アメリカ合衆国ー国そのものが独立戦争という暴力から生まれたことは、問わないにしても、初期の植民者による原住民(インディアン)の組織的皆殺し、アフリカから黒人奴隷を輸入して制度化したこと、それをめぐって国を二分して戦われた「南北戦争」のむごたらしさ・・・・・。さらに後続の移民を差別し搾取する構造が、国の歴史を貫いている。(袖井林二郎)

1920年1月17日 アメリカ合衆国憲法修正18条(全国禁酒法)が発効□1933年12月廃止
1928年11月『世界地理風俗体系・第19巻・アメリカ合衆国(上)』新光社
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ニューヨーク□この世の龍宮ー白波さわぐ水の彼方におぼろに霞む高楼の群こそこの世の龍宮とも見られよう。この高楼の群立こそは大ニューヨーク市の中心マンハッタン南端付近の世にも稀なる壮観で南方水上から仰ぎ見た風景である。その中央部に雄然と聳ゆるエクイタブルのビルディングもその右方のウールウオースもこの大観の一丹一碧をなすに過ぎぬ。右の端にはお台場公園の水族館が見える。
国防
□海軍ー(略)我々は少しも米国海軍を恐れては居らぬ。然し勿論戦争を望んでも居らず、少なくとも近き将来に戦争があろうとは思って居ない。戦争ばかりが海軍の仕事ではない。我々はむしろ益々日米両国の国交を厚くし今後いよいよ通商の繁くなりよく「太平洋」を文字通り太平に保つべく、両国海軍が提携してその保護の任を盡さんと希って居るのである。

□空軍と化学戦ー米軍中には化学戦部が設けられ、毒ガス、焼夷弾及び発煙弾等を用ふる化学戦の準備と研究を行っている。これがための機関として、化学戦学校とか、毒ガス工廠などがあり、実に平時よりガス第一聯隊がメリーランド州、エッヂウード工廠内に設けられ、本部と3中隊とを置いてある。その他パナマ、コロザールと、歩兵学校内と、ハワイのショフィールド兵営との3か所にも、各1中隊宛のガス中隊が設けられてある。米国の毒ガス製造の一日の量は約350トンということである。

■→米軍は米国領内のジョンストン島に毒ガス移送することを決定。1971年1月と7月の2回にわたり、美里村(現沖縄市)の知花弾薬庫から具志 川市(現うるま市)の天願桟橋までの行程で毒ガス移送が行われました。第2次移送は56日間にもわたり、移送路周辺の住民約5千人が避難しました。 (沖縄県公文書館)

1929年2月ー伊波普猷、山城亀雄飛行士が操縦する飛行機でロサンゼルス上空を飛ぶ。カリフォルニア各地を巡遊、宮城与徳、屋部憲伝らと交流。
8月ー『科学画報』13巻2号□伊波普猷「布哇の自然と人」、伊波普猷、帰沖(折口信夫と同行予定が折口体調不良のため伊波一人の帰沖となった)。10日ー真境名安興と共催で「琉球古典劇研究座談会」、19日『琉球新報』伊波普猷「孟蘭盆の新意義」、25日ー『琉球新報』伊波普猷「五ツ組の用語と詩形」、30日ー伊波普猷、上里朝秀ら台中丸で帰京(途次、喜界島で講演)。11月23日ー京浜沖縄県学生会秋季総会で「方言に現れたる土俗」と題し講演

