「日本にとって沖縄とは何か」
 一見、他愛もない問いを、たびたび浴びせられると、はたと考え込んでしまう。突きつめると「軍事基地の島」としか思い浮かばない。しかも、70余年にわたり、他国の軍隊が鎮座し、島中に立入禁止の金網を張りめぐらせた日常風景。これも「日本」なのかと。

 日本政府が沖縄を「軍事の要塞」「戦略拠点」と位置づけていることは、8月2日に閣議報告された『2016年版・防衛白書』に明記された。
 軍事的に沖縄の地理的優位性を強調し、曰く「朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に近い位置にあり、戦略的に重要性を有す」と説く。
 さらに中国との位置関係からも「戦略的に重要な目標」とし、尖閣諸島の領有権をめぐる有事事態を想定している。
 8月4日に就任した稲田朋美防衛大臣は、防衛白書を踏まえた上で「地理的な優位性を有する沖縄に優れた機動性、即応性を持ち、幅広い任務に対応可能な海兵隊を駐留することは日米同盟の抑止力を構成する上で大変重要な要素」と、具体的に言及した。
 では、政府が金科玉条とする「地理的優位性と抑止力」は、果たして正当性があり、理屈にかなったものなのか。安倍政権の唱える日米同盟を疑うこともなく支持する国民層には「沖縄に基地があって当然」又は「よそ事」と無関心を決め込んでいるように見える。

 かつて「太平洋のキーストーン」として、米軍が沖縄基地を自由使用し、地理的優位性を謳歌した時代があった。これは冷戦時代の遺物であって、ソ連崩壊に伴い、戦略的役割は終わっているはず。日本政府はそんなことにお構いなく、日米同盟の下に、復帰後も無理矢理、この路線を踏襲し続けた。
 しかも、新たに北朝鮮、中国を名指しして、脅威論を振りかざし、沖縄基地の地理的優位性と抑止力を「延命」させようと目論んでいるのだ。妖怪の如く実態はつかみどころがない。
 日米の元政府高官や軍事専門家筋からは、早くから沖縄基地の「地理的優位性」には疑問符が投げかけられてきた。近年の軍事技術の変革によって、戦略拠点であったはずの沖縄が、敵国からのミサイルの射程内に入ったこと、基地を集中させるリスクがあまりにも大きいとし、地理的優位どころか、ぜい弱性、危険性でさえ指摘する。
 しかも、海兵隊が抑止力として、沖縄に居座らなければならない理由は無い—ということが常識にさえなっているのだ。

 殆どの沖縄県民は。沖縄が「軍事の要塞」として、有事に戦渦に巻き込まれることを最も恐れる。70余年前の沖縄戦の教訓として「軍隊は住民を守らない」「二度と戦争はいやだ」「捨て石にされたくない」が骨身にしみている。
 辺野古や高江の新基地建設に反対し、絶えず基地整理縮小を叫ぶ人々の心根はそこにある。「辺野古が唯一」「地理的優位性」「抑止力」とは相容れられないのだ。

 国は今、一気に強権を発動し、「アメとムチ」の植民地的手段を講じながら、圧倒的な沖縄県民の民意を押し潰しにかかっている。
 辺野古新基地について、国と県は和解策に基づく協議を重ねてきた。ところが7月22日、国は一方的に翁長県知事を相手に「違法確認訴訟」を福岡高裁那覇支部に起こした。協議よりも裁判で早目に決着をつけ、辺野古の工事に着手しようとの意図が見え隠れする。「裁判では国が勝つ」との皮算用があってのこと。しかも、同時に陸上部分の工事再開も通告したのである。
 国の強権ぶりは、同日に名護市辺野古と東村高江のヘリパット工事再開の「二面作戦」に出たことで頂点に達した。何と山原(ヤンバル)の山林地帯に、全国から動員された屈強な警察機動隊員500人が出現し、工事反対の区民や支援団体の人たちを、問答無用で強制排除した。
 二年間も阻止されてきた6カ所(うち2カ所は完成済み)の工事は、またたく間に機動隊や防衛局に見守られ再開された。その際、県道への金網の設置、テント小屋の撤去、木の伐採、検問など、法的な手続きも示さぬまま、暴力的に強行された。「まるで戒厳令だ」「国の暴力」と抗議団から悲鳴が出るほど、異様な光景だった。

 「県民に寄り添う」と、安倍首相、菅官房長官はじめ政府サイドは絶えず繰り返してきたが、ついに180度転換し「基地と振興策はリンクする」と、本音を露呈した。
 県民の民意がどこにあろうと「国には従え」を強要する姿勢である。リンク論とは、言葉をかえれば「辺野古を認めなければ、振興予算を削る」ということだ。翁長県政からの保守勢力の離反、アメとムチによる世論の分断を狙った巧妙な手との見方がある。
 たて続けの政府の強硬手段には、さすがの翁長知事も「これでは自治が死ぬ」と、せいいっぱいの抵抗を示した。
 全国から見れば、沖縄は絶対的少数者である。県民の民意は圧倒的に辺野古新基地反対だが、どこまで全国の人々に共鳴してもらえるか。基地・安保が沖縄だけの問題でないことは言うまでもない。
「沖縄のような少数者の意見を尊重し、吸い上げることができなければ、真の民主主義国家とは言えない」20年も前に、ニュースキャスターの筑紫哲也さん(故人)が警鐘を鳴らし続けていたことを思い起こした。

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(上)1998年7月、琉球新報ホールで。左から宮里昭也氏(元琉球新報社長)、新城栄徳、高嶺朝一氏(現琉球新報社長)、新川明氏(元沖縄タイムス社長)/(中)2003年9月、琉球新報ホールで、左から船越義彰氏、山之口泉さん、大城立裕氏、石野朝季氏。撮影・新城栄徳。/(下)2003年6月、喜如嘉ゆかりの人たちと、左から平良次子さん、大山哲氏、伊佐眞一氏、福地曠昭氏、新城栄徳。


『朝日新聞』2012/11/08 ゴルフ場から見た沖縄史 戦後の歩み、地元記者らが本に
長く沖縄政治の舞台裏を取材してきた沖縄タイムス元記者の大山哲さん(75)らが、多くの関係者へのインタビューからゴルファーの自伝 ... 各界の著名人が基地内でゴルフを覚え、琉米親善の名目で戦後史に何らかの関与をしている」と話す。