1965年5月 沖縄興信所(代表・大宜味朝徳)『琉球紳士録』「本土在住琉球紳士録」

写真左から外間盛安、仲嶺真助、安里貞雄/知念精吉、具志保男、天願保永/津嘉山朝吉、儀間真福、新里与旌
1965年12月 『守礼の光』「実現間近い家庭用原子力発電」
1966年5月ー『オキナワグラフ』「ハワイだよりー髙江洲敏子さん」
1966年10月 『守礼の光』坂本万七「写真・伊藤若冲」
1967年3月  『守礼の光』せそこ・ちずえ「琉球昔話 空を飛ぼうとした男(安里周当)」、比屋根忠彦「久高島のイザイホー」

1967年12月  『守礼の光』「5年後に110階建て 世界貿易センター出現」
1968年2月  『守礼の光』「現代にも呼びかけるエイブラハム・リンカーンのことば」「アジア地区米陸軍特殊活動隊 粟国・渡名喜両島で奉仕活動」「原子力科学者が語る未来の原子力『食品工場』」
1968年4月  『守礼の光』ジョン・A・バーンズ(ハワイ知事)「琉球の文化的姉妹島ハワイ」
1969年5月  『守礼の光』宮国信栄」「放射能はどこまで人体に安全か」

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1969年10月3日『毎日新聞』「本土のなかの沖縄ー私設沖縄文庫」

1969年7月 『今日の琉球』亀川正東「アメリカ文学の話(107)死んだアプトン・シンクレアのこと」

1969年9月 チェンバレン著/高梨健吉訳『日本事物誌』(東洋文庫)平凡社
○日本語(Language)琉球列島で話されている姉妹語を除けば、日本語には同族語はない。/琉球(Luchu)土地の人はドゥーチューと発音し、日本人はリューキューと呼ぶ。琉球人は、民族と言語の点で日本人と密接に結びついている。しかし多くの世紀のあいだ両民族はお互いに交渉がなかったように思われる。

1972年2月号『青い海』10号 「若者が集う『沖縄関係資料室』の西平守晴氏宅」

□ここで資料の内容の一部を紹介しよう。開設当時200冊足らずだった書籍・雑誌は、現在約3200冊。新聞や週刊誌などのスクラップが300冊。沖縄に関する資料については、関西隋一と言われる。▽人物関係ー「謝花昇伝」「平良辰雄回顧録」「伊波普猷選集」などの伝記、回顧録、全集もの。▽市町村関係ー「北谷村誌」「南大東村誌」 比嘉景常「久米島紀行」など。▽歴史関係ー「沖縄県史」(直接主席から贈呈される。関西では天理図書館と資料室ぐらいだろうとの話) 「琉球建築」 田代安定「沖縄結縄考」 金城朝永「異態習俗考」や戦史・戦記もの。▽文芸関係ー「山之口貘詩集」「新沖縄文学」や大城立裕、石野径一郎、霜田正次、石川文一などの諸作品。▽芸能関係ー「組踊大観」「工工四」など。▽政府刊行物ー「立法院議事録」 白書類。▽ミニコミー「沖縄差別」「石の声」「沖縄月報」「寮友」「琉大文学」や本土各大学の県学生会の機関誌・パンフなど。▽地図ー「首里古地図」その他。これらの資料を整理したり、購入したり目録をつくるなど、一人でするにはたいへんな仕事である。西平守晴さんは保育園の仕事もあり忙しいので、現在もっぱら新城栄徳君(23)が動きまわっている。
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1972年6月の『豊川忠進先生の長寿を祝う会』では、沖縄の又吉真三氏から文化財の碑文の拓本を借りて展示して参加者を感動させ、平良盛吉翁らを豊川氏の隣りに座らせて感激させた。」

平良盛吉□→1991年1月『沖縄近代文芸作品集』(新沖縄文学別冊)平良盛吉「村の先生」/平良盛吉(1890年8月28日~1977年6月28日)1912年、沖縄ではじめての総合文化誌『新沖縄』を創刊。琉球音楽研究家。『関西沖縄開発史』の著がある。□→2009年5月『うるまネシア』第10号/新城栄徳「失われた時を求めてー近鉄奈良線永和駅近くに平良盛吉氏が住んでおられた。息子が1歳のとき遊びに行ったら誕生祝をいただいた。袋は今もある」
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1975年2月16日『沖縄タイムス』石原英夫「話題の広場/西平守晴ー離島の子供たちに文化の灯を」/6月23日石原英夫「がじゅまるの会」

