2000年4月23日『沖縄タイムス』新城栄徳(書評)ー松原一枝『改造社と山本実彦』南方新社

改造文庫

写真/山本実彦
生年: 明治18.1.5 (1885)
没年: 昭和27.7.1 (1952)
大正昭和期の出版経営者,政治家。鹿児島県川内に生まれる。日大卒業。『やまと新聞』ロンドン特派員,『門司新報』主筆などを経て,大正4(1915)年東京毎日新聞社主に就任。8年,改造社を創立,総合雑誌『改造』を創刊。当時の民主主義運動,社会運動の波に乗って,同誌を『中央公論』とならぶ有力雑誌に育てた。また,昭和初期には大規模な予約全集企画『現代日本文学全集』を成功させ,1冊1円のいわゆる円本ブームの先駆者となった。昭和5(1930)年衆院議員に当選。戦後,再び改造社を起こしたが,病没。時流に敏感な出版経営者であった。 →コトバンク


2003年 『林芙美子 生誕100年記念』「1929年10月『改造』林芙美子「九州炭坑街放浪記」/1930年7月 林芙美子『放浪記』 11月『続放浪記』」


2000年4月23日『沖縄タイムス』新城栄徳(書評)ー松原一枝『改造社と山本実彦』南方新社/改造社と言えば、私はすぐに布装の「改造文庫」を思い出すが、「改造社と山本実彦」は、実彦の生まれ故郷に「生誕の地」の表示と墓が在ることや、家族からの証言で新事実を気づかせてくれる。沖縄にゆかりがある日本の代表的出版人は講談社創立者の野間清治と実彦をまず数えるが、ここでは実彦と沖縄とのかかわりを補注して任をおえよう。

1916年の実彦著「我観南国」①に「国頭會遊の山河を遥望す、与那覇岳は比嘉賀栄、金城永寛、宮城久輝(聡)、比嘉蒲太郎、平良親一の徒と幾回か登擧(略)名護湾の思い出と共に故人平良保一を思わざるを得ざりき」と記され、続けて「黒岩先生は饒平名君と共に沖台砂糖会社の工場まで迎えに来られた」と、13,4年ぶりの沖縄で友人たちと会い、かつ亡くなった友人たちをしのんでいる。
①1916年7月 山本實彦『我観南國』東京堂書店



思わざるを得ざりき故人とは、放浪詩人で知られる池宮城積宝の「平良保一伝」(「うるま新報)には「保一氏はよく人を見るの明があり、後の改造社の山本実彦が越来村にいたのを見いだして大宜味村に迎え、いろいろ世話をしてやった。山本氏は出世して後、保一氏の恩愛を忘れずしきりに感謝渇仰の意を表し『随分沢山の人に逢ったが平良保一氏ほど立派」な人はいなかった』と話していた」とある。保一氏は謝花昇の意志を継いで民権伸長を推進したとも紹介している。

前出の宮城久輝は67年「新沖縄文学」第7号から「文学と私」を連載した。実彦の国頭尋常小学校代用教員時代の教え子であった関係で改造社に入社した経緯を記し、改造社前でのアインシュタイン博士の来日記念で博士のすぐ後ろに宮城が写っている写真が掲載されている。
最後に、沖縄の地名の誤記、初歩的な人名(菊池を菊地)の誤植があり、年譜を付けるなど、編集に配慮がほしかった。総じて分かりやすく山本実彦を知る最適の入門書ではある。

下左ー宮城聡/師範学校学生/ハワイ

上ーアインシュタインの右が山本実彦改造社社長、後ろに宮城聡

アインシュタインの来日は改造社という一出社の招聘によるものであった。改造社の社長山本実彦は、社の一大事業としてアインシュタイン招聘に奔走し大学関係者と帝国学士院を巻き込んで、来日を実現させたのである。アインシュタインは1922年(大正11年)10月8日にマルセーユを日本郵船「北野丸」で出港し、11月17日に神戸に入港した。途中12日夜、香港で「光量子仮説」に対して贈られたノーベル物理学賞受賞の電報を受け取っている。アインシュタインは、熱狂的な歓迎を各地で受ける。12月29日までの滞在の間に多数の講演を行い、また連日の歓迎会に出席してスピーチをした。→東大総合研究博物館

宮城聡
1895年5月22日、国頭村奥間に生まれる。
沖縄師範学校を1916年に卒業し、伊是名尋常高等小学校訓導、国頭尋常高等小学校訓導を経て、1921年8月上京。改造社に入社。
1934年3月、里見弴の推薦で「故郷は地球」「生活の誕生」で文壇にデビュー。1991年12月1日、老衰のため死去。□→1991年1月ー沖縄タイムス社『沖縄近代文芸作品集』(新沖縄文学別冊)「宮城聡」

里見弴
1888-1983 明治-昭和時代の小説家。
明治21年7月14日生まれ。有島武の子。有島武郎(たけお),有島生馬(いくま)の弟。志賀直哉の影響をうけ,明治43年「白樺」の創刊にくわわる。大正5年短編集「善心悪心」でみとめられる。8年久米正雄らと「人間」を創刊。「多情仏心」「安城家の兄弟」と長編の代表作をかきつぎ,戦後は「極楽とんぼ」などを発表した。昭和34年文化勲章。昭和58年1月21日死去。94歳。神奈川県出身。東京帝大中退。本名は山内英夫。(→コトバンク)


里見弴と宮城夫妻/中段右が石野径一郎、宮城聡

主亡き部屋

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写真上左ー1958年6月、川端康成に大宜味喜如嘉の高倉を説明する宮城聡。右ー左から宮城聡夫妻、新城栄徳、比嘉晴二郎氏(國吉眞哲撮影)/写真下ー左・宮城聡夫妻、前が國吉眞哲氏、後が比嘉晴二郎氏(新城栄徳撮影)

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那覇在住の宮城聡宛の手紙、葉書

2011年2月6日の『沖縄タイムス』に仲程昌徳氏が宮城聡さんのことを紹介しておられる。宮城さんの「故郷は地球」という言葉がすばらしいと強調していた。

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