03/10: 1980年5月ー藤原南風『新奄美史』奄美春秋社
1899年6月ー西村時彦『南島偉功傳』誠之堂書店(東京)
1935年5月ー永長信雄編『奄美大島歴史物語』中央大学奄美学友会
1938年1月ー文英吉『南島』新年号□南島社(名瀬町)
1947年2月ー『自由』第2巻第1号□自由社ー重江国雄、肥後豊
1950年5月ー『大奄美年鑑』奄美文明社(藤原岡恵)
1953年9月ー週刊『琉球国際新聞』琉球国際新聞社(藤原岡恵)
1956年4月ー九学会連合奄美大島共同調査委員会『奄美の島々』毎日新聞社
1960年6月ー島尾敏雄『離島の幸福・離島の不幸』未来社
1964年4月ー外間正栄・福地曠昭『復帰10年目の奄美教育の現状』沖縄教職員会
1964年6月ー奄美郷土研究会(島尾敏雄)『奄美郷土研究会報』第6号
1964年12月ー栄喜久元『奄美大島・与論島の民俗』
1971年1月ー沖縄文化協会『沖縄文化』33・34号「奄美特集」
1971年3月ー昇曙夢『大奄美史』奄美社
1971年11月ー南潮時報社(田村佐衛源・芦屋市)『南潮時報』第232号
1972年10月ー鹿南太陽新聞社(角島直門)『鹿南太陽新聞』第1号
1980年5月ー藤原南風『新奄美史』奄美春秋社
海ゆかば 戦艦大和他特攻艦隊戦士慰霊塔/名瀬市大浜海岸で採集される皇太子殿下
高松宮殿下ご夫妻の奄美訪問/金井正夫(元和歌山県知事)〇金井 正夫(かない まさお、1892年(明治25年)2月 - 1979年(昭和54年)10月4日)は、日本の政治家、裁判官、弁護士。 衆議院議員、和歌山県知事。 旧名、当央。 [経歴] 鹿児島県において金井当説の五男として生まれる。 1915年に正夫と改名。 1919年、京都帝国大学法学部英法科を卒業。 司法官試補となり、以後、予備判事、大阪地方裁判所兼大阪区裁判所判事を歴任。 また、関西大島郡人会を創立し会長となる。 1923年から12年間にわたり関西大学講師として務めた。 1928年、判事を退官し弁護士となる。 1932年2月、第18回衆議院議員総選挙に鹿児島県第三区から立憲政友会の所属..→ウィキ
永野芳辰(元高知県知事)〇鹿児島県大島郡笠利村佐仁(奄美大島、現奄美市)で、永野孫七の長男として誕生。1918年(大正七年)鹿児島県立二中、1922年(大正11年)第七高等学校造士館、1925年(大正14年)京都帝国大学法学部政治学科を卒業。愛知県属を振り出しに沖縄県、福島県、北海道、東京府各課長、北海道拓殖部長を経て1941年(昭和15年)大政翼賛会地方部長に就任。その後秋田県総務部長兼学務部長、広島県部長・経済部長、同内政部長を経て、1945年(昭和20年)10月、高知県知事に就任。1946年(昭和21年)1月、九州地方商工局長に転任。しかし大政翼賛会時代翼賛選挙の担当部長として活躍したことが仇となりGHQの公職追放令に該当のため政界進出の野望を断念する。ウィキ/昇曙夢
徳三宝ー『新奄美史』奄美春秋社
徳三宝〇1887年、徳之島生まれ。明治、大正、昭和初期に柔道界の実力者として全国に名をはせた。中学生で柔道を始めた。「九州に徳三宝の敵なし」と言われ、19歳で上京、嘉納治五郎が創設した柔道の総本山・講道館の門をたたいた。「実力日本一」「柔道の鬼」の異名で活躍。あまりの強さに「徳三宝に膝をつかせたら一本をとったことになる」との伝説も。早稲田大などで師範を務め、45年に東京大空襲に遭い、58歳で死去した。 →コトバンク
豊千里(洋画家)ー『新奄美史』奄美春秋社
重村三雄(1929年~2012年 洋画家・彫刻師)ー『新奄美史』奄美春秋社
関西奄美会ー『新奄美史』奄美春秋社
東京奄美会ー『新奄美史』奄美春秋社
森村元栄四郎『サンデー奄美』ー『新奄美史』奄美春秋社
1981年10月ー森村元栄四郎『サンデー奄美』第191号
奄美新聞(東京・関西)
奄美の雑誌
〇1965年4月下野敏見/鮫島宗美『石の文化誌 種子島碑文集 第1集』
〇1968年10月 『南島民俗』第4号下野敏見「加計呂麻島の民俗(2)」
〇1975年4月下野敏見『タネガシマ風物誌 鉄砲伝来の島』未来社
