1976年12月 雑誌『青い海』59号 大城一史「儀間先輩とのめぐり逢い」


昭和49年9月 『詩と版画』詩通信社(堺市)板良敷朝貞「素朴な琉球壺の産地・海の中の沖縄にはどこにでもある風景・老婆の織る首里上布」/ 昭和51年11月 「大城一史第一回個展ーすいせんのことば 版画家・儀間比呂志/沖縄の郷土月刊誌『青い海』編集人・津野創一」/1981年2月 板良敷朝貞『抽斗』

□儀間比呂志「あいさつ」


板良敷朝貞

1980年8月に沖縄県大阪事務所で「第1回観光フェア」、『青い海』にカットなどを手がけていた大城一史の風景画展も開催された。

黒メガネが大城一史氏/大城一史作品を背景に新城さやか


1983年7月 『なにわ今昔』毎日新聞社


1987年11月 『大阪春秋』通巻51号/1972年9月 大阪府写真師協会『大阪写真百年史』

1987年11月 『大阪春秋』通巻51号 佐々木豊明「大阪の写真大尽 光村利藻」

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1896年6月ー『風俗画報臨時増刊/沖縄風俗図会』東陽堂
『風俗画報』は1889年に創刊された。出版元の東陽堂は1876年、東京日本橋で吾妻健三郎によって創業された。後に吾妻と同郷(山形米澤)の縁で渡部乙羽が入社する。乙羽は後に出版社博文館の婿に入るまで『風俗画報』に健筆を揮った。1889年には沖縄県七等属の石沢兵吾が東陽堂から『琉球漆器考』を刊行した。

1901年2月ー写真集『旅野家都登』第35号(琉球之巻・中山門、守礼門)□発行所は光村利藻。光村は1893年に慶応義塾入学、そこで渡部乙羽、巌谷小波と親しく交わる。
     12月ー田山花袋編『日本名勝地誌ー琉球之部』博文館(写真・中山門)





2012年 沖縄県立博物館・美術館「津野力男写真展」
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雑誌『青い海』創刊号を手にする津野力男氏
1985年6月『オキナワグラフ』「街のカメラマン津野力男さん」

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沖縄の写真家たち
2009年7月27日、那覇市銘苅の那覇北紫雲閣で写真家の津野力男氏の告別式があった。大城立裕、由井晶子、豊見山愛姉妹、山田實、前原基男、安里盛昭らの諸氏に、大阪から津野紀代志氏も参列された。津野力男氏と私が最初に出会ったのは不明だが手元にある氏の(財)沖縄県立海洋博記念沖縄館館長の名刺には1984年9月と記されているからその頃であろう。

2002年10月、津野氏は『陰翳礼讃ー津野力男写真集』を発刊された。その祝賀会が西武オリオンであった。そのときに撮った写真には印刷会社の金城一夫、星雅彦、宮城鷹夫、佐藤善五郎の諸氏が居る。同年暮れの沖縄タイムス年末回顧「写真」は洲鎌朝夫氏が担当され、津野氏の写真集にもふれた。また2003年は山田實写真展で明けると予告している。

1991年9月にもらった津野氏の名刺には沖縄県写真協会会長とある。そのときに沖縄県写真協会創立10周年で記念誌をつくるという。それなら那覇市歴史資料室に明治以降の新聞があるので写真関係の記事や広告をチエックすることを勧めた。ついでに92年の沖縄タイムスに私は「写真館開業第一号は山城正澤」と発表した。同年11月に『おきなわ写真の歩み』は発刊された。これらの経緯で2001年10月発行の『おきなわ写真の歩み』には私も「沖縄写真史散歩」を書いた。

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写真左が津野力男氏、津野創一さん

写真右が津野力男さん、新城栄徳

1998年7月2日 那覇市民ギャラリー「平田実個展ー残像 1968-1974琉球」

写真左から國吉和夫氏、平田実氏、新城栄徳