2018年1月29日ー榕樹書林(沖縄宜野湾市)の武石和美社長、ひより

会場で、私は宝島社の出版物に興味があったので2001年4月『公安アンダーワールドー日本の秘密情報機関』と2004年2月 宝島社『筑紫哲也「妄言」の研究』を買った。宝島社『筑紫哲也「妄言」の研究』〇与那原恵「迷惑な沖縄愛 悲劇の島、癒しの島というステレオタイプー筑紫哲也のような、平和、人権を唱えるタイプの人間が興味を抱きつづける場所は『沖縄』である。沖縄には彼らが求めるさまざまなテーマがある。」

1997年4月ー与那原恵『物語の海、揺れる島』小学館

 『宝島』(たからじま)は、宝島社から発行されていた看板雑誌。休刊時点では「タブーに斬り込む知的探求マガジン」というキャッチコピーの下、アングラ情報を含む情報誌となっていた。休刊時編集長は富樫生。1973年7月10日に晶文社より『WonderLand(ワンダーランド)』として創刊。1970年代のサブカル文化の一翼を担った。10年ごとにコンセプトを変え、アンダーグラウンド→サブカルチャー→アダルト→ビジネス誌→アングラ情報誌と、これまで全く異なるジャンルを横断し、それまでの読者を切り捨ててでもエポックメイキングな誌面を作り出してきた。→ウィキ


2018年1月16日ー左 銘苅和義(ツボヤ書房 ☎098-879-4545 携帯080-4315ー5437)、新垣英樹 (小雨堂 ☎098-894-5202) 右 宮城未来(言事堂 ☎fax098-864-0315)、新垣英樹、天久斉(Booksじのん ☎098-897-7241)、銘苅和義



トークショー 1月20日(土)15時~「古本屋入門」天久斉(BOOKSじのん)×宮城未来(言事堂)×小原猛(ダムダムブックス)


2月10日 ジュンク堂那覇店 大城宜武「漫画からみた沖縄」/写真左から武石和実氏、大城宜武さん、森本浩平ジュンク堂那覇店長


1983年ー『琉球新報』
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2010年12月ー『沖縄キリスト教学院大学論集』第7号□大城冝武「沖縄マンガ史・試論ー沖縄マンガの黎明期

○朝日新聞5月25日ー日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は25日、読売テレビの番組で、沖縄で米軍司令官に「風俗業の活用」を勧めた発言について「アメリカ軍とアメリカ国民にはきちんとおわびと、発言の撤回は27日、しっかりしなければいけない」と述べた。橋下氏は27日、日本外国特派員協会で記者会見し、一連の発言について説明する予定だ。 また、橋下氏は番組で「アメリカだってイギリスだって、現地の民間業者のそういう女性を利用していたのは間違いない。ドイツだってフランスだって慰安所方式をとっていた。第2次世界大戦以後も、朝鮮戦争でも慰安所というものはあった。軍と女性の利用というのは絶対、タブー視しちゃいけない。ここに目を背けてしまったら未来につながらない」と持論を重ねて主張。「だから僕は日本の自衛隊はすごいと思う。日本の自衛隊はこういうこと(軍と女性の利用)の話は出てこない。日本以外は各軍がまだ同じようなことを繰り返している」と続けた。 →橋下徹大阪市長は、島田紳助によってテレビ界で売り出した。島田はタレント橋下の恩人である。

 1997年10月『噂の眞相』永江朗②〇メディア異人列伝/与那原恵ー与那原恵は『別冊宝島』が生んだもっとも優れたルポライターである、というのがぼくの個人的評価だ。ルポライターとして優れているだけでなく、彼女の仕事は『別冊宝島』のもっとも良質な(あるいは、だった)部分を体現している。/与那原恵の登場は1989年。『宝島ブックレット・平成元年の右翼』だった。彼女は58年生まれだから、けっして早いデビューではない。デビューの少し前まで、彼女は区立図書館に勤めていた。勤めながらコピーライター養成講座や編集者養成講座などに通っていた。ライターになる見通しもないまま退職したとき、声をかけたのが講師の一人で『別冊宝島』の編集長だった石井慎二③だ。「やってみないかと言われた仕事がいきなり右翼の取材で(笑)右翼なんてそれまで触ったことも」見たこともない人々でしょ。そのとき野村秋介さんにも会ったんですよ。」
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2007年9月
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2012年3月 高良倉吉『琉球の時代 大いなる歴史像を求めて』ちくま学芸文庫〇与那原恵ー解説・岬に立つ歴史家ー高良さんが力を尽くした首里城復元により、多くの人たちが「琉球」の時代をまざまざと感じられるシンボルを得た。首里城復元のプロジェクトは現在もテーマを深め、多面的なアプローチで続行されている。長い歴史や伝統文化がその時間の流れから一時寸断されたとしても、それでも今を生きる者たちの力によって再び構築することができる。赤く彩られた美しい首里城が教えてくれるのは、そのことだ。/2013-7 与那原恵『首里城への坂道』筑摩書房、与那原恵『首里城への坂道』中公文庫〇末吉麦門冬の項は粟国恭子論文引用→1991年『地域と文化』68号「末吉安恭(麦門冬)の民俗的視点」南西印刷/1992年『『地域と文化』72号「末吉安恭(麦門冬)と伊波普猷」南西印刷/1994年『沖縄タイムス』「人物列伝・沖縄言論百年 末吉麦門冬」/1997年『浦添市立図書館紀要』8号「伊波普猷と末吉麦門冬(安恭)の交流」/1997年『文学』「熊楠と末吉安恭(麦門冬)」岩波書店/2007年『沖縄芸術の科学』19号「近代沖縄の芸術研究①」沖縄県立芸術大学附属研究所/2008年『沖縄芸術の科学』20号「近代沖縄の芸術研究②」沖縄県立芸術大学附属研究所/

