1975年9月 雑誌『青い海』46号 新川明「◆論鉾◆ある『歴史家』の虚像を撃つー伊波普猷・柳田国男の読み方に触れて」

2013年4月20日『沖縄タイムス』新川明「4・28への視座ー自主独立の気概持て」〇政府式典は「安倍晋三首相が憲法改正(悪)をもくろむ中、独立国家のイメージを国民に示したいのだろう。実際には米国に隷属しているのは世界中が知っているし、話にならない」と一蹴する。・・政府式典に抗議は、抗議の意思を示す行動を無意味とは言わないものの、これまでと同じ動きでは状況は変わらないと指摘する。「復帰した今も、オスプレイや普天間問題で沖縄に主権はない。政府が式典を開くならば、沖縄は日本に離縁状を突き付けるくらいの気概を持ち、自ら生き方を決めるための教材とすべきだ」

新川 明

1956年5月16日『沖縄タイムス』新川明「沖縄画壇の収穫ー(儀間比呂志個展評)」


1960年1月『オキナワグラフ』「僕は特派員ー石野朝季(琉球新報東京総局記者)、植木清直(琉球放送東京支社)、宮城直温(沖縄テレビ放送東京支社編成部)、遠山一平(琉球新報関西支局記者)、新川明(沖縄タイムス関西支社記者)、島袋俊一(沖縄タイムス鹿児島支局記者)、新田卓磨(琉球新報福岡支局記者)

1960年4月29日『琉球新報』「昨夜盛大に『復帰協』結成」
1961年4月29日『琉球新報』「祖国復帰県民大会開くー大会宣言ー沖縄は1952年4月28日発効した平和条約第三条により祖国から切り離され米国の統治下におかれたが以来われわれは一日も早く祖国に復帰したい熱願を表明して機会ある毎に日米両政府に対し沖縄返還要求を訴え続けてきた。われわれは沖縄県民にとって屈辱の日、忘れることの出来ない1960年4月28日に沖縄県祖国復帰協議会を結成しこの願望を訴え続けてきた。・・・」

1962年4月29日『琉球新報』「祖国復帰県民大会開く/神原校で5万人参加・大会宣言ー10年前のこの日に講和条約第三条が発効して、沖縄県民は祖国から分離された。われわれは、祖国の独立の喜びを味わうこともなく敗戦から今日まで実に17年の長期占領状態下にあえいでいる。」

1965年4月28日『琉球新報』「27度線上で海上大会開く/大会宣言ーきょう、4月28日は対日平和条約が発効し祖国が独立した日である。しかし沖縄県と小笠原にとっては祖国から立ち切られた悲しみと屈辱の日であり・・・」

1966年4月28日『沖縄タイムス』「きょう復帰要求県民大会」「昨夜 悲願の前夜祭」
1967年4月28日『沖縄タイムス』「悲願を”炎”に托してー沖縄返還デ前夜祭ー きょう27度線で海上大会」
1969年4月28日『沖縄タイムス』「 きょう27度線で海上大会に1300人」「屋良主席を先頭に 復帰行進団ゴールイン」

1970年4月29日『琉球新報』「与儀公園で4・28県民大会 1万5千人が参加ー”安保なき復帰を”日米体制に怒り込め」
      4月28日『沖縄タイムス』大城立裕「四・二八に思う」/「無条件全面返還かちとろうー4・28沖縄デー 本土ー沖縄船団が呼応」
1971年4月29日『沖縄タイムス』「夜空揺るがす完全復帰の叫び」「天皇陛下70歳の誕生日」
      4月30日『沖縄タイムス』「心理作戦部隊の全容ー”成果”は26年間の沖縄統治」
1972年4月29日『沖縄タイムス』「最後の4・28県民大会開くー沖縄処分を糾弾 反自衛隊前面に」
      5月15日『琉球新報』「売防法きょうから施行ー転業のメドたたず対策遅れ戸惑う7千人」




1983年10月 新川明・儀間比呂志『詩画集 日本が見える』築地書館□1960年6月『詩と版画おきなわ』、1971年12月『新沖縄文学』21号「儀間比呂志版画集 詞章新川明」をもとに構成。


2004年5月28日『琉球新報』新川明「非戦の志・平和への道ー儀間比呂志 沖縄の戦争と平和展に寄せて」
2007年5月7日 月刊 『榕樹』 □私の「大阪時代」 新川 明
新川 明 - 資料 2006年8月 西原町立図書館『新川明文庫目録』
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写真左から上里佑子さん、銘苅氏、川満信一氏、新川明氏/儀間比呂志さん、新城征孝氏、新川明氏、新城栄徳、その前が舞台美術家・新城栄徳氏


2018年9月7日ーひだりから新川明氏、三木健氏、川満信一氏、佐喜真道夫氏/三木健氏、新川明氏、佐喜真道夫氏