松本清張の『日本の黒い霧』や、春名幹男『秘密のファイル』などの内容はアベ一味から「謀略史観」と矮小化されているが、現実「アメリカの属国ジャパン」(世相ジャパン)を見ると妙に納得せざるを得ない。


 『沖縄タイムス』2018年5月29日 -【ジョン・ミッチェル特約通信員】在沖米軍の広報活動には、米中央情報局(CIA)が指南した沖縄世論操作の手法に沿った例が多くみられる。

 『東京新聞』2017年6月2日 ー 「監視システムを日米共有」 スノーデン氏との一問一答
米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン元職員-エックスキースコアは何ができるのか。
 「私も使っていた。あらゆる人物の私生活の完璧な記録を作ることができる。通話でもメールでもクレジットカード情報でも、監視対象の過去の記録まで引き出すことができる『タイムマシン』のようなものだ」「エックスキースコアを国家安全保障局(NSA)と日本は共有した。(供与を示す)機密文書は本物だ。米政府も(漏えい文書は)本物と認めている。日本政府だけが認めないのは、ばかげている」-日本の共謀罪法案については。「(法案に)懸念を表明した国連特別報告者に同意する。法案がなぜ必要なのか、明確な根拠が示されていない。新たな監視方法を公認することになる」「大量監視の始まりであり、日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる」
...
国民はなぜ秘密と陰謀のアベ・アソウ政治に魅せられるのか/アベ首相が、国会で加計(かけ)学園(岡山市)の獣医学部新設計画などをめぐり野党から追及を受け、反論する際に「印象操作」を連発しているのも、自身が「印象操作」の常連だから、つい思っていることが口に出るということだろう。

□1974年3月4日ー那覇高校体育館で松本清張氏を迎えての講演と映画の夕べ、松本清張が「北ベトナムとわたし」と題して講演。

池田大作創価学会会長と宮本顕治日本共産党委員長の会談が1974年12月に清張邸で実施され、10年間互いの存在を認め相互に干渉しないことを約束する創共協定(共創協定とも言う)が結ばれていたことが、1975年7月に判明、清張はその仲介役を務めていた(協定は公表とほぼ同時に死文化)。池田大作と清張の初対面は、 『文藝春秋』1968年2月号での対談であり、両者はその後も親交を続けた。文藝春秋の清張担当者であった藤井康栄によれば、清張の大ファンと言う池田大作とも、自宅が当時清張宅のすぐ近くにあった宮本顕治とも、ごく気軽に話せる関係であり、創共協定は偶然の重なりによるものであるという。→ウィキ



1972年11月 『宮本顕治対談集』新日本出版社〇加藤周一、土門拳、臼井吉見、久野収・鶴見俊輔、徳川無声、久野収、『世界』編集部、臼井吉見、松本清張、『朝日ジャーナル』編集部、前田武彦、臼井吉見、岡村和夫・草柳大蔵・清水慎三、家城啓一郎、富士真奈美、武田泰淳、『世界』編集部


 1976年6月 『三悪政治とCIA』日本共産党中央委員会出版局

 1976年10月 「赤旗」特捜班『日本の黒幕ー小佐野賢治の巻(下)』新日本出版社□双頭のハワイー「ハワイには二つの〝顔〟がある。観光地としての〝顔〟と米軍事上の要所という〝顔〟と・・・」と語るのは、かつてハワイに滞在していたあるジャーナリスト。「観光地ハワイに太平洋地域最大の米軍基地があることはあまり知られていない。ベトナム戦争に関する作戦・輸送などの命令は、すべてハワイにあるシンクパック(CINCPAC=太平洋統合司令部)から出ていた。シンクパックはオハフ島の真珠湾をみおろす高台にあり、周囲の警戒はものすごく厳重だ。一度だけ私も入ったことがあるが、米海軍の機動部隊ー戦艦や空母が、いま太平洋のどこで何をしているかが、分秒たがわずわかる仕組みになっている。」これを裏づけるように、市川宗明・軍事評論家も、「ハワイは昔から、米国最大の海軍基地だ。とくに真珠湾は横須賀などの比ではない。だから、日本軍もまっさきに真珠湾にねらいをつけたのだ」と、言い切ります。両氏のいうとおり、ハワイにある米軍兵力は、陸海空・海兵隊あわせて6万5千5百人(1975年12月末)。沖縄基地を除く、在日米軍の4倍という戦力をもち、ペンタゴン(国防総省)に直結しています。


