1930年3月『日本風俗地理大系 弟12巻/九州地方<上>琉球列島』新光社

1930年3月『大東京寫眞帖』忠誠堂(東京市神田区今川小路/高倉嘉夫)〇この写真帖を見られた人々は、東京が革命的な外観的変化をしたことに感嘆されるであろう。それはまったく東京生まれの、東京っ兒でさえが驚く有様であるから、古い写真帖で東京を見ていた地方の人々は更により大きな驚きを感ぜられると思う。新東京を概観すると、道路の総坪数が震災前までは二百八十萬坪であったものが、今では全道路坪数が全市総面積の二割五分を占めることとなり、ロンドンの二割三分を凌駕して、世界一を誇るパリの二割五分と比肩するのだから、これだけでも世界一か二とまで偉くなったわけだ。
 品川から千住まで蜿蜒として貫く道路。十三キロ半、街路にはプラタナスの並木が街を緑化している。そしてその町の左右に立ち並ぶ建物は、表現派、分離派、ライト式、ロマネスク、正統派、曰く何々派に何々式等々々で、その変化に富んだことは、世界建築のデパートを開いたかの観がある。一部の都市美研究家は、「東京はまだまだ汚い」というが裏から見ればそれは完全ではないかも知れないが、道路、建築、公園等を見れば、何といっても革命的に美化したものである。どうぞ、東京人が彼の震災から焼野ケ原と化した、その焦土の上に涙ぐましい努力努力の結晶として打ち建てた新東京の姿を見てやって下さい。

銀座は正に首都の心臓である。試みに夜、尾張町の角に立って街上の風景を見るがよい。電車のスパーク、自動車の警笛、オートバイの爆音、ショーウインドーのきらめき、広告塔の明滅、交通整理のゴー・ストップの青と赤、人間の波、波、男、男、女、女の波である。新しいのも古いのも、お好み次第。新橋から京橋までの両側は悉く一流の商店、カフエー、買いたいものは遠慮なく買ふべく、飲みたい酒は遠慮なく飲むべしである。カフエーはタイガー、ライオン、クロネコなどと動物園見た様だが、中にはきれいな女給さんが、吾人の至るを待っているといふ次第、裏通りにはサイセリア、アホヒ、モンマルトル、メーゾンヤエ、など超モダンの酒場(バー)がある。カフエーがモダン過ぎて困るとなれば、天金の天ぷら、竹葉のうなぎ、上海亭の支那料理、更科のそばなど味覚を楽しませることであろう。お土産を買ふならば、デパートメントに松屋、松坂屋があり、服部、天賞堂等もある。銀座の通りをブラブラと歩いているうちに、いつの間にか京橋を渡り、日本橋通りへ出る。日本橋通り一丁目には、呉服店として江戸時代からその名を謳われた白木屋が、近代的流行の百貨店として橋向ふの三越と相対している。



神田は書店と学校の多いことで、東京市中に異色をはなっている。学校には明治大学、商科大学、中央大学、専修大学、その他私立の中学校、受験予備校があり、書店には古書専門、法律専門、何々専門とこの街に来れば手に入らぬ書籍なしとされている。(略)神田の街が尽きたところに、九段の坂があり、登れば高燈籠と鳥居が聳えて、護国の英霊を祀る別格官幣社靖国神社、本殿を拝して傍なる遊就館に入り各戦役の戦利品、我国の銘刀、乃木将軍の遺物などを見る。九段の傍らには近衛一聯隊の兵舎があり、宮闕守護の干城、ラッパの音もいとど勇ましい。



西郷さんの銅像の前に立って見る。復興の東京は実によく展望できるのだ。それに彰義隊の墓、清水堂、東照宮、五重塔などは徳川将軍家時代の江戸の遺物、趣味も大分懐古的になるが、それでは古い、新しい趣味を求めたいならば、東京府の美術館、帝展、院展、二科、南画展その他一年中展覧会の開かれざるはないから、ここで一つ近代的審美眼といふやつを養って、更に古代の美の世界に遊ぶべく東京帝室博物館があり、美術学校、音楽学校、寛永寺の徳川家廟、子供連れならば動物園にも一寸這入って見る。それらを一巡して山を下れば、不忍の池、池の中央に弁財天、観月橋を渡ればそこには博覧会の会場が、いつも何らかの催しをやっている。







1930(昭和5)年9月1日 本所陸軍被服廠跡に震災記念堂(伊東忠太設計)完成









1930(昭和5)年 8月 島袋全発『那覇変遷記』  

日本八景名所図絵 (1930年出版)
 『主婦の友』第14巻8号(昭和5年8月)の付録として刊行されたものです。日本八景とは、当時の観光ブームに乗って、毎日新聞社が河川、湖沼、渓谷等の8部門で葉書による投票を募集し、選定したもので、それぞれの部門で1位になった場所を描いています。この図絵の解説「絵に添えて一筆」で、初三郎が自身の「観光」観を披露していますが、家族旅行の効用を説き、しかもそれは、一家の主婦によって提唱されるべきものであると強調しています。→「京都府」

1930(昭和5)年 10月 伊波南哲『詩集・銅鑼の憂鬱』詩之家出版部

1930(昭和5)年 10月27日 鎌倉秀雄、東京都に生まれる

1930(昭和5)年 11月 与座弘晴、『読書新聞』創刊

1930(昭和5)年 11月5日 大原美術館(倉敷)開館

1930(昭和5)年 11月14日 濱口雄幸総理大臣は現在の岡山県浅口市で行われる陸軍の演習の視察と、昭和天皇の行幸への付き添い及び自身の国帰りも兼ねて、午前9時発の神戸行き特急「燕」に乗車するため東京駅を訪れる。午前8時58分、「燕」の1号車に向かって第4ホームを移動中、愛国社社員の佐郷屋留雄に至近距離から銃撃された。→ウィキ

1930(昭和5)年  この年 芝浦製作所、国産初の電気洗濯機、冷蔵庫を製造販売
     世界恐慌日本に波及~1932年 

1931年  山元恵一、沖縄県立第二中学校卒業 同期生ー西村菊雄、八木明徳、山田有勝、又吉康哉、南風原英佳、与那原良規