沖縄の雑誌『青い海』1975年11月号 大田昌秀「戦後沖縄の新聞興亡史」

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1991年9月 大田昌秀『写真記録 人間が人間でなくなるとき』沖縄タイムス社


写真左から大田昌秀氏、平山良明氏、元『青い海』編集発行人の髙江洲義寛氏




1985年6月 沖縄の雑誌『青い海』№142 大田昌秀「講演・沖縄戦を学ぶ基本的な前提」

1984年 雑誌『青い海』№135 平山良明「キジムナーの話」





左から平山良明氏、屋良健一郎氏、波照間永吉氏
2014年3月9日『沖縄タイムス』屋良健一郎「論壇ー表現力に富む伊波瞳第一歌集『サラートの声』ースケール大きくチャレンジも」


西里喜行氏と伊佐眞一氏

佐野眞一氏の顰に倣って、仲井真知事の経歴に触れようと思ったがネットで流す自体が品格(そんなものは持ち合わせてないが)に欠ける。もうひとつの理由は、仲井真知事や自公が悪いんでなく、それを選んだウチナーンチュが一番悪いと気づいたからである。高江洲義寛氏や友人たちがNHKのテンペストに関して批判を展開している。ことに西里喜行氏は八重山地区の教科書問題に通底するものと断定しておられる。八重山は中山義隆石垣パクリ市長を選んだことに起因する。選んだのは石垣市民である。災い(基地攻撃、テロなど)があれば当然に報いは石垣市民が受ける。



1969年9月 髙江洲義寛『沖縄音楽総目録 録音目録』沖縄タイムス社


1974年7月 沖縄の雑誌『青い海』35号 宮城悦二郎「伊江島で戦死したヒューマンな従軍記者 アーニー・パイル」
1982年12月 宮城悦二郎『占領者の眼』那覇出版社

1982年12月 宮城悦二郎『占領者の眼』那覇出版社

写真左から渡口善明氏、新城栄徳、宮城悦二郎氏
□宮城悦二郎氏死去/元琉球大教授 ①宮城悦二郎氏(みやぎ・えつじろう=元琉球大教授、元沖縄県立公文書館館長)2004年6月7日午前10時、肺がんのため那覇市の病院で死去、71歳。沖縄県出身。自宅は那覇市首里汀良町2の25の5。葬儀・告別式は9日午後2時から那覇市首里寒川町1の2、安国寺で。喪主は妻逸子(いつこ)さん。戦後の沖縄で米誌などの記者を務めた後、琉球大で米国の沖縄占領史や米統治下の沖縄マスコミを研究。「沖縄戦記録フィルム1フィート運動」など平和運動にも参加した。