2018年1月14日ー榕樹書林(沖縄宜野湾市)の武石和美社長

会場で、私は宝島社の出版物に興味があったので2001年4月『公安アンダーワールドー日本の秘密情報機関』と2004年2月 宝島社『筑紫哲也「妄言」の研究』与那原恵「迷惑な沖縄愛/悲劇の島、癒しの島というステレオタイプ」を買った。『筑紫哲也「妄言」の研究』で与那原は「筑紫哲也のような、平和、人権を唱えるタイプの人間が興味を抱きつづける場所は『沖縄』である。沖縄には彼らが求めるさまざまなテーマがある。広大な米軍基地、沖縄戦体験、そして現在でも『絵』になる平和運動がある(と思われている)。彼らは沖縄という場所に自ら語りたいことを重ねあわせてきたのだ。・・・」。筑紫はウィキによれば早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授(専任扱い)、立命館大学客員教授などを歴任しているが、与那原は後に第14回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(文化貢献部門)を受賞した。


2018年1月16日ー左 銘苅和義(ツボヤ書房 ☎098-879-4545 携帯080-4315ー5437)、新垣英樹 (小雨堂 ☎098-894-5202) 右 宮城未来(言事堂 ☎fax098-864-0315)、新垣英樹、天久斉(Booksじのん ☎098-897-7241)、銘苅和義

○朝日新聞5月25日ー日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は25日、読売テレビの番組で、沖縄で米軍司令官に「風俗業の活用」を勧めた発言について「アメリカ軍とアメリカ国民にはきちんとおわびと、発言の撤回は27日、しっかりしなければいけない」と述べた。橋下氏は27日、日本外国特派員協会で記者会見し、一連の発言について説明する予定だ。 また、橋下氏は番組で「アメリカだってイギリスだって、現地の民間業者のそういう女性を利用していたのは間違いない。ドイツだってフランスだって慰安所方式をとっていた。第2次世界大戦以後も、朝鮮戦争でも慰安所というものはあった。軍と女性の利用というのは絶対、タブー視しちゃいけない。ここに目を背けてしまったら未来につながらない」と持論を重ねて主張。「だから僕は日本の自衛隊はすごいと思う。日本の自衛隊はこういうこと(軍と女性の利用)の話は出てこない。日本以外は各軍がまだ同じようなことを繰り返している」と続けた。 →橋下徹大阪市長は、島田紳助によってテレビ界で売り出した。島田はタレント橋下の恩人である。

後藤忠政『憚りながら』(宝島社文庫2011)
2013年1月12日ージュンク堂那覇店で後藤忠政『憚りながら』(宝島社文庫2011)を買ってきた。山口組最高幹部と親しい島田紳助について「島田紳助とかいうお笑い芸人が、自分が司会やってる番組(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』)を使って、カンボジアに学校を建てるんだと言ってたじゃないか。あれほど、見ていて気分が悪くなる番組もなかったな。(略)押しつけがましい、見てるこちらが恥ずかしくなるような「善意」を、公共の電波を使ってタレ流すテレビ局も、テレビ局だ。」とある。本書には親交のあった櫻井義晃、竹井博友、野村秋介①との出会いにもふれている。

後藤組関連資料

1997年10月『噂の真相』永江朗②「与那原恵」
○与那原は『別冊宝島』が生んだもっとも優れたルポライターである。(略)彼女は区立図書館に勤めていた。勤めながらコピーライター養成講座や編集者養成講座などに通っていた。ライターになる見通しもないまま退職したとき、声をかけたのが講師の一人で『別冊宝島』の編集長だった石井慎二③だ。『やってみないかと言われた仕事がいきなり右翼の取材で。そのとき①野村秋介さんにも会ったんですよ』(略)しかし、今の彼女はいわゆる左翼型の運動には冷ややかだ。運動やっている側からは、「吉田司とともにアタマにくる人物」とのありがたい罵倒も受けているとか。


1963年12月 竹尾二郎『真相』野村秋介「獄中手記」
 ①野村秋介1935年~1993年 東京出身の新右翼活動家、思想家。
若年の頃は出口辰夫(通称モロッコの辰・後に暴力団稲川会四天王の一人となる)の舎弟。五・一五事件の三上卓との邂逅を経て右翼開眼。戦後新右翼の代表的な論客として知られた。1963年、自民党の政治家・河野一郎邸を焼き討ちし、懲役12年の実刑判決。出所後の1977年には経団連本部を襲撃、懲役6年の判決を受け再び服役した。「ヤルタ・ポツダム体制打倒」と「日米安保条約破棄」を軸に、反権力の右翼としての思想を強く主張した。その批判対象は政界・財界からマスコミにも向けられた。ただ本人は左右を超越した「民族主義者」を自認し「右翼」と呼ばれる事を嫌っていたとも言われる。彼は右翼ながら、「在日」朝鮮、韓国人を慮っていた。1983年、衆議院総選挙東京2区から新井将敬が出馬するも、同選挙区石原慎太郎候補の秘書により、『北朝鮮から帰化』という中傷シールが選挙ポスターに貼られる。-所謂黒シール事件,その際野村秋介が、石原慎太郎候補事務所に猛抗議に行った。持ち前の義侠心からであった。1992年、参議院選挙に際して「風の会」を組織し比例区から候補者を擁立した。『週刊朝日』誌に「ブラック・アングル」という風刺イラストを連載していた漫画家山藤章二が、これを「虱の党」と揶揄した作品を発表した事をとらえ、朝日新聞に対する抗議の姿勢を強めた。翌年の1993年10月20日、朝日新聞東京本社に乱入、社長ら首脳と話し合いの後「天皇(すめらみこと)弥栄」と三度言い残し、拳銃自殺。(はてなキーワード)

②永江朗ー1958年北海道生まれ。
1981年文学部哲学科卒。(株)ニューアート西武に入社し西武百貨店系洋書店「アール・ヴィヴァン」に勤務。1988年同社を退社。1989 ~90年雑誌『宝島』および『別冊宝島』編集部在籍。2008~13年早稲田大学教授(任期付)。2013年より近畿大学非常勤講師。日本文藝家協会理事。「菊地君の本屋 ヴィレッジヴァンガード物語」「インタビュー術!」「不良のための読書術」「書いて稼ぐ技術」「本を味方につける本 自分が変わる読書術」「おじさんの哲学」など、著書多数。

③石井慎二ー東京都出身。旧姓・鈴木慎二として東京都立九段高等学校に学び、新聞部にあたる出版委員会で活動、さらに早稲田大学でも新聞会で活動する。JICC出版局(後の宝島社)の編集者となり、1974年の『宝島』出版権の買収の際には、蓮見清一の腹心として晶文社に赴き、電撃買収をとりまとめた[6]。JICC出版局では、1976年に『別冊宝島』を創刊。「読むムック」として発想されたこのシリーズは、新たなジャンルを開拓した取り組みとして評価された。1987年に季刊雑誌『田舎暮らしの本』を創刊し、編集長を務めていたころには、茨城県で有機農業による米作にも取り組んでいた。JICC出版局取締役を経て、1998年に洋泉社社長となり、 2010年に食道癌で死去するまでその職にあった。→ウィキペディア