1947年2月 大羽綾子 抄訳『ぺルリ提督遠征記』酣燈社

1950年1月24日 Performance of "Visit by Commodore Perry" by the Okinawan Theatrical League, in collaboration with the USCAR Public Information Office.
1953年5月20日『沖縄タイムス』「横浜に提督の血をひくぺルリ中佐」
1953年5月21日『沖縄タイムス』ジェームス・タル(前民政府民間情報教育課長)「ぺルリ提督と琉球ーぺルリの琉球の住民ならびにその文化についてのこまかいまでの知識は彼の来沖前40年位に沖縄を訪れた一英国士官キャプテン・バジル・ホールの報告書から得られたものであると思われます。・・・」
1953年5月21日『琉球新報』島袋全発「ぺルリ提督来琉のころ」
1953年5月23日『沖縄タイムス』新屋敷幸繁「ぺルリ百年祭/来ぺルリと私たち」
1953年5月24日『沖縄タイムス』川平朝申「ぺルリ提督と琉球」
1953年5月25日『琉球新報』山里永吉「戯曲ぺルリ日記に就て」
1953年5月25日『沖縄朝日新聞』「ぺルリ来琉夜話」


1954年4月

1954年11月 相原良一『天保八年 米船モリソン号渡来の研究』野人社(光文社内)

1955年3月31日 鳩山首相、平和維持に原爆貯蔵やむなしと衆議院外務委で答弁(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1955年4月11日 通産省に原子力課発足(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1955年6月 大阪で「沖縄関係資料室」発足
1955年6月18日 原子力利用調査会発足(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1955年8月6日 第一回原水爆禁止世界大会開催(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1955年9月27日 横田基地拡張を地元受諾(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)

1955年10月1日『バズィル・ホール大琉球島探検航海記』琉球新報社(親泊政博)
神村朝堅の編集協力で増補改訂版として発行された。この本の経緯を須藤は1955年10月17日『琉球新報』に「翻訳と出版ー「大琉球島航海記をめぐって」と題し述べている。それによれば、金城朝永もすでに『バズィル・ホール大琉球島航海記』の譯を完成していたようだ。
1955年10月12日『琉球新報』仲原善忠「バズィル・ホール大琉球島航海記ー善意の交響楽」
1955年10月16日 古代算法の資料収集に 須藤教授15年ぶりに来島/南風原朝保「バズィル・ホール大琉球島航海記について」

1955年10月23日『琉球新報』

1955年10月28日 原子力研究所発足(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)

1955年10月31日『琉球新報』須藤利一「石ガントウについて(1)」
1955年11月4日『琉球新報』「立派に育った博物館に 産みの親ハンナ氏感慨新た」
1955年11月9日『琉球新報』「座談会/ハンナ博士と沖縄①戦後沖縄文化の再興をめぐって」

1955年11月15日 日米原子力協定調印(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1955年12月19日 原子力基本法公布(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1956年7月1日 大阪で沖縄軍用地の永代買上案に反対する国民大会(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1957年5月7日 岸首相、核兵器保有は自衛権範囲内なら可能と参議院内閣委で答弁(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1957年8月27日 原子の火、茨城県東海村で初点火(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1958年4月1日 売春防止法施行(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)
1958年5月『今日の琉球』親泊政博「ぺルリ来琉」


1958年8月19日『琉球新報』田幸正平「琉球鼓」金城安太郎・画□バズイル・ホールの大琉球航海記は小説そのままの歴史的文献だが、それを背景にして、琉球の人々の姿を描いてみたいと思ったのが筆を執らしめた大きな原因である(田幸正平『琉球新報』、1958年11月1日)

1958年10月14日 米NBC放送で、岸首相「憲法9条廃棄の時」と語ったこと問題化(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)

1960年5月『今日の琉球』津山彬「二十四年前のぺルリ祭を想うーまだ生きているグルー氏の言葉ー」/「写真・ぺルリ来琉百五周年を迎えて」

1960年6月23日 日米新安保条約発効(1991年3月 三省堂『戦後史大事典』)

1961年3月『守礼の光』波平信光「黒船訪琉記」
1962年、西平守晴、沖縄青少年雇用主協会設立事務責任者兼事務局長

1962年4月『今日の琉球』大嶺信一「母と子」/1969年3月 新城喜一「春」
1962年6月 外間政章・訳注『ペリー提督沖縄訪問記』
1962年9月『今日の琉球』  川平朝申「郷土の歩みー若き人々のための琉球歴史ー39」○尚灝王と異国船の渡来ーマクレオツド『アルセスト号の支那、朝鮮及び琉球島航海記』1817ロンドン、バジル・ホール『朝鮮西沿岸及び大琉球島探検航海記』1818ロンドン、須藤利一・・・


