1981年6月 雑誌『青い海』104号 宮里朝光「沖縄の人名由来記」

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◇1990年8月 『沖縄タイムス』宮里朝光「万国津梁の鐘一鐘銘の読み・解釈」(翁長新聞スクラップ)


2018年8月 宮里朝光『知られざる琉球の歴史文化』御茶屋御殿復元期成会


ひやみかせー!しまくとぅば/宮里朝光「上之御庭之鐘(俗称・万国津梁の鐘)の銘」
首里城北殿の階段 大龍柱は正面を向いている。
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旧博物館玄関の万国津梁の鐘


宮里朝光「上之御庭之鐘(俗称 万国津梁の鐘)の銘 」沖縄語訳
琉球国は(りゅーちゅーくこー)、南(ふぇ)ぬ海(うみ)んかいある良景色(ゐーちしち)ぬ島(しま)やん。景色(ちしち)ぬ良(ゆ)たさしぇー北(にし)んかいある朝鮮(こーれー)とぅ比(くら)びらりーん。

中国(とー)とー上(うぃー)ぬ顎(あぐ)とぅ下(しちゃ)ぬ顎とぅぬ関係(かかわい)ぬぐとぅ日本(やまとぅ)とー唇(しば)とぅ歯(はー)とぅぬ関係ぬぐとぅ互(たげー)に助(たし)きてぃ栄(さか)ゆる国(くに)やん。くぬ二(たー)ちぬ国ぬ間(いぇーじゃ)んかいある水(みじ)ぬ湧(わ)ちゅるぐとぅ栄(さけー)てぃ行(い)ちゅる仙人(しんにん)ぬ御住所(うしめーじゅ)んかいないる優(すぐ)りとーる島やん。

国々(くにぐに)ぬ欲(ふ)さする物資(むぬ)船んかい載(ぬ)してぃ行(っん)じ満足(ちょーぢょー)しみてぃ戦争(いくさ)する心(くくる)止(とぅ)みらするぐとぅ平和(てーふぃー)ぬ仲立(なかだち)ちそーん。珍(みじら)しい物(むぬん)宝物(たからぬむん)御物城(うむぬぐしく)んかい蓄(たく)うぇーてぃ注文(あちれー)ぬあれー持(む)っち行ちゅるぐとぅそーん。土地(じー)ん人(っちゆ)ん優りとーくとぅ、遠(かー)まぬ中国日本ぬぐとぅ情(なさ)きっし国治(をぅさ)みとーん。

あんし、我王殿下(わーおーぬしーめー)大世主(うふゆぬぬし)、庚寅(かにーとぅら)ぬ年(とぅし)に御降誕(うしでぃり)みしょうち、唐名(からな)、尚泰久王(しょうたいきゅうおう)んち御名付(うなぢき)みしょうち、王位(をーぬぅくれー)、御天(うてぃん)ぬ御神(うかみ)から御授(うさじ)かみしょうち、国民(うまんちゅ)優りとーるくぬ土地をぅてぃ育(すだ)てぃみしぇーん。

仏教(ふとぅきぬうしー)広(ふぃ)るがらち、くぬ世(ゆー)をぅてぃ受(う)きたる御恩(ぐうん)、御恩返(ぐうんけーし)みしぇーるたみに新(みー)くに巨鐘(うふがに)造(ちゅく)みしょーち、くぬ国ぬ首里城(うぐしく)ぬ上之御庭(うぃーぬうなー)んかい掛(さ)ぎみしょーち日夜(ゆるふぃる)鳴(な)らしみしぇーん。

法(うちてぃ)中国ぬ夏(か)・殷(いん)・周(しゅう)・手本(てぃふん)にっし定(さだ)み、周ぬ国ぬ文王(ぶんのう)とぅ武王(ぶおう)ぬ御考(うかんげー)えーぬごとぅ武器(いくさどーぐ)あちみてぃ蔵(くら)んかい収(をぅさ)みてぃ戦争(いくさ)ぬねーん平和な世にっし、くりから生(つん)まりーる王ぬ達(ちゃー)んかい教(ならー)しみしぇーん。下は(しちゃー)、くぬ世(ゆー)をぅてぃ戦争ぬたみに苦(くる)しどーる国民(しむじむ)救(すく)てぃ。上は(うぃーや)永久(いちまでぃん)王位ぬ尊厳(うすりをぅがまりーる)ぐとぅ神願(かみぅにげー)みしぇーん。

