1994年5月 『版画集 儀間比呂志の沖縄』海風社
〇大江健三郎「真に沖縄的な画家ー儀間比呂志の仕事は、あえてこの言葉をもちいれば、いまやわれわれの南島の絵画の代表ということができるだろう。(略)いま本土日本からおしよせる沖縄の自然破壊、また人間のうちなる自然破壊について、もっとも暗くもっとも激しい怒りをあらわしているのを、僕は知らぬということはできない。」

〇高橋亨「自費出版にはげんだ初期から」


1995年8月 儀間比呂志『沖縄戦 朝鮮人軍夫と従軍慰安婦』清風堂書店ー□船越義彰「喜屋武岬海岸」、□儀間比呂志ー私の沖縄戦版画〇実際、戦争の本当の犠牲者は、子どもたちではないだろうか。私たちは、あの状況のなかで、戦争に反対することはできなかった。その結果、ずるずると、破滅にのめりこんだ。そして、多くの子どもたちを不幸な目に逢わせた。言うなれば、当時の大人一般は、等しく戦犯であろう。「あの時は・・・・・・」の言いわけはすまい。しかし黙するわけにはいかない。やることは、再びあの愚をくりかえさない努力をすることではないだろうか。沖縄県民が体験した「いくさは、ならんどォ」の執念には、人間にとって根源的な人類の「共存」という命題がこめられている。あとがき〇作家の船越義彰氏が寄せられた自らの体験記は、沖縄戦について、私の言いたらない面を補って余りあるものがある。感謝の意を」表したい。なお、取材の面では、山内栄氏に大変お世話になった。あわせて、本書の刊行を心よく引き受けて下さった清風堂の面屋龍延社長にも心からお礼を申しのべたい。
   
2917年7月『沖縄9条連たより』山内榮「六-二三と八・一五のはざまでー戦後七二年・憲法施行七〇年の年に考える」/儀間比呂志「むんじゅる笠」(新城栄徳 所蔵)


1997年4月 儀間比呂志『マジムンのうた』ルック(東京都豊島区巣鴨1-20-9)


2004年5月 儀間比呂志『沖縄戦版画シリーズ 戦争と平和』増川白陽「タイトル文字」画廊サエラ(松岡勇)/画廊サエラの松岡勇氏(左)、儀間比呂志


2005年10月3日『しんぶん赤旗』「日曜インタビュー/儀間比呂志さんーハンセン病差別なくしたい」


2006年6月 琉球大学文芸部『伝言』創刊号(表紙・儀間比呂志)


2009年9月『詩画集 琉球愛歌』右の儀間作品は1981年4月 野ざらし延男『沖縄俳句総集』にも使われている。
2009年9月 儀間比呂志×MONGORU800『詩画集 琉球愛歌』ハイウェーブ〇新川明(沖縄タイムス社社長)(前略)儀間版画には土俗的な祭りや風物を描く風土記的な世界と米軍基地や沖縄戦を告発する社会派的世界があるが、一貫しているのは沖縄=琉球に向ける深い愛のまなざしであり、権力の不条理に対する怒りと抵抗の意志である。それはつまるところ人間性の追求に立脚するものだが、こうした儀間版画の世界に<MON8>が発する詩句のエッセンスが対置されるとき、両者の魂のメッセージは共鳴し、増幅されて新しい世界が創り出されることに驚嘆せざるを得ないのである。まさに世代を超えて響き合う、沖縄発の人間賛歌がここに誕生していることを確認できるからである。〇儀間崇ー僕が先生を知ったのは5年前。「百々」の制作にあたって、たくさんの作品を見せて頂きました。(略)戦前に十代で家出!、南洋での暮らし、戦後の大阪、現在の沖縄・・・。「ボクは動いてないと死んでしまいますよ。ハッハッハ・・・」とシャレにならないジョークを飛ばされる程、先生は常に動き続け、先の先まで見据え、今も日々作品を創り続けています。その姿を見ると、もの凄いエネルギーをもらえて、自分もガンガン行かないと!という気になります。僕は先生と同じ儀間というのですが、儀間家には昔から「亀は食べちゃダメだ」という言い伝えがあって、その事を詩にした曲があるのですが、先生にも同じ言い伝えがあり、ルーツは一緒だと分ったり・・・


4月10日ー平良次子さん、豊見山愛さん/ひより
2018年3月17日~4月10日 南風原文化センター「儀間比呂志1周忌追悼特別展 絵本『ツルとタケシ』原画展」


2018年5月18日 写真左から、前列ー佐喜眞道夫氏、新川明氏。後列ー池原盛浩氏、豊見山愛さん、新城栄徳、喜友名ひとみさん(渡邊愛依さん撮影)


2018年6月 『版画芸術』№180 豊見山愛「儀間比呂志ー木版に刻んだ沖縄の記憶」






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儀間比呂志「ソテツ」





テレホンカード


儀間比呂志、実家に帰省



山田實さん所蔵の儀間比呂志作品「伊野波節より」

 儀間比呂志の絵がシャッターに描かれている久茂地・抱瓶店。ゆいレール・那覇空港駅には儀間比呂志の「万国津梁の民」(2003年8月)。