1931年8月 和氣律次郎『犯罪王カポネ』改造社


1931年 『犯罪公論』<『ブラック・チェンバ』裏話>
 この雑誌の発行から10年後の日本時間1941年12月8日未明に真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、英: Attack on Pearl Harbor、、ハワイ時間12月7日)があった。アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である→ウィキペディア。安倍晋三首相は日米首脳会談後の共同記者会見で、オバマ米大統領の広島訪問に対応し、米ハワイの真珠湾を訪問する可能性について問われ、「現在、ハワイを訪問する計画はない」と否定した。ま、アメリカの一州に甘んじている日本としては歴史的にもそう意義は無いということだろう。今回の国政選挙はアメリカの一州から「離脱」するか否かも問われている。
 そのアメリカの国政選挙。ドルマニアで暴言王トランプ氏に対してはドナルドダック(短気な性格であり、ディズニーキャラクターの中で最も喜怒哀楽が激しい)のイメージもあり、本音でアメリカを変えると期待していたが次のニュースをみると人命軽視で現状維持の素晴らしい発想の持ち主らしい。TBS系(JNN) 6月18日ートランプ氏が過激発言を連発、改めて銃規制不支持を主張-アメリカ大統領選で共和党の指名候補に確定しているドナルド・トランプ氏は17日、フロリダ州の乱射事件に触れながら、銃規制強化への反対を過激な言葉で改めて表明しました。「被害にあった(死んでくれて)素晴らしい人々の誰かが腕や足に銃を忍ばせていて、あのロクデナシが撃ち始めたときに、誰かがバーンバーンと反撃してたら、それは(ハチの巣状態で)すばらしいすばらしい光景になっていただろう」(ドナルド・トランプ)。




 黒井兵也「『ブラック・チェンバ』裏話 東京日日新聞は如何にして「『ブラック・チェンバ』を手に入れたのか❔」○「我が暗号電報盡く米國側へ筒抜けー解読した当事者が自ら暴露」「何と間抜けた話ー7割から6割へ、段々と押しつめられた華府会議当時の裏の裏『米國の秘密室』は語る」昭和6年7月19日20日の東京日日新聞。初号活字の大見出し、夏枯れのジャーナリズムがあッと思わず聲を上げ、陸軍省と外務省では。・・・・・・「ブラック・チェンバ」という聴き慣れない言葉が、ハーバート・ヤードリ①という無名のヤンキーが、一躍この國の全階級の話題に上るようになった。

 ①ハーバート・オズボーン・ヤードリー(Herbert Osborne Yardley、1889年4月13日 - 1958年8月7日)は、アメリカ合衆国の暗号学者。インディアナ州ワージング生まれ。その著『ブラック・チェンバー 米国はいかにして外交暗号を盗んだか』(1931年)で知られる。ヤードリーは陸軍情報部第8課(MI-8)「ブラック・チェンバー」の設立者であり、その長であった。 彼のもとで、ブラック・チェンバーの暗号解読者は日本の外交暗号を解読し、1921年から1922年のワシントン会議でアメリカの交渉者を有利な立場に置いた。 のちに中国の国民政府が日本の暗号を解読するのを助け、カナダ政府が暗号部門を設けるのを助けた。ブラック・チェンバーは1929年に国務長官のヘンリー・スティムソンによって予算を打ち切られ、そのまま閉鎖された。従業員は年金等の補償なしに解雇された。ヤードリーは政府に対する報復として暴露本を著した。ウィキペディア

<犯罪王アル・カポーネ殺人グラフ>
Al Capone (English: Al Capone, 1 May 17, 1899 - January 25, 1947) is an American gang.
In the Prohibition era, led the organization from there to a luxury hotel in Chicago in residence and office, moonshine manufacturing and sales, prostitution industry, and the gambling industry to expand the organization, it began to integrate modernize the criminal organization It is known to be was.
Height is 179cm, it was big for its time. There was a nickname "Scarface" in that there was a scratch on the face. However, because the person in question had hated this nickname, it was not the person referred to in front of the person. "Kapon" are close to each other in English pronunciation.
Family wife of Mee and son of Sony.


