 『日本及日本人』759号 麦生(末吉安恭)「経済」
エコノミーを経済と譯するの適否は知らず、會澤正志の新論に「或毛擧細故、唯貨利是談、自称経済之學」云々とあり、政治が今日謂ふ所の経済に重きを置くことが、近世的傾向たるにより、譯者をして此の語を選ばしめ、敢て不適常を感ぜしめざるに至りしやも知るべからず。又支那にも後世に至り経済を倹約の意に用ひしことありや。清朝の詩人舒位の詩に「一屋荘巌妻子佛、六時経済米盬花」とあり、猶ほ考ふばし。



2015年2月 川平成雄『沖縄返還と通貨パニック』吉川弘文館
○エピローグー 米軍と日本政府に追われて(略)安倍政権は、憲法改正とは異なった愚を犯した。それは、サンフランシスコ平和条約が発効された1952年4月28日の「4月28日」を「主権回復・国際社会復帰」の日として2013年4月28日に記念式典を開催したことである。沖縄住民の強力な反対を押し切っての開催であった。式典2日前の26日、マサチューセッツ工科大学名誉教授で『敗北を抱きしめて』によりピュリツアー賞を受賞したジョン・ダワーは、「式典を開催するという政府の決定は、日本政府がいかに鈍感かを示している。沖縄の人々の反対は絶対に正しい。いわゆる沖縄抜きの平和、沖縄の主権を含まない式典は、明らかに日本政府の平和に対する無神経さを示すものであり、誤解を招くものだ。沖縄の反対は正しく、理解に値するものである」と批判する。

安倍首相は、式典において「日本に主権が戻ってきたその日に奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離されてしまった。とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実だ。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなさない」と述べるが、何の深みももたない。首相の表現を借りれば、「通り一遍の言葉」でしかない。(仲井真)知事代理として出席した高良倉吉副知事は、式典後、「沖縄戦や米軍統治時代の大変苦難な歴史、今に続く米軍基地問題など県民が訴えてきた問題を踏み込んで言葉にしていた」と評価するが、どこに評価に値する「言葉」があるのか、疑問である。(高良)副知事は、知事の代理とはいえ、出席すべきではなかった。というのは、政府は、(高良)副知事が出席したこと自体、(沖縄)県民の意思のあらわれと見るからである。


2015年4月4日『八重山毎日新聞』「退官の川平元琉大教授が研究室ー沖縄社会経済史の探究さらに」