1978年8月 「赤旗」特捜班『影の軍隊ー「日本の黒幕」ー自衛隊秘密グループの巻』新日本出版社□
市川宗明(上右の写真)元二佐は「いまは著述家稼業だからだれとでも会うが『赤旗』のインタビューとは・・・・とおどろいていた。時間ぴったりに都内のある喫茶店に姿を現わした。小柄で目は鋭い。自衛隊の幹部学校や調査学校で、対ゲリラ戦、対暴動論などを研究・教授してきた人物。退官後のいまも研究を続けている。調査学校のCPI(対心理情報)課程を卒業し、青銅グループの一員である。

1985年2月ー『推理街道35年松本清張』朝日新聞社・西武美術館
1998年8月ー『松本清張記念館図録』

松本清張関連資料

1967年4月1日 大岡昇平(作家)来沖
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4月2日『沖縄タイムス』「沖展 大岡昇平氏も参観」/6月3日『沖縄タイムス』「作家の大岡昇平氏はマニラ戦跡巡拝団に参加してミンドロ島をまわり、その帰途沖縄に立ち寄った」
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2009年6月28日『琉球新報』「戦記文学に金字塔 作家大岡昇平」
 大岡昇平 おおおか-しょうへい 1909-1988 昭和時代後期の小説家。
明治42年3月6日生まれ。京都帝大卒業後,スタンダール研究に専念する。昭和19年応召し,フィリピンの戦場で米軍の捕虜(ほりょ)となり,20年復員。23年この体験を「俘虜記(ふりょき)」にかき,横光利一賞。「野火」「武蔵野夫人」「花影」「中原中也」など多彩な作品を発表。44年戦記文学の大作「レイテ戦記」を完成させた。昭和63年12月25日死去。79歳。東京出身【格言など】自分の過去の真実を否定することほど,今日の自分を愚かにするものはない(「俘虜記」)→コトバンク

 2016年3月29日0時15分~ 沖縄県民ひろば 沖縄平和運動センター主催「3・29沖縄集会 戦争法廃止!」






「選挙必勝」で気焔を揚げる伊波洋一氏(左)と山城博治沖縄平和運動センター議長

1994年6月 カレル・ヴアン・ウォルフレン/筱原勝『民は愚かに保てー日本/官僚、大新聞の本音ー』小学館
1、史上最悪の「言葉の日米戦争」/2、「ガイジン・ハンドラ―」と呼ばれる体制派知識人の犯罪/3、日本の信頼性を損なう名のある人々の「無責任発言」/4、統合ヨーロッパと日本に共通する「政治的無責任」/5、冷戦体制崩壊で意味を失った「資本主義」の概念/6、日本人の「自らを欺く能力」について/7、軍事大国日本の「軍事アレルギー」/8、日本中間層の「政治的無力」について/9、「日本人でなければわかるはずがない」の不思議/10、ブッシュVSクリントン、どちらが”危険な”大統領か/11、外務省の「近視眼的楽観主義」について/12、新聞が伝えない「平成不況」の真犯人/13、大新聞は日本民主主義の最大の敵だ/14、日米関係を誤らせているライシャワー教授の亡霊/15、クリントンに対抗して外務省高級官僚がやっていること/16、「コンセンサス・デモクラシー」という”嘘”/17、「家族的会社」という神話の崩壊/18、誰が金丸信を創ったのか/19、文部官僚の独裁から子供たちを救え/20、日本の対米人脈ネットワークが朽ち果てる日/21、日本を代表するのは一体誰なのか/22、日本人はなぜ「自国の真実」を語らないのか/23、日本の軍隊を統制するのは誰か/24、「人権なき天皇家」を必要としているのは誰か/25、警察の「トーキョー戒厳令」に怒れ/26、社会党はなぜ”金蹴り”をくらったのか/27、小沢一郎を醜聞で火だるまにしてはいけない/28、「日本人批判」のBBC放送に見た欧米マスコミの欺瞞/29、「思想」を弄んできただけの日本の知識人にもまだできることがある/30、戦後日本が依存してきた「世界権力・アメリカ」の消滅/31、小沢一郎をめぐる「暗闘」に注目せよ/32、「民は愚かに保て!」という官僚の伝統的思考について/33、魔女狩り儀式に加担した読売新聞の大罪/34、「世界一高い物価」の元凶は「世界一重い税金」である/35、「対日勝利気分」にひたる欧米の過ち/36、日経新聞は、大蔵省との癒着をどこまで断ち切るか/37、クリントンはなぜ「対日幻想」を捨てたのか/38、「民は愚かに保て」ー知識人が果たした役割/39、日本女性はなぜ、ピルは危険だと信じ込まされているのか/40、厚生官僚はエイズ問題で何をやったか/41、「超権力集団」大蔵省は「亡国の関東軍」の再来である。