アメリカは果たして文明国か❔キリスト教の国 黄金狂の国 黄色人種排斥の国 アメリカ

おお自由よ!ワシントンよ!アメリカは殺人紳士とドルマニアの天国だ!Oh freedom! Washington! America is a heaven of murder gentleman and the dollar mania!  野蛮国だの土人だのと言う言葉を使うのはよせ!卿等も又原始時代を一歩も出ていないではないか! さてあちらでは交通整理も完備して居りましたーあちらは実に衛生的でーあちらは等等等。然し我々はアル・カポーネのことだけは聴かせては貰えなかったようだ


暴力者は暴力によって倒れ 才人才に溺るる 顔や服装ばかりで紳士だと思ったら大間違い、顔だけはアル・カポーネは紳士以上、服装も又王侯以上の服装をしている

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犯罪王アル・カポーネはなるほど恐ろしい人間に違いない、然し彼より彼の機関銃の弾丸の方がなお怖い、嘘だと思ったら彼の頭に一寸弾丸をぶち込んで見給え、彼はすぐふんぞり返るだろう


左ー聖バレンタイン日の殺戮現場、犠牲者、暗殺を免れたモーランとその妻/右下アル・カポーネの暗殺を企てて却って返り討ちに遭った3人の男スカリス、アンセルミ、ギンタの死体





1950年5月 中野五郎『ギャングの世界』日本弘報社/1961年12月 中野五郎『ギャングの季節』四季社

1963年6月 コリン・ウイルソン 大庭忠男①訳『殺人百科』彌生書房 「聖バレンタイ・デーの虐殺 アル・カポネ」
 ①大庭 忠男(おおば ただお、1916年6月24日 -2012年12月26日[1] )は、日本の翻訳家。
佐賀県生まれ。日本大学高等師範部英語科卒業。極東国際軍事裁判国際検察部翻訳顧問、米国映画字幕翻訳、米国ニュース日本語版監修、英米推理小説翻訳などを行う。エラリー・クイーン、シドニィ・シェルダン、コリン・デクスターなどを多く翻訳。1999年唯一の著書で、ポツダム宣言受諾後も戦争が続いた件について記した。→ウィキ 〇訳者紹介に、現住所が神奈川県座間市となっていて同市2017年の死体遺棄事件を連想させる。


2004年2月『週刊100人ーアル・カポネ』デアゴスティーニ・ジャパン

1960年代初め、ジェノヴェーゼはコステロらの陰謀にはめられ麻薬取引で収監されるが、獄中からファミリーの指揮を執り続けた。1963年、部下のジョゼフ・ヴァラキがマフィアの正式メンバーとしては初めて沈黙の掟を破って証言。ジェノヴェーゼの死後はボス代行のトーマス・エボリ、副ボスのジェラルド・カテナ、コンシリエーリのマイク・ミランダの三頭体制となったが、ファミリーはリーダーシップ不在の混乱を続け、最大最強のファミリーとしての地位をガンビーノ一家に譲るに至った。1970年代にガンビーノの盟友フランク・ティエリがボスとなり、ファミリーは再びかつての勢力を取り戻した。その後、アンソニー・サレルノ、ヴィンセント・ジガンテと歴代ボスが相次いで逮捕されたが、ジェノヴェーゼ一家は幹部級でも次々と司法取引に応じる内通者を出す他の一家とは異なり、ほとんど司法への内通者を出すことなく統制がとれており、現在では再びガンビーノ一家に代わってニューヨーク最強のマフィアとしての勢力を維持している。
映画ー1966年10月 那覇 グランドオリオン「暗黒の大統領カポネ」
1969年9月 那覇 グランドオリオン「マシンガン・シティ」
2015年 宝塚歌劇ミュージカル『アル・カポネ —スカーフェイスに秘められた真実—』