勅(うぃーし)拝(をぅが)でぃ相国寺(しょーくくじ)ぬ住職(ちょーろー、長老)渓隠安潜(けいいんあんせん)、御銘(みがち)求(いら)でぃうさぎやびたん。

須弥山(しゅみせん)ぬ南表(ふぇーむてぃ)なかい、情(なさ)き深(ぶか)さる島ぬあん。我王殿下(わおぬしーめー)ぬ現(っんじ)みしょち、苦労(くろー)そーる衆生(っちゅ)助(たし)きんち、解脱(ふとぅきくくる)になみしょーち、くぬ華鐘(ちゅらがに)鳴(な)らしみしぇーん。国中(くにじゅー)んかい響(とぅどう)ちーねー、御主(うしゅ)ぬ御声(みくぃ)んち皆(んな)が聞(ち)ち、乱世(みだりゆ)ぬ夢(いみ)むる覚(さ)まち、神ぬ褒みゆる誠持ち、堯舜(ぎょうしゅん)天子(てぃんし)ぬ世(ゆー)ぬぐとぅに、平和(てーふぃー)な世になち続(ちぢ)かしゅん。

□宮里朝光(NPО沖縄語普及協議会会長)ー〒903-0803 那覇市首里平良町2丁目139番地 電話098-884-9698

宮里朝光(沖縄方言普及協議会会長)ー那覇市首里平良町2-139 ℡884-9698

『オキナワグラフ』2007年3月号「私の宝もの」


しまくとぅばプロジェクト
宮里朝光先生としまくとぅばで読む銘文「万国津梁の鐘」
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宮里朝光氏と平良知二氏


那覇市歴史博物館事務所ー古文書購読会、前列3人目が渡慶次朝裕氏(1925年3月28日生まれ)/渡慶次朝裕氏の書斎


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那覇市歴史博物館事務所ー古文書購読会2021年


「ひやみかせー!しまくとぅば」しまくとぅばプロジェクトのシンポジウムを開催(9月22日)

宮里朝光氏□開会の挨拶ー百浦添御殿と言うすばらしい固有名詞があるのに首里城正殿とヤマトゥは言う。識名御殿も識名園と云い世界遺産にも識名園と登録している。


照屋義実氏「『しまくとぅばの日』条例制定当時の状況とその背景を語る」



狩俣繁久氏/比嘉豊光氏「『しまくとぅばの日』条例制定10年までの歩み」


比嘉座ぬ比嘉陽花さん一人芝居「カンポーヌクェーヌクサー」□この比嘉さん、老いぼれネトウヨがよく取り上げて批判しているが、それだけ注目されているということだ。本人にしてみれば有難迷惑だろう。


平成ぬ頑固党総裁・宮里朝光氏



写真左から安慶名達也氏、當山奈那さん(沖縄国際大学、沖縄大学非常勤講師)、親川志奈子さん(しまくとぅば連絡協議会事務局長)、比嘉陽花さん


新城栄徳、照屋義実氏/比嘉陽花さん、新城栄徳


安慶名達也氏「しまくとぅばを教育&エンターテイメントの観点から沖縄文化を次世代へ継承していく舞台や人材プログラムを企画・運営」。以下はそのメンバー





2017年6月23日 沖縄県立博物館・美術館「島クトゥバで語る戦世/比嘉座ぬ芝居・トーク」

2017年3月26日 那覇市 繁多川公民館「シマクトゥバヌシバイ 比嘉座 繁多川公演」

比嘉座ぬ比嘉陽花さん一人芝居「カンポーヌクェーヌクサー」□この比嘉さん、老いぼれネトウヨがよく取り上げて批判しているが、それだけ注目されているということだ。本人にしてみれば有難迷惑だろう。

「沖縄戦の図」の前で一人芝居、いくさの記憶継承 佐喜眞美術館




2016年3月21日 那覇市 繁多川公民館「ウチナーヌシバイ 比嘉座 繁多川公演」