蔡崇(さいすう)を元祖とする琉球王国の士族(久米氏族)。12世・蔡壎より小禄間切(現・那覇市小禄)儀間村の脇地頭職を務めた。1世・蔡崇は、福建省泉州府南安県の出身。家譜によると、宋の書家として有名な蔡襄の6世孫という。8世までは通事(通訳)にとどまっていたが、9世・蔡堅より脇地頭職を賜り殿内クラスに昇格した。分家10世に蔡氏志多伯家・蔡鐸、その息子蔡温と、門中に傑出した人物を輩出した(ただし蔡鐸は梁氏からの養子)。→蔡氏儀間殿内(さいうじ ぎまどぅんち)


1966年『現代沖縄人物三千人ー人事録ー』沖縄タイムス社
儀間比呂志 1923年3月5日 - 2017年4月11日
 ぼくは大正12年に、沖縄の那覇の久米村でうまれた。(妹に山田和子、湖城智子、弟に達、進)久米村は、中国の三十六姓の子孫です。琉球王朝が、中国から、技術者とかを招聘した。今でいう技術導入ですね。そして久米村に集めて住まわせたわけです。このことを考えてみると、中国人は世界中にちらばっていて、華僑になっていますが、なかなかその国々の中へ同化してしまうことがない。ところが沖縄では、そういう中国人の根強い意識さえ、沖縄化してしまった。沖縄には華僑はない。みんな沖縄人になって、ずっときた。そうした子孫です、ぼくは。
 小さい頃の記憶だと、村ではよく中国風の祭りをやったり、清明祭という」祖先をまつる祭りを、一族一門集まってやったことがあった。→1973年1月『やぽねしあ』儀間比呂志「民衆の絵を彫り続けて」

 1940年5月7日 儀間比呂志、家を出て那覇港から神戸、横浜と船を乗り継ぎ読谷村の呼び寄せ移民とともに15日目にテニアン島で下船した。→儀間比呂志「私の原風景」(沖縄美術全集4付録)


1961年4月30日『琉球新報』「小学生のころからわたしは絵が好きでした。これは、担任の先生が今も沖縄で活躍しておられる画家の大嶺政寛さんで、つねに絵の話を聞かされていたせいもあったようです。・・・」/写真ー儀間比呂志の父・昌(次男、兄に盛)、母・初子(蔡氏神山家)

子息(修)の結婚式ー儀間比呂志夫妻と談笑する船越義彰/儀間比呂志夫妻、手前が儀間氏の母堂

儀間進氏が水道工事業界の専門紙『水と生活新聞』(水と生活新聞社。渋谷)に連載中の「江戸水道物語」

儀間比呂志の弟の儀間進氏、右が妹の智子さん/儀間比呂志が1951年に沖縄の家族に宛てた手紙


2018-4-25 ギャラリー象で儀間比呂志の妹・山田和子さんから話を聞く豊見山愛さん。/1984年
識名ー儀間比呂志母の納骨。現在、墓は大阪




1998年6月ー儀間比呂志、東江清俊氏/2002年10月ー神山泰治氏、儀間比呂志、宮城篤正氏




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石川和男「龍潭の旧水路」