コクヨ株式会社は、文房具やオフィス家具、事務機器を製造・販売する会社。ブランドメッセージは「ひらめき はかどり ここちよさ」。またCMなどで「コクヨのヨコク」も用いられる。代表的な商品には、1975年(昭和50年)から2014年(平成26年)の39年間で累計約26億冊を出荷した「Campus(キャンパス)ノート」などがある。IT化の昨今でも広く使われているものに会計帳簿がある。独立系の企業だが、株主として三井住友銀行の資本が入っている。→ウィキ

○地下鉄を利用するときは何時も新深江駅から乗る。その駅に隣接しているのがコクヨ本社である。その隣には「大阪ショ―ルーム」があって、いろんなコクヨ製品が展示してある。


大阪企業家ミュージアム
 2008年5月ー粟国島の実家隣りの與那太郎さんの遺族を門真市に訪ねた。子息も故人になったようである。門真市立歴史資料館を見学すると、常設展に「『幣原家』の足跡を訪ねて」があった。幣原喜重郎は第44代内閣総理大臣で「日本国憲法改正草案要綱」を発表し現代日本の礎を築いた。兄の坦は1899年に『南島沿革史論』という沖縄通史を発表。28年、台北帝国大学総長。晩年は門真で過ごした。東恩納寛惇とも親交があった。駅近くに松下電器歴史館も見学。先日、東成区大成を歩いていたら「松下幸之助起業の地」の表示があったので見学した。福島区大開には松下電器創業の家跡がある。守口市にはSANYO MUSEUMがある。

 地下鉄堺筋本町駅近くに大阪企業家ミュージアムがあって文献資料や映像ライブラリーが充実している。解説に「携帯電話やインターネットの普及などによる情報化が急速に進みました。また、関西国際空港が開設し海外との結びつきもより強いものとなりました。一方で海外生産の増加による産業の空洞化や、少子化による人口の減少、環境問題など難しい課題も生まれています」とある。ライブラリーで三島康雄『造船王・川崎正蔵の生涯』同文館を見る。沖縄で教員をしていた山本実彦にも『川崎正蔵』の著がある。川崎は、1869年から薩摩藩下屋敷跡の砂糖会社に勤めていた。1875年、川崎は琉球藩の貢糖を大阪まで運送し販売する役目を大蔵省から命ぜられ、自己所有の龍王丸、龍田丸、布引丸で回漕を行ないその管理のため東京と大阪を往復した。大阪江戸堀にあった川崎の大阪邸には松方正義、西郷従道、中井弘らがよく宿泊した。川崎は支那宋元の古画コレクターで、1870年に神戸の邸内に美術館を設けた。親交のあった伊藤博文が「長春閣」と命名した。
○大阪企業家ミュージアムは、大阪市中央区本町にある博物館。大阪で活躍した企業家をテーマとしており、大阪商工会議所創立120周年を記念して開設された。 ウィキペディア

五島美術館
五島美術館は、東京都世田谷区上野毛にある美術館。1960年4月18日に開館し、所蔵品は日本・東洋の古美術を中心に国宝5件、重要文化財50件を含む約5000件にのぼる。運営主体は公益財団法人五島美術館で、同法人は五島美術館および大東急記念文庫の運営を行っている。 ウィキペディア
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五島慶太『ポケット菜根譚』実業之日本社
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1954年12月ー三鬼陽之助『五嶋慶太傳』東洋書館
三鬼陽之助は法政大卒業後、ダイヤモンド社に入社。経済記者となり、「投資経済」編集長などを経て1953年、財界研究所を設立。雑誌「財界」を創刊し、戦後の経済復興に取り組む企業経営者を取り上げた。 (創刊と同時に三鬼が設定した『財界賞』は、現在も毎年選考が行われている。 日経連会長を務めた桜田武氏、経済同友会代表幹事や日本商工会議所会頭を務めた永野重雄氏ら4人を「財界四天王」と命名。著書は「東芝の悲劇」「日産の挑戦」など101冊に上り、「財界のご意見番」とも呼ばれました。 「経営トップは常に現場に立って」と説いた三鬼は、自らの会社評論・経済評論でも、この現場主義を貫き通しました。 経済記者は、まずトップによく会い、経営の現場をよく見ることが大事というのが持論であり、それを実践してきた。 どんな境遇にあっても、前向きに生きる、書き続ける。 70歳で病に倒れた後も、リハビリに打ち込み、95歳の天寿を全うするその最期まで執筆活動を続けた。



2016年7月1日 若狭龍神