1934年7月 金城朝永『異態習俗考』成光館書店
□琉球の遊女ー(略)琉球の遊女に関連しては尚多くの書くべき事柄が本稿には取り残されてている。その琉球史上に於ける詳細な文献學的考証と論究は前記の『沖縄女性史』の御一読を御勧めするとして、その外でも、琉球の農村と遊女との関係、今一つ廓内の「尾類馬行列」に就いては書いて見る積りであった。殊に後者は、遊廓の行事と云ふよりも那覇の町にとってもその年中行事の大きなものの一つに数えてもよい位で是は旧正月廿日に挙行されるので、土地では「廿日正月」と云へば「尾類馬行列」を意味している程有名なものであるが、その詳細に就いて述べるには、本文と等しい紙数を要さねばならないから止むなく割愛することにした。それから本稿に於いては平易なものの外は引用文献の再録を避けて単に摘意に止めたり、又はその書名をも二三除いては省略して置いたが、之は故意に先人の功を閑却した訳ではなく、可なり型ぐるしい記述を採用しなかった為めであるから、切に読者諸賢の寛怒を請ふ次第である。


1932年1月 『犯罪科学』金城朝永「頭蓋骨崇拝」
1931年2月 『デカメロン』創刊号 金城朝永「琉球の遊女」
□裏表紙に原浩三『ポムペイの美術』風俗資料刊行会の広告。「ポムペイ!この名に籠っている響の強さはどうだ。其処は2千年の長い間 地下に葬られていた都市であり、特別な女郎屋とか淫祠でなく普通の家庭の寝間に春画が飾られ、妙な彫刻が置かれてあった処である」と刊行の辞がある。
□戦後の1969年10月発行『愛苑』は髙橋鐵監修だが巻頭にカラーで「古代人の愛 ポンベイ壁画集」が載っている。
1933年1月 『人情地理』創刊号 金城朝永「迷信のろーかる・からー」
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金城朝永の手紙

金城朝永の本
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金城芳子の本

1996年10月 阿部達彦『沖縄の遊女についてー宗教社会学ー』近代文芸社
○沖縄の遊女についてー沖縄の遊女/旅行者(渡辺重剛、バジル・ホール・チェンバレン、笹森儀助、加藤三吾、リヒャルト・ゴールドシュミット)の見た遊女たち/信心と生きるための智慧
○浩々洞と精神主義運動ー清沢満之を中心にー

2014・8/不二出版「『犯罪科學』解説・総目次・索引」
 



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「『犯罪科學』解説・総目次・索引」の執筆者索引を見て、沖縄に関わりのある人物を紹介する。

安藤盛は戦前、来沖した人物で、ジュンク堂那覇店で青木澄夫『放浪の作家ー安藤盛と「からゆきさん」』(風媒社)を入手した。私の知らない安藤の沖縄関連の著作もその目録にあった。本誌に収録されてない琉球新報の1938年6月の記事を紹介する「南洋及び支那通として知られていた著述家安藤盛氏は21日東京の自宅において逝去した。氏は昭和11年、同12年の2回に亘り本県に来遊し週刊朝日其他の雑誌で紀行文を発表、本県紹介に努め県人から親しまれていた。なほ生前本社へ長編小説(琉球新報に連載「紅雀」絵・西銘生一)を寄せたが未発表のうちに急逝し遂に遺稿となった享年41」とある。

関連資料ー2001年9月『けーし風』第32号「特集 旧南洋群島のウチナーンチュ」

伊東忠太、伊波普猷、岩田準一(琉球の男色を調査)、巌谷小波、大宅壮一、喜田貞吉(1933年1月 『沖縄教育』第百九十八号<昭和会館落成記念>□喜田貞吉「琉球民族の研究に就いて」)金城朝永、東郷青児、西村眞次、宮尾しげを、①饒平名紀芳らが居る。