□30年以上にわたり日本政治、日本と国際社会の関係を取材し続けてきたオランダ人ジャーナリストの カレル・ヴァン・ウォルフレン氏(アムステルダム大学名誉教授)は、日本には哲学や理念が感じられない 「偽りのポピュリズム(False Populism)」が広がりやすいと指摘する。 その典型が細川護煕元首相や小泉純一郎元首相が行なった「改革」だというのだ。 以下、ウォルフレン氏が二人の改革と、現代の「ポピュリズム」の表れだという橋下徹大阪市長について分析する。

結局、彼らの改革とは、有権者の間に溜まった不満の「ガス抜き」程度に過ぎなかった。 政治や社会の在り方を変えるような「根本的な改革」ではなかったわけだ。 大阪で府知事、市長として政治家のキャリアを重ねる橋下は、自らが率いる「大阪維新の会」での国政進出を目指している。 しかし、細川や小泉と同様、私はこのままでは橋下にも「根本的な改革」は難しく、「偽りのポピュリズム」になってしまうと見ている。 その理由のひとつが、彼が設立した「維新政治塾」である。同塾には3000人を超える応募があったと聞く。

しかし、政治家とは“ジュク”で養成できるような存在でない。モデルとなったとされる松下政経塾にしろ、 国会議員だけは数多く輩出しているが、いずれもろくなものではない。 維新政治塾では、橋下ブレーンを務める「脱藩官僚」たちが、講師として塾生を教育するようだ。 だが、政治家は官僚によって育てられるようなものではない。 例えば、講師の1人に、単に米共和党の特定グループの利益を代弁しているに過ぎない 元外務官僚の名前が挙がっている。彼らが講師を務める維新政治塾に何が期待できるというのか。

1982年7月 朝日新聞東京本社企画部『原爆展』(10月12日ー沖縄三越)

アメリカ合衆国のコネティカット州グリニッジのマイアナス河にかかるマイアナス橋は、 1983年6月28日に金属疲労により部品が破断し吊り径間が30mに渡って崩落しました。(いちらん屋)

1984年2月 『シンポジウム 核と沖縄』日本科学者会議沖縄支部
1984年5月 高嶺朝一『知られざる沖縄の米兵ー米軍基地15年の取材メモから』高文研

1985年8月16日 『週刊レキオ』「原爆はどうなっているのか!」

1986年1月 ワールドフォトプレス『核兵器図鑑』光文社

1986年3月 ジョゼフ・ガースン/原水爆禁止日本協議会『デッドリー・コネクションーアメリカ反核運動からの告発』新日本出版社
1986年4月  ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原発で爆発事故

1986年7月 日本ペンクラブ編『ニューヨーク読本1ニューヨークを知る』福武文庫
○立花隆□ニューヨーク’81ーアスター一族の先祖、J・J・アスター①もまたアメリカン・ドリームの典型である。彼はドイツのウォルドーフから、1784年に移民してきて、パン屋のパン焼き職人になるところからはじめた。やがて、毛皮の取引が最も儲かる(略)アメリカの中国貿易は彼がはじめた。その晩年、どちらからも手を引き、その富を次々に不動産投資にふり向けた。

 (略)ユダヤ人の場合は、同じ民族とはいえ、ディアスポラ(世界放浪)の間に、宗教文化的側面を除くと異化がすすんでいたから、同じ民族の間でも差別があった。一番先にニューヨークに定着したのは、スペイン系のユダヤ人で、19世紀には大金持ちになっていた。そのころからドイツ系ユダヤ人たちがやってくるようになったが、彼らはスペイン系ユダヤ人から厳しく差別された。やがてドイツ系ユダヤ人たちも金融界で成功するものが続出した。彼らが成功をおさめたころ、東欧系ユダヤ人の波がやってきたが、今度はドイツ系ユダヤ人が東欧系ユダヤ人を差別した。(略)誰からも差別される黒人は黒人で、差別の対象をユダヤ人に見つけた。

