1970年11月 川平朝申 再話/儀間比呂志 版画『ねむりむし じらぁ』福音館書店


1971年7月 川平朝申 再話 儀間比呂志 版画『ねむりむし・じらぁ』(福音館書店)


1982年6月、戦前から異国船に関心を持ってきた川平朝申や、国吉真哲、中今信、曽根信一ら数十人が集い、琉球航海記を中心とした沖縄の歴史・文化・人文の研究調査の発展をはかり、地域社会の思想・文化の向上に寄与することを目的に、会長に川平朝申、事務局に外間政彰で異国船琉球航海記研究会(通称バジル・ホール協会)が発足した。発会の記念講演は照屋善彦琉大教授で、会場にはぺルリ艦隊の乗組員の曾孫にあたるヨセフハンディー夫妻も参加した。川平会長の母と、西平守晴南島史学会大阪支部長夫人の母とは姉妹の関係で、大阪在住の新城栄徳も会員として末席をけがした。

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「川平朝申氏寄贈写真」(那覇市歴史博物館所蔵)写真後方左が西平守晴、前右が川平朝申

1983年10月 仲里秀雄・玉寄貞夫『粟国島民謡集』

 川平朝申は今ではあまり知られていないが、弟の朝清氏(昭和女子大学名誉理事)はディスク・ジョッキー・タレントのジョン・カビラ、俳優・タレントの川平慈英の父である。新城栄徳の伯父の玉寄貞夫は1983年に元粟国村長の仲里秀雄と共著で『粟国島民謡集』を出した。その刊行前に琉球民謡協会名誉会長の川平朝申氏のところへアポなしで伯父を同行し序文を依頼した。川平氏はその場で「このほどバジルホール協会会員の新城栄徳君が粟国民謡研究家の玉寄貞夫氏を伴い来訪し、粟国島民謡集を出版するから1文を章して欲しいと望まれた(略)粟国島の民謡が沖縄全島の舞踊となった『むんじゅる平笠』を讃えて、御祝いの辞といたします」と太い万年筆で書いてもらった。

 帰省のたびに川平さんが専務理事をつとめる琉球結核予防協会にはよく遊びに行った。ある日、川平さんから長谷川清台湾総督のことを聞かされたことがある。長谷川はアメリカ大使館の駐在武官もやった経歴もあるが、那覇市歴史博物館の川平資料には『長谷川清伝』もある。川平さんを終生の師と仰ぐ月刊沖縄社の佐久田繁氏は1997年に川平朝申『終戦後の沖縄文化行政史』を刊行した。

中ー川平さんと西平守晴。右下ー川平さんと新城栄徳。



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1909年3月 北原白秋『邪宗門』(挿絵・石井柏亭)易貿社


1930年頃 台北市ー北原白秋を囲んで、後方右から二人目が川平朝申/1985年2月 北原白秋生誕百年記念行事委員会『白秋の文学碑』(財)北原白秋生家保存会。1985年1月 生誕百年記念『近代日本の詩聖 北原白秋』北原白秋展専門委員会・』(財)北原白秋生家保存会・西日本新聞社

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1942年5月 雑誌『南島』第二輯