1962年10月『守礼の光』ジョン・マクレオド「英艦アルセスト号琉球航海記(1)」(画像・アルセスト号艦長マリー・マックスウエル大佐/英艦ライラ号艦長バジル・ホール大佐)/外間政章「1854年に結ばれた琉米条約」
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1962年、真喜志康忠優の関西公演のとき京都五条坂の河井寛次郎からの招待を受け西平守晴(沖縄関係資料室主宰)の案内で訪ねる。帰り河井作品を貰ったのは言うまでもない。
写真は左から西平守晴、真喜志康忠夫妻、河井寛次郎夫妻
1962年10月『今日の琉球』  川平朝申「郷土の歩みー若き人々のための琉球歴史ー40」○尚灝王と異国船の渡来②
1962年11月『今日の琉球』  川平朝申「郷土の歩みー若き人々のための琉球歴史ー41」○ベッテルハイムの琉球滞在
1963年7月 『今日の琉球』「写真/百九年後の親善のかけ橋ーぺルリ来琉時代 琉球に派遣された米海軍士官(ジョンМ・ブルーク)の孫にあたるジョージМ・ブルーク博士(ヴァジニア軍大学米国史教授)が来琉。那覇琉米文化会館の琉球研究会。中山盛茂、与那城朝惇、外間政章、照屋善彦、シャノン・マキューン初代民政官.」

1964年2月 『オキナワグラフ』ハワイ支局(青木富子)開設
1964年2月 『守礼の光』「ハワイの印象②」
1964年5月 『守礼の光』「偉大な老兵マッカーサー元帥の死をいたむ」
1964年  比嘉良治、渡米しアート・スチューデンツ・リーグで学ぶ

1964年6月『守礼の光』大嶺薫「シュープ大将に招かれて」
1964年7月『今日の琉球』「琉米親善のきずな/ぺルリ提督記念碑の地鎮祭 泊の上陸地点で盛大に行う」
1964年8月『今日の琉球』「ぺルリ提督記念碑除幕式」 
1965年4月 『オキナワグラフ』ハワイ支局長に我那覇武三/8月 『オキナワグラフ』「移民65周年記念 ハワイ特集号」
1965年4月 『守礼の光』仲泊良夫「琉球偉人伝 移民の父・当山久三①」
東と西の合流点 ハワイ文化センター」
1965年5月『今日の琉球』外間政章「”琉球人とアメリカ人が常に友人たらんことを〟ーぺルリ来島当時の琉球ー」





1963年1月 『月刊沖縄』「はだかのインタビュー①比嘉良篤」
○・・・月刊沖縄の、西平守晴関西支局長がきた。大阪の県人有志が、集団就職できている若い人たちを、夜学にでも行かせようと、今、基金を作っているから、アドバイスしてくれーという西平氏の話には一も二もなく賛成した・・・。

1964年3月『オキナワグラフ』「座談会ー沖縄娘は働き者」(西平守晴・雇用主協会事務局長)


1964年7月『オキナワグラフ』「大阪沖縄県人連合会主催/第二回関西沖縄芸能祭(企画編成・西平守晴)」

1965年11月『オキナワグラフ』「大浜先生の栄誉を讃えてー勲一等を祝う大阪の会」

1966年 左側手前から喜納政泰、安里嗣副、比屋根有信、西平守晴、山端立昌、名嘉正成、翁長良孝
1966年2月 『オキナワグラフ』(表紙・翁長千鶴子)「翁長千鶴子×西平守晴沖縄グラフ大阪支局長」「希望訪問・知ってもらいたい大阪の愛郷心ー翁長良孝氏」


○1969年11 『オキナワグラフ』「大阪のリーダー翁長良孝さん逝く」




1966年 沖縄タイムス社『現代沖縄人物3千人』


1966年5月『今日の琉球』外間政章「ぺルリ提督の首里城訪問」

1966年6月『オキナワグラフ』「共感を呼んだ松岡構想」(大阪松友会事務局長)


1966年7月『今日の琉球』「ぺルリ提督の首里城訪問を再現」

1967年3月19日『サンケイスポーツ』「座談会ー働く沖縄青少年のために」(司会・西平守晴)
1967年




5月26日『琉球新報』「私費で『沖縄関係資料室』つくる大阪・西平守晴さん」/5月、沖縄八重山芸能公演会(西平守晴企画構成)

1968年6月『今日の琉球』「那覇商工祭を飾るぺルリ仮装行列」


1968年10月9日『沖縄時報』「大阪に沖縄関係資料室を開設」