1933年1月30日にアドルフ・ヒトラーがドイツ首相に就任

○『IBMとホロコースト-ナチスと手を結んだ大企業-』エドウィン・ブラック=著 宇京頼三(三重大学教授)=監修 小川京子=訳 2001年11月 柏書房【目次】《第I部》第1章 番号を振られた人間/第2章 IBMとヒトラーの接点/第3章 ユダヤ人の特定/第4章 IBMとナチの同盟/第5章 ワトソンにナチの勲章/《第Ⅱ部》第6章 戦争のカード/第7章 死に導く計数作業/第8章 電撃的効率/第9章 デホマクの反乱/《第Ⅲ部》第10章 枢軸国での地歩を守る闘い/第11章 フランスとオランダ/第12章 IBMと戦争/第13章 絶滅/第14章 ジェノサイドの戦利品(1)/第15章 ジェノサイドの戦利品(2)
戦争の歴史には、その裏に必ず、人々を戦いに駆り出す利権争いと、そこで死体を見ながら札束を数える軍需産業の介在がある。第二次世界大戦中、ナチスを支援した企業には、驚くことにアメリカの企業が複数含まれていた。またスイスも重要な役割を果たしていた。→「ナチスとアメリカ企業の協力関係」
○1871年。ドイツ国内に約55万人いたユダヤ人のうち、1930年までにおよそ6万人が、改宗者、非ユダヤ人との結婚で生まれユダヤ人として育てられなかった子ども、あるいはただ共同体から離れていったユダヤ人となっていた。組織されたユダヤ人「共同体」に意識的に残っていた者でさえ、その残ったユダヤの民族性を無視していた。20世紀ドイツのユダヤ人は、周囲のキリスト教徒らと同じく、宗教的アイデンティティよりも国民としてのアイデンティティをはるかに強く持っていた。ドイツ・ユダヤ人の意識においては、自分たちは何よりまず「101パーセント」ドイツ人なのであった。しかし、第三帝国は違った考えを持っていた。ユダヤ人が越えられないものは宗教ではなく、血統にあった。ナチはユダヤの血を引く者をどうにかして特定し、絶滅することを決意していた。
 ユダヤ人の特定ー(略)ユダヤ人特定の作業は、第三帝国の最初期、1933年4月12日に始まった。この日、ヒトラー政権は、長らく延期されていた、全ドイツ国民を対象とした国勢調を、直ちに実地すると発表した。(略)人口統計学は匿名の集団の科学から個人の調査へと、越えてはならない一線を越えてしまったのだった。・・・住民の中にユダヤ人が発見されると、特別な「ユダヤ人計数カード」が出生地を記録した。これらのユダヤ人計数カードは別に処理された。その後に、35工程かけて25のカテゴリーの情報を相互参照し、フィルタリングする。職業、住居、出身国、その他さまざまな特徴によってひたすら選別を繰り返すのである。それらはすべて土地登記、共同体名簿、教会といったところからの情報と照合され、膨大な新しいデータベースが作られる。そうして、職業・都市別・さらには街区別にユダヤ人の存在が明らかにされた。



1934年5月8日
4月、欧州経由でアメリカに帰途、来沖したミス・アン・クルート(大阪東淀川区ミード社会館)が新聞記者に「那覇の児童がスペイン語、英語を知っているのに驚いた、これは海外雄飛の諸産物で若い者がハワイ・ブラジルらに出稼ぎ、そこで生まれた子を故郷沖縄の学校に送り帰すためです」と答える。

1937年1月9日、神戸から那覇港に波上丸処女入港/4月、在米沖縄県人会(松田露子)『琉球 THE LOOCHOO』第4号/4月27日、午後7時入港の首里丸でベッテルハイム孫ベス・プラット夫人がルーズベルト米大統領の親書を持参来沖。宝来館で休息、波上宮参拝、護国寺、善興堂病院を訪問。午後は金城那覇市長を訪問、又吉康和の案内で泊の仲地紀晃宅、天久寺、外人墓地。/5月2日、金城那覇市長公舎で晩餐会、プラット夫人作の油絵「ベッテルハイム像」を那覇市に贈呈。

1937年4月 在米沖縄県人会『琉球』第4号□幸地東風「移民哀話=犠牲者の霊に捧ぐー渡航の動機 大正の初期といへば、沖縄では専制王奈良原知事の再現としての大味知事の暴政時代であった。中央では政治的には憲政擁護運動、思想的には新理想主義即ち霊肉合致の運動が、茅原崋山を主幹とした『第三帝国』によって天下の青年を風靡していた。海南の孤島、北山の一角に、新理想主義に燃え、読書会を組織し、そして中央茅原崋山と呼応した十余名の青年グループがあった。『沖縄公論』主幹として一世の反逆児たる郷党の先輩宮里喜一をアドバイザーに、與那嶺善太郎、島袋源一郎、宮里政篤、嘉手納善五郎、仲本吉正、上間常三郎、仲村源元、山城千八、幸地新蔵、幸地新政、その他の面々であった。・・・」

