03/21: 紅華・又吉康和
『沖縄教育』で重要な役割を果たした島袋源一郎は「『沖縄教育』変遷と思ひ出」(1937年4月『沖縄教育』248号)の中で、「又吉康和氏を抜擢し敏腕を振るって貰うことにした。ここに於いて『沖縄教育』は一躍そのレベルを高め中央学界諸名士の論説を掲載する等大いに充実し、未だ嘗て見ない権威ある雑誌となるに至った」と記し、又吉の仕事を高く評価している。
又吉康和は1906年の『琉球新報』に「満韓旅行雑感」を書いている。1908年、沖縄県立中学校を卒業。同窓に仲吉良光、饒平名智太郎、森田孟睦が居た。早稲田在学中によく東京劇信を仲吉良光の居る琉球新報に送った。子供(康哉)が生まれ、生活のため早稲田を中退。大阪で遊び帰沖。1915年10月、当真嗣合、仲吉良光、末吉麦門冬、嘉手川重利、小橋川朝明が「閥族打破」を理由に琉球新報を退社したが、その後任記者に又吉康和、新崎盛珍が仲吉良光、末吉麦門冬らの面接を受けて琉球新報に入社した。
又吉は知名士の夫人たちを訪ねて聞き書きを琉球新報に連載した。また芸能、伝説の名所も連載している。1919年、太田朝敷について琉球新報を退社し『沖縄時事新報』創刊に参加した。そこで末吉麦門冬と再会することになる。1920年、沖縄時事新報の内紛で太田朝敷と共に退社。沖縄時事新報は改題し『沖縄タイムス』となる。又吉は1923年10月に『沖縄教育』編集主任となった。『沖縄教育』編集後記で「私は人間の生活は総てが教育だと、こう広く解釈し、従来取り扱ってきた教育雑誌のように範囲を限らないで、あらゆる方面の材料を蒐集したいと思って居ます」、また「今般帝都の大震災により中央集権の弊害を痛切に感じた」と記した。
又吉は、山城正忠を『沖縄教育』の詩歌の選者に迎えて雑誌の幅を広げた。1925年9月発行の『沖縄教育』は、表紙題字を山城正忠が書き、カット「獅子」は山口重三郎(山之口貘)である。又吉は編集後記で「貘氏は今般中央の『抒情詩』に日向スケッチ他三篇入選しました之より琉球詩人がどしどし中央の詩壇に出現せんことを念じます」。救世者は政治家ではなく、それは詩人と哲人であります」と記し、国吉真哲と一緒に貘を上京させている。
写真下は1925年8月16日、貘2度目の上京前に後列左から又吉康和、国吉真哲、国吉真才、一人置いて貘
写真ー1958年・前列左から末吉安久、不詳、国吉真哲、南風原朝光、不詳、山之口貘
1925年10月 沖縄県教育会同人(又吉康和)『琉球』小沢書店
□鎌倉芳太郎氏は寫眞や装幀に助言され・・・、表紙は羽田会長の案に出たもので、若狭町の知念と云ふ老舗の作製に成る純琉球物です。
中央ー又吉康和、左は新垣美登子
又吉康和は1906年の『琉球新報』に「満韓旅行雑感」を書いている。1908年、沖縄県立中学校を卒業。同窓に仲吉良光、饒平名智太郎、森田孟睦が居た。早稲田在学中によく東京劇信を仲吉良光の居る琉球新報に送った。子供(康哉)が生まれ、生活のため早稲田を中退。大阪で遊び帰沖。1915年10月、当真嗣合、仲吉良光、末吉麦門冬、嘉手川重利、小橋川朝明が「閥族打破」を理由に琉球新報を退社したが、その後任記者に又吉康和、新崎盛珍が仲吉良光、末吉麦門冬らの面接を受けて琉球新報に入社した。
又吉は知名士の夫人たちを訪ねて聞き書きを琉球新報に連載した。また芸能、伝説の名所も連載している。1919年、太田朝敷について琉球新報を退社し『沖縄時事新報』創刊に参加した。そこで末吉麦門冬と再会することになる。1920年、沖縄時事新報の内紛で太田朝敷と共に退社。沖縄時事新報は改題し『沖縄タイムス』となる。又吉は1923年10月に『沖縄教育』編集主任となった。『沖縄教育』編集後記で「私は人間の生活は総てが教育だと、こう広く解釈し、従来取り扱ってきた教育雑誌のように範囲を限らないで、あらゆる方面の材料を蒐集したいと思って居ます」、また「今般帝都の大震災により中央集権の弊害を痛切に感じた」と記した。
又吉は、山城正忠を『沖縄教育』の詩歌の選者に迎えて雑誌の幅を広げた。1925年9月発行の『沖縄教育』は、表紙題字を山城正忠が書き、カット「獅子」は山口重三郎(山之口貘)である。又吉は編集後記で「貘氏は今般中央の『抒情詩』に日向スケッチ他三篇入選しました之より琉球詩人がどしどし中央の詩壇に出現せんことを念じます」。救世者は政治家ではなく、それは詩人と哲人であります」と記し、国吉真哲と一緒に貘を上京させている。
写真下は1925年8月16日、貘2度目の上京前に後列左から又吉康和、国吉真哲、国吉真才、一人置いて貘
写真ー1958年・前列左から末吉安久、不詳、国吉真哲、南風原朝光、不詳、山之口貘
1925年10月 沖縄県教育会同人(又吉康和)『琉球』小沢書店
□鎌倉芳太郎氏は寫眞や装幀に助言され・・・、表紙は羽田会長の案に出たもので、若狭町の知念と云ふ老舗の作製に成る純琉球物です。
中央ー又吉康和、左は新垣美登子