1976年1月10日『サンデー沖縄』「沖縄資料室を開放ー西平守晴」

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写真ー左・息子と西平守晴さん
1978年4月 友寄英一郎『西洋史稿』琉球大学史学会○異国船琉球来航史ノート

1980年5月15日『朝日新聞』(大阪版)「西平守晴ー琉歌でつづる沖縄戦後史」

1982年6月、沖縄県人会兵庫県本部『ここに榕樹ありー沖縄県人会兵庫県本部35年史』(新城栄徳資料提供)

1980年11月『南島史学』第一六号
○室町幕府と琉球との関係の一考察・・・・・・・・・・・・・・・・田中健夫

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1980年11月24日ー豊中市立婦人会館で開かれた南島史学会第9回研究大会。右手前2人目が安良城盛昭氏と牧野清氏、左端が喜舎場一隆氏同日、受付の永峰眞名さんに安良城盛昭氏を確認してもらう。大会終了後、安良城氏を都島の沖縄関係資料室まで案内。色々と歓談する。資料室で自著を見つけた安良城氏が本代を払いそれに署名献本した。このとき以来、理論嫌いな私でも沖縄出身の理論家については、これ傾聴に努めることにした。


1981年ー第17回 沖縄県印刷人大会で、左端が西平守晴の従兄弟、西平守栄会長。隣が後の仲井眞知事

1982年2月『南島史学』第一九号
○原琉球語をたどるー鍬・蜻蛉・蚊などー・・・・・・・・・・・・・・・・・・中本正智
○奄美の民族に関する既刊文献の状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山下欣一

1982年9月『南島史学』第20号
○江戸時代の「琉球」認識ー新井白石・白尾国柱・伴信友ー・・・・・横山學
○ハワイ沖縄県人の団結力・・・・・・・・・・・・・・・・・・崎原貢



1984年9月『南島史学』第24号
○琉球の稀書について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岸秋正


1986年7月 ベイジル・ホール著/春名徹 訳『朝鮮・琉球航海記』岩波文庫


沖縄都ホテルで新城栄徳と元沖縄都ホテル社長・桑原守也氏

1987年4月『南島史学』第29号
○続・琉球の稀書について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岸秋正




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「川平朝申氏寄贈写真」(那覇市歴史博物館所蔵)写真後方左が西平守晴、前右が川平朝申

1986年、岩波文庫から春名徹訳でベイジル・ホール『朝鮮・琉球航海記』が出ているが解説に「第一に、須藤利一氏のこの学恩に対して謝意を表したい」とする。

1987年8月 ラブ・オーシュリー/上原正稔 編『青い目が見た大琉球』ニライ社



1987年10月2日~12月9日 沖縄県立海洋博記念沖縄館「異邦人が見た大琉球展」

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写真ー窪徳忠御夫妻を囲んで、石垣繁氏、石垣博孝氏

1988年5月ー西村朝日太郎、新城栄徳宛手紙「岸畑久吉氏早大文学部の主事を永らく勤めていた方で小生にとっても懐かしい方です」

1989年4月 大熊良一『セント・ヘレナのナポレオン』近藤出版社


1990年3月 太田雄三『B・H・チェンバレンー日欧間の往復運動に生きた世界人』リブロポート



1992年9月19日~10月23日 浦添市美術館「世界に誇る・琉球王朝文化遺宝展ーヨーロッパ・アメリカ秘蔵ー」

1993年4月 中島昭子・小川小百合 訳『幕末日仏交流記 フォルカード神父の琉球日記』中公文庫
1993年10月『南島史学』第42号
○琉球に関する二つの考察ー皮弁と国門・・・・・・・・・・・・原田禹雄

1994年5月『南島史学』第43号
○琉球の遊女と真宗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・知名定寛


1996年12月、池島保育園で左が西平守晴さん、新城栄徳


2000年11月『宮良當壯記念論集』宮良當壯生誕百年記念事業期成会(石垣繁)「期成会大阪支部長・西平守晴」