1939年1月『沖縄教育』269号 須藤利一「ベージル・ホール大琉球航海記ー第6回」



1939年6月 那覇の旭館で「ハリケーン」上映
『ハリケーン』(The Hurricane)は、ジョン・フォード監督、サミュエル・ゴールドウィン・プロダクションズ(英語版)製作による1937年のアメリカ合衆国の映画である。


1938年7月 那覇の平和館で「チャップリンのモダン・タイムス」上映

『モダン・タイムス』(Modern Times)は、1936年のアメリカ映画。チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画で、彼の代表作のひとつである。モノクロ、サウンド版。資本主義社会や機械文明を痛烈に風刺した作品で、労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現している。自動給食マシーンの実験台にされるシーンや、チャップリンが歯車に巻き込まれるシーン、ラストのチャップリンとヒロインが手をつないで道を歩いてゆくシーンなどが有名である。→ウィキペディア



1939年6月 那覇の旭館で「ハリケーン」上映
『ハリケーン』(The Hurricane)は、ジョン・フォード監督、サミュエル・ゴールドウィン・プロダクションズ(英語版)製作による1937年のアメリカ合衆国の映画である。

1939年6月、那覇の平和館で「透明人間」上映



1939年5月、那覇の旭館で「キングコング」①上映//7月、那覇の平和館で「ターザンの逆襲」②上映
映像面では、コングが人形アニメ(ストップモーション・アニメ)で表現されたことが大きな特徴である。『ロスト・ワールド』(1925年)に続いてウィリス・オブライエンが手腕をふるう卓越した特撮映像は多くの映画人に影響を与え、数多くの著名モンスターメーカーを生み出すこととなった。レイ・ハリーハウゼンが本作の影響から映画制作を志し、のちにオブライエンの部下として『猿人ジョー・ヤング』に参加したことは有名である。また、本作は世界初のトーキーによる怪獣映画としても知られる

1939年6月 『沖縄教育』274号 須藤利一「ベージル・ホール大琉球航海記追記」→1974年9月 須藤利一先生古希記念出版実行委員会『異国船来琉記』法政大学出版局


1939年7月 那覇の平和館で「ターザンの逆襲」上映
「類猿人ターザン」「ターザンの復讐」と同じくジョニー・ワイズミュラーとモーリン・オサリヴァンが主演するジャングル奇談で、前者を脚色したシリル・ヒュームが脚本を書き卸し、「南海のペーガン」のリチャード・ソープが監督に当たり、「僕の脱走記」のレナード・スミスが撮影したもの。助演者は「孤児ダビド物語」のジョン・バックラー、「暁の爆撃機」のベニタ・ヒューム、「二国旗の下に」のハーバート・マンディン、「断固戦うべし」のウィリアム・ヘンリー、「小公子」のE.E.クライブ等の面々である。

1939年12月 那覇の平和館で「女傑ターザン」上映
女傑ターザン 原題: The Savage Girl  製作国: アメリカ  製作年: 1932
ストーリ
狩猟家ジム・フランクリンは猛獣捕獲のため、年中酔っ払っている不当エーモス・スチッチとともにアフリカの蕃地に渡り、案内者バーヌスを雇って奥地へ進んだ。この辺の原住民は白人の女神を崇拝し人身を犠牲に供するという噂が有賀ジムは一笑に付した。捕獲した動物は何者かのために夜中に逃がされてしまったが、それはいわゆる女神の仕業だった。ところがある夜森の女神が罠に落ちて生け捕りされた。それは人語を解しない美しい白人の娘であった。ジムはこの娘を猛獣同様に馴らしてみた。バーヌスは娘の野性美に心を奪われ挑まんとしたので、クビになった。すると彼は原住民を唆してジムを捕らえたが、エーモスの努力によってジムは救われ、バーヌスは娘の仲間であるゴリラによって命を奪われた。
■関連
1954年1月『琉球新報』