〇1986年7月下野敏見『ヤマト文化と琉球文化』PHP
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鹿児島・奄美資料(手元にあるもの)
1894年5月ー笹森儀助『南島探検』
1899年6月ー西村時彦『南島偉功傳』誠之堂書店(東京)
1925年3月ー鹿児島県立試験場『大島糖業振興策』
1935年3月ー鹿児島県立糖業講習所『慶応年間 大島郡に於ける白糖の製造』
1935年5月ー永長信雄編『奄美大島歴史物語』中央大学奄美学友会
1938年1月ー文英吉『南島』新年号□南島社(名瀬町)
1943年9月ー岩倉市郎『喜界島昔話集』三省堂
1947年2月ー『自由』第2巻第1号□自由社ー重江国雄、肥後豊
1950年5月ー『大奄美年鑑』奄美文明社(藤原岡恵)
1953年9月ー週刊『琉球国際新聞』琉球国際新聞社(藤原岡恵)
1953年11月ー『奄美大島の現況』鹿児島県
1956年4月ー九学会連合奄美大島共同調査委員会『奄美の島々』毎日新聞社
1960年6月ー島尾敏雄『離島の幸福・離島の不幸』未来社
1960年10月ー栄喜久元『与論島の民謡と生活』
1960年10月ー竹内譲『趣味の喜界島史』黒潮文化会
1964年4月ー外間正栄・福地曠昭『復帰10年目の奄美教育の現状』沖縄教職員会
1964年6月ー奄美郷土研究会(島尾敏雄)『奄美郷土研究会報』第6号
1964年12月ー栄喜久元『奄美大島・与論島の民俗』
1965年4月ー下野敏見・鮫島宗美『石の文化誌ー種子島碑文集』第1集
1966年12月ー文英吉『奄美民謡大観』
1968年10月ー南島民俗研究会(川崎晃稔)『南島民俗』第4号
1970年ー12月ー種子島を語る会(井元正流)
1971年1月ー沖縄文化協会『沖縄文化』33・34号「奄美特集」
1971年3月ー昇曙夢『大奄美史』奄美社
1971年11月ー南潮時報社(田村佐衛源・芦屋市)『南潮時報』第232号
1972年10月ー鹿南太陽新聞社(角島直門)『鹿南太陽新聞』第1号
1973年7月ー鹿児島県大島郡笠利町『笠利町誌』
1973年3月ー松竹秀雄『甑島物語』
1973年8月ー武山宮信『奄美郷土読本』奄美社(鹿児島市照国町)
1974年5月ー宮本常一『屋久島民俗誌』未来社
1974年6月ー『琉大史学』第5号「奄美特集」
1974年10月ー長澤和俊『奄美文化誌』西日本新聞社
1975年4月ー下野敏見『タネガシマ風物誌ー鉄砲伝来の島』未来社
1976年4月ー南日本商業新聞社『奄美の民謡と民話』沖縄奄美連合会
1976年7月ー奄美報道社(朝野要)月刊郷土誌『奄美の島々』
1976年11月ー『日本の山河②鹿児島』国書刊行会
1978年4月ー松田幸治『与論島ー自然と文化』
1980年5月ー藤原南風『新奄美史』奄美春秋社
1983年10月ー『鹿児島の歴史と文化』鹿児島県歴史センター黎明館
1985年9月ー『歴史公論』「沖縄・奄美と日本」雄山閣
1966年7月ー下野敏見『ヤマト文化と琉球文化』PHP研究所
1986年3月ー海風社『南島』137号
1988年4月ー瀬戸内民謡同好会『奄美大島民謡集』
1989年2月ー円若正彦(枚方市)『あまみファミリー・ジャーナル』第26号
1989年6月ー『在沖縄沖洲会六十五年のあゆみ』在沖沖洲会
1989年10月ー穂積重信『奄美の歴史と年表』
1990年11月ー神戸奄美会創立60周年記念誌『奄美』
1996年7月ー神戸奄美研究会『キョラ』創刊号
1996年8月ー瀬戸内町大正会『体験文集』第1号
1997年4月ー仲宗根幸一『琉球列島島うた紀行』「奄美諸島」琉球新報社
1998年1月ー神戸奄美研究会『キョラ』第3号□新元博文「蘇鉄文化論の周辺から」
2000年1月ー倉井則雄『奄美おもしろ雑論』
2000年8月ー越間誠『奄美 二十世紀の記録』南方新社
2001年4月ー前橋松造『奄美の森に生きた人』南方新社
2001年4月ー『花樵』創刊号□山下欣一「新城島(パナリ)へ」
2003年11月ー栄喜久元『蘇鉄のすべて』南方新社
2004年5月ー向原祥隆『地域と出版ー南方新社の十年を巡って』南方新社