1982年2月 沖縄の雑誌『青い海』110号 芝憲子「ロンドン記録詩篇」

写真左から宮城義弘氏、芝憲子さん、加勢俊夫氏、新城栄徳/写真左から松下博文氏、新城栄徳、宮城義弘氏、芝憲子さん

資料「芝憲子」



2017年6月 芝憲子『芝憲子詩集 沖縄という源で』あすら舎

『琉球新報』7月30日『芝憲子詩集 沖縄という源で』芝憲子著 あすら舎・1404円
 峠三吉は原爆の惨状を見て、〈にんげんをかえせ/へいわをかえせ〉と訴えた。栗原貞子は惨状の中から生れ出る命のたくましさを〈生ましめんかな 〉と綴った。芝さんは滅びゆく地球を見守る太陽をして〈生きものたちを育てる大事な星として/いっしょに回っていてほしい〉(巻頭詩「太陽ばなし」)と言わしめる。
 この詩集を読むと、あらためて人間とは何か、命とは何か、という基本的な問いに立ち返る。20世紀を世界戦争に巻き込み、21世紀を核とテロの恐怖に巻き込んだ人間。彼女は沖縄を通して人間の愚直さを問い、それに抗し、監視し、平和と命の尊厳を主張しながら、辺野古、東村高江、那覇市役所裏を歩き、走り、仲間と集い、そこに座り込む。
 ただ、こうした彼女の旺盛な行動力は、ヤマト在住のわたしたちにとって、沖縄に対する消極的なヤマトの向き合い方を問われているようで、いくぶん圧迫を感じる。しかし彼女はこうわたしたちに呼び掛けてくれる。〈行きたくても行けないかたがたが/全国にものすごくいらっしゃることを知っています/遠くてこられないあなたのぶんも/その日行けないあなたのぶんも/あなたのぶんも辺野古に行って/また行きます〉(「辺野古 あなたのぶんも」)。
 こうした言葉に出会うと正直ホッとする。自らの強い抵抗の姿勢を、無理に押しつけることなく、話しかけるような言葉でわたしたちに届けてくれる。
 わたしたちがどこに住んでいようと、太陽系の八惑星が太陽を中心に楕円(だえん)軌道を描くように、沖縄を源にして、平和の尊さと命の尊厳への思いが、沖縄に寄り添う形で、〈いっしょに回っていてほしい〉と彼女は願う。
 沖縄在住45年、作品は復帰とともにその年輪を刻んできた。9冊目のこの詩集でおそらく彼女は自らの立ち位置をあらためて確認しようとしている。〈土をこねる/太すぎたり細すぎたり短かったり/年月で重なって/わたしなりのゆがんだ壺〉(「厨子(ジーシ)甕(ガーミ)」)。 沖縄で彼女は骨と化す。骨壺のひずみは闘いの証。国家権力に抗(あらが)い続けてきた近代沖縄の歴史でもある。(松下博文・筑紫女学園大学教授)
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 しば・のりこ 1946年東京都生まれ。詩人。10歳から川崎市で育つ。72年4月に那覇市に転居。79年に詩集「海岸線」で山之口貘賞受賞。詩集に「のんきな店のちいさなもの」「さかさま階段-沖縄から南半球に-」など。



2016年10月 詩誌『1/2』第50号 芝憲子「山之口貘と石川啄木と」



2016年10月 詩誌『1/2』第50号 発行人・近野十志夫 住所 〒103-0016 中央区日本橋小網町18-16-701
2017年1月 『詩人会議』第55巻1号 「座談会 沖縄で書く、詠唱する」安仁屋眞昭 宮城隆尋 芝憲子 司会・中正勇