後藤忠政『憚りながら』(宝島社文庫2011)
2013年1月12日ージュンク堂那覇店で後藤忠政『憚りながら』(宝島社文庫2011)を買ってきた。山口組最高幹部と親しい島田紳助について「島田紳助とかいうお笑い芸人が、自分が司会やってる番組(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』)を使って、カンボジアに学校を建てるんだと言ってたじゃないか。あれほど、見ていて気分が悪くなる番組もなかったな。(略)押しつけがましい、見てるこちらが恥ずかしくなるような「善意」を、公共の電波を使ってタレ流すテレビ局も、テレビ局だ。」とある。本書には親交のあった櫻井義晃、竹井博友、野村秋介①との出会いにもふれている。

後藤組関連資料

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1963年12月 竹尾二郎『真相』野村秋介「獄中手記」
 ①野村秋介1935年~1993年 東京出身の新右翼活動家、思想家。
若年の頃は出口辰夫(通称モロッコの辰・後に暴力団稲川会四天王の一人となる)の舎弟。五・一五事件の三上卓との邂逅を経て右翼開眼。戦後新右翼の代表的な論客として知られた。1963年、自民党の政治家・河野一郎邸を焼き討ちし、懲役12年の実刑判決。出所後の1977年には経団連本部を襲撃、懲役6年の判決を受け再び服役した。「ヤルタ・ポツダム体制打倒」と「日米安保条約破棄」を軸に、反権力の右翼としての思想を強く主張した。その批判対象は政界・財界からマスコミにも向けられた。ただ本人は左右を超越した「民族主義者」を自認し「右翼」と呼ばれる事を嫌っていたとも言われる。彼は右翼ながら、「在日」朝鮮、韓国人を慮っていた。1983年、衆議院総選挙東京2区から新井将敬が出馬するも、同選挙区石原慎太郎候補の秘書により、『北朝鮮から帰化』という中傷シールが選挙ポスターに貼られる。-所謂黒シール事件,その際野村秋介が、石原慎太郎候補事務所に猛抗議に行った。持ち前の義侠心からであった。1992年、参議院選挙に際して「風の会」を組織し比例区から候補者を擁立した。『週刊朝日』誌に「ブラック・アングル」という風刺イラストを連載していた漫画家山藤章二が、これを「虱の党」と揶揄した作品を発表した事をとらえ、朝日新聞に対する抗議の姿勢を強めた。翌年の1993年10月20日、朝日新聞東京本社に乱入、社長ら首脳と話し合いの後「天皇(すめらみこと)弥栄」と三度言い残し、拳銃自殺。(はてなキーワード)

②永江朗ー1958年北海道生まれ。
1981年法政大学文学部哲学科卒。(株)ニューアート西武に入社し西武百貨店系洋書店「アール・ヴィヴァン」に勤務。1988年同社を退社。1989 ~90年雑誌『宝島』および『別冊宝島』編集部在籍。2008~13年早稲田大学教授(任期付)。2013年より近畿大学非常勤講師。日本文藝家協会理事。「菊地君の本屋 ヴィレッジヴァンガード物語」「インタビュー術!」「不良のための読書術」「書いて稼ぐ技術」「本を味方につける本 自分が変わる読書術」「おじさんの哲学」など、著書多数。

③石井慎二ー東京都出身。旧姓・鈴木慎二として東京都立九段高等学校に学び、新聞部にあたる出版委員会で活動、さらに早稲田大学でも新聞会で活動する。JICC出版局(後の宝島社)の編集者となり、1974年の『宝島』出版権の買収の際には、蓮見清一の腹心として晶文社に赴き、電撃買収をとりまとめた。JICC出版局では、1976年に『別冊宝島』を創刊。「読むムック」として発想されたこのシリーズは、新たなジャンルを開拓した取り組みとして評価された。1987年に季刊雑誌『田舎暮らしの本』を創刊し、編集長を務めていたころには、茨城県で有機農業による米作にも取り組んでいた。JICC出版局取締役を経て、1998年に洋泉社社長となり、 2010年に食道癌で死去するまでその職にあった。→ウィキペディア