○ホイットマン流のナショナリズムはアメリカ人の常識となり、その後のアメリカ人の自画像の形成に貢献しました。独立後しばしば経験した国内ならびに国際的な試練においても、この自画像が発想の原点であり、国民的行動の支えでした。それは、国際社会におけるアメリカのスタンスを、時には孤立主義に陥らせ、時には逆にパックス・アメリカーナ(アメリカの力によって維持される平和、十九世紀のパックス・ブリタニカの言い換え)の理想を追求する方向へ走らせましたが、波瀾に満ちたアメリカの歴史経験の中で、この原点だけは揺るぎないもののように見えました。しかし、1960年代の公民権運動やベトナム戦争の挫折は、この理想像に深刻な打撃をもたらしました。この危機にみまわれて、二つの基本的かつ伝統的な理想が揺らいだのです。アメリカ人が建国の時から誇りにしてきた平等の社会と自由の国の理想です。

○英国のバジルホール提督が1816年に沖縄を訪れたとき、島民の素朴さと平和愛好の精神にうたれたことを航海記に記しています。バジルホールは、英国への帰途、セント・ヘレナに幽閉中のナポレオンを訪ね、戦争を知らない琉球人のことを報告していますが、ナポレオンはこれを信じなかったそうです。バジルホールが琉球へ渡来したのが、西洋のロマン主義運動の盛んな頃であったことを考え合わせますと、同提督が「高貴なる未開人」の先入観で沖縄島民を見ていたのではないかと疑いたくなります。当時、沖縄人は、バジルホールがいうように確かに武器は身につけていませんでしたが、空拳によって一撃のもとに人を殺す空手をすでに編み出していたのですから、全面的に平和愛好的であったとは言い切れないように思います。 



1998年10月15日 沖縄青年会館「米須興文著『文学作品の誕生』出版祝賀会で、右端が新城栄徳、3人目が米須興文氏


2001年1月20日『沖縄タイムズ』米須興文「南灯指針鏡ー21世紀のメッセージ1」
○・・・科学・技術の進歩は、物質的繁栄をもたらしたが、同時に大量破壊兵器も生み出し、環境破壊につながる産業開発にも力を貸した。一方、精神世界は荒廃の一途をたどり、人びとは心と心の絆を失い、精神的独房の中でIT(情報技術)革命の「二十五時」(ルーマニア作家、C・V・ゲオルギウの小説)の世界を彷徨している。
 楽園に忍び入った蛇は、すでに人間の頭脳に侵入しているのだ。科学・技術の知恵の実と引き換えに楽園を失いつつある人間は、果たして二十一世紀にこの蛇を追放して再び楽園を回復することができるのであろうか。パソコンでこの稿をしたためながら、eメールを利用しながら、こんなことを考えている新ミレニアムである。