(略)ニューヨークでは、犯罪を日常としている人間が、明らかに警察官の数倍はいるのだ。貧困と犯罪という病気からニューヨークが癒えるための処方箋はまだ誰も書いていない。高層ビルの中の繁栄の陰で、この病気と、先に述べたインフラストラクチャーの老巧化による機能不全という病気とが、ニューヨークの体内を芯の部分から蝕みつつある。(略)ニューヨークには、病気で死ぬ以前に、物理的破壊によって死ぬ可能性もある。一つはアメリカ人が皆恐れている核戦争の可能性。もう一つは、アメリカ人が誰も予想していない地震の可能性である。地震には全く無防備である。(ビルだけでなく、橋もトンネルも高速道路も)(略)建築家のことばを借りれば、「東京の高層ビルは大地に突き刺してあるが、ここのビルは、岩の上に置いてあるだけ」なのだ。

①ジョン・ジェイコブ・アスターは、アスター一族の初代となる著名な一員であり、アメリカ合衆国では最初の百万長者になった。アメリカでは初めてトラストを創設し、毛皮貿易、不動産およびアヘンからその資産を築いた。アスターはその事業からの撤退後、残りの人生を文化のパトロンであることで過ごした。鳥類学者ジョン・ジェームズ・オーデュボンや詩人で作家のエドガー・アラン・ポーを支援し、またヘンリー・クレイの大統領選挙運動を支えた。1848年にアスターが死んだ時にはアメリカ合衆国で最もリッチな人物となっており、少なくとも2,000万ドルと見積もられる資産を遺した。その遺志でニューヨーク市の大衆のためにアスター図書館を建てる費用として40万ドルを遺贈した(後にニューヨーク公共図書館に統合された)。またドイツの故郷ヴァルドルフにある救貧院には5万ドルを寄付した。アスターはその遺産の大半を次男のウィリアム・バックハウス・アスター・シニアに遺した。長男のジョン・ジェイコブ2世は精神障害があり、その人生を全うするに十分な医療費は遺された。ウィキペディア



1987年8月 ラブ・オーシュリー/上原正稔 編『青い目が見た大琉球』ニライ社


1988年6月 『 全米50州レポートー 国境を越える日本企業ー』文化放送報道部

1989年1月 野村達明『フロンティアと摩天楼 新書アメリカ合衆国史②』講談社□自由放任経済への批判ー1879年に出たヘンリー・ジョージの『進歩と貧困』は、アメリカ出版史上の10大ベストセラーの一つに数えられている。『進歩と貧困との結合がわれわれの時代の大きな謎である』とジョージは書いた。そして彼は新開地サンフランシスコで投機業者による土地買占めをみて、この謎を解けたと思った。(略)1886年、彼はニューヨーク統一労働党からニューヨーク市長選挙戦にかつぎ出され、惜敗したが、セオダー・ローズヴェルト以上の得票を得たのである。

1989年2月 上杉忍『バクス・アメリカーナの光と陰ー新書アメリカ合衆国史③』講談社□結びにー「アメリカには黒人とか、プエルトリコとか、メキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたらまだ非常に低い」という中曽根元首相の自民党全国研修会での発言(1986年9月)が、全世界から猛反発をくらったのは記憶に新しい。(略)中曽根氏の発言は、ごく普通の日本人の、いわば『世俗的常識』を述べたまでだったからである。

1990年5月 『平和だいすき ノーモア ヒロシマ・ナガサキ45』原水爆禁止日本協議会

1990年10月 岡島成行『アメリカの環境保護運動』岩波新書→開拓精神に彩られたアメリカの歴史は、自然破壊の歴史でもあった。だが、それゆえに早くから自然保護の思想が芽生え、現代の活発な環境保護運動へとつながっていく。しばしば政治の場で闘い、幅広いネットワークを生かすこの国の多様な運動のスタイルと、それを支える自然観を、大小の市民グループへのインタヴューもまじえて紹介する。