1938年4月19日『琉球新報』「饒平名紀芳氏 7年振に帰る」

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□1932年1月『犯罪科学』
危機を探るー伊奈信男①
犯罪と藝術の交錯ー長谷川如是閑②/犯罪時評ー淡海浩/ドル買は犯罪か?
<結婚とは何ぞや>
輓近結婚問題とその傾向ー赤神良譲/結婚制度発達史話ー渡邊稔/近親婚の禁止と其起源ー古賀斌/多妻一夫結婚論ー上田恭輔/一妻多夫発生の原因を観るー山守晃三郎/乱婚異説ー芳田辰夫/朝鮮結婚風俗誌ー師尾源蔵/寒帯土人風俗と性生活ー田島純吉/性器崇拝ー北野博美③/メラネシア群島に於ける婚姻奇習ー大和紀彦

猿とその生態・性生活ー中西悟堂/頭蓋骨崇拝ー金城朝永/御所役人に働きかける女スパイー三田村鳶魚④/トム・ムネイ事件ー木村毅/ハシリガネー岩田準一⑥

①いなのぶお【伊奈信男】
1898‐1978(明治31‐昭和53)
日本の代表的な写真評論家,写真史家。松山生れ。1922年東京大学美学美術史科卒業。32年《光画》創刊に参加。その創刊号に〈写真に帰れ〉を発表。これは従来の印象批評を排して写真芸術の〈機械的メディアの特性〉を強調,写真の本質を追究したもので,日本に近代的な写真批評を確立した論文とされる。reportage photoを最初に〈報道写真〉と訳し,この分野の体系を明らかにした。第2次大戦後は評論活動のほか,日本写真協会常任理事などを務めた。(→コトバンク)

②はせがわにょぜかん【長谷川如是閑】
1875‐1969(明治8‐昭和44)
明治・大正・昭和期3代にわたって活躍したジャーナリスト,評論家。本名万次郎。東京深川に生まれる。もと山本姓であったが,1884年,曾祖母の養子となり改姓。父は材木商として成功し,1883年浅草で〈花屋敷〉と称する動物園なども備えた娯楽センターを経営したが,長谷川の少・青年期にしばしば事業に失敗,倒産,再建を繰り返した。98年東京法学院(中央大学の前身)を卒業,1903年,かねてから〈罪人の研究〉(60回連載)などを寄稿していた日本新聞社に入社した。(→コトバンク)

③民俗学者、北野博美について知りたい。 1893(明治26)年1月28日?1948(昭和23)年3月7日。福井市乾上町に福井藩士文蔵の長男として生まれる。本名は文次郎。14?5歳より地元福井で新聞記者となり、その後しばらくは旅役者とともにどさ回りの生活をしていた。折口学に傾倒し、日本民俗学協会の幹事として「日本民俗」を編集した。 (→山梨県立図書館)

④みたむらえんぎょ【三田村鳶魚】
1870‐1952(明治3‐昭和27)
江戸研究家。東京八王子に,三田村善平の次男として生まれた。本名玄竜。20歳ごろまでは三多摩の壮士として活動したという。1894年《中外商業新聞》の記者として日清戦争に従軍したが,病を得て帰国,寛永寺の大照円朗を知り,戦後,得度受戒した。30歳のときより執筆を始め《読売新聞》に掲載されたが,1903年甲府で《山梨日日新聞》などの記者となってより〈甲斐方言考〉を《風俗画報》に連載し,水戸,名古屋へと移るに従って,近世研究に入っていった。(→コトバンク)


⑥岩田準一 いわた-じゅんいち
1900-1945 昭和時代前期の挿絵画家,民俗研究家。
明治33年3月19日生まれ。中学時代から竹久夢二と親交をもつ。江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」「鏡地獄」などに挿絵をかく。郷里三重県志摩地方の民俗伝承の研究や,男色の研究でも知られ,南方熊楠(みなかた-くまぐす)との往復書簡がある。昭和20年2月14日死去。46歳。文化学院卒。旧姓は宮瀬。著作に「志摩のはしりかね」など。(→コトバンク)


中村 圭子【編】『石原豪人―「エロス」と「怪奇」を描いたイラストレーター』 (新装版)河出書房新社(2010/08)

最近ブログ上に「大英博物館の春画展」が話題となっているがブログではボカシが入っている。普通の画像検索はそうでもない。