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歌誌『梯梧の花』

2016年10月 梯梧の花短歌会『合同歌集ⅤⅢ 梯梧の花』発行所 〒902-0061 那覇市古島2-18-12 島袋盛慎方



仲里正雄・撮影「デイゴ」
原産をインドとする沖縄が北限のマメ科喬木落葉樹。3〜5月に独特の枝ぶりに、深紅色の燃え立つような花を咲かせる。南国沖縄を象徴し、観光資源として大きな効果があること、また幹は漆器の材料として用いられ経済的価値も高いという理由で、昭和47年に県の花として制定された。(→沖縄大百科)


2011年9月18日『琉球新報』喜納勝代(すみれ歌会主宰)『合同歌集VII 梯梧の花』 強く生きた足跡を描写
 海底プレートの揺らぎで思わぬ東日本大震災が起こった。映像を見る限り焦土と化した沖縄戦がよみがえった。東北の人々は勇気を持って立ち上がってほしい。『合同歌集VII 梯梧(でいご)の花』が通巻80号記念号として発刊された。出詠者は21人、1人30首で630首を収めている。表紙は紺碧の空に映える真っ赤なデイゴの花である。沖縄のナイーブな詩歌がデイゴの花のように命あふれている歌群である。
 「梯梧の花」の創刊は昭和3(1928)年。今から83年前に結成された、沖縄では最も長い歴史のある短歌結社である。それは会員の質の高い知性とたゆまぬ努力の賜物であろう。会員の吉川安一は「はじめに」の一文で「短歌は、多くの人に愛され詠まれ、短歌人口を形成する。歌人は、人生の季節を重ね、歌歴を積んで、短歌創造の喜びを味わう」と説いている。「梯梧の花」の先輩歌人たちがほとんど逝去した今日、今の歌人たちがしっかりと受け継いでほしい。昭和50年代に私も時々同会に参加させていただいたが男性が多かった。現在は女性が多く、頼もしく思う。
 多くの会員が歌集を出すベテラン歌人たちである。長い年月を経て詠まれた歌作には優しさと厳しさを感じさせる。沖縄の厳しい現実と相対しながら自然や家族、戦争、基地、生活諸般を詠む。時にせつなく、またたくましく生きてきた足跡が細やかに短歌に描写される。本書は沖縄のソフト面を知る手近な手引書になるのではないだろうか。
 サイパンの戦場は仲村繁一の作品で学び、沖縄戦は長田紀春の歌を読むとつらくなる。私も幼いころに南部を逃げ回った記憶があるので身につまされる。沖縄戦がもたらした基地の問題は未解決のまま宙ぶらりんになっている。人間の鎖に参加したそれらの短歌にも共感したが、一番つらかったのはサイパンや地上戦の悲痛な叫びである。沖縄の自然詠や家族の歌には心が和んだ。それぞれ個性が磨かれていて粒ぞろいである。より一層の努力で先輩歌人たちを乗り越えてほしい。

1976年10月27日ー久茂地文庫開設

写真・久茂地文庫で、右端が真喜志康徳氏、4人目、屋部公子さん、喜納勝代さん
1978年5月ー久茂地文庫1周年記念文集『照千一隅』


左から屋部公子さん、喜納勝代さん、船越義彰氏、星雅彦氏、新川明氏


2015年8月『月刊琉球』 <500円+消費税> Ryukyu企画〒901-2226 宜野湾市嘉数4-17-16  ☎098-943-6945 FAX098-943-6947□『月刊琉球』はジュンク堂那覇店でもバックナンバーで揃っています。

2015年1月『月刊琉球』12・1月合併号の「麦門冬の周辺」から始まって、今回の山城正忠で一区切りがついた。1991年1月発行の『沖縄近代文芸作品集』(新沖縄文学別冊)に「アルバム 麦門冬と正忠ー近代沖縄文壇の二大山脈」、正忠の文芸4作品、麦門冬文芸1作品を掲載したが、今回の連載はその補遺とも増補とも考えてよい。

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新聞写真ー真教寺の啄木碑の前で、左から真栄里泰山氏、屋部公子さん
2013年1月3日ー久米の屋部公子さんから2012年10月31日発行の『岩手日報』が贈られてきた。真教寺の啄木碑が紹介されていた。そういえば昨年は石川啄木没後100年であった。

taizan[日本最南端の石川啄木歌碑]
毎度勝手にお邪魔します。情報提供です。
日本最南端の啄木歌碑を共産党歌人後援会という団体が紹介してくれました。建立してから38年。この歌碑もだんだん知られるようになりました。嬉しいことです。一昨年は、岩手日報が全紙で各地の啄木歌碑を連載しましたが、その時にも、琉球新報歌壇の選者。屋部公子先生と一緒に大きく紹介してくれました。故山城正忠、国吉真哲さんも喜んでくれていることでしょう。2015年8月5日