2000年7月16日『沖縄タイムス』新城栄徳「書評-安仁屋政昭/高嶋伸欣『「沖縄魂」が語る日本』黙出版」


写真→松島弘明氏〇在りし日の故翁長雄志氏です。那覇市長時代に元ソ連大統領・ミハイル・ゴルバチョフ氏を世界遺産になった識名園でレセプション。左は当時の県知事・稲嶺惠一氏。空手着を送られたゴルビー氏「私はプーチンのようにはいきません」とジョークを飛ばしていました。〇「沖縄の心」を大事にし、その「民意」を先頭に立って訴え続けてきた翁長県知事が現職のまま逝かれた。本人にとっても県民にとっても実に無念である。数々の翁長語録を思い浮かべる。「イデオロギーではなく、うちなーとうちなーんちゅのアイデンティティを」。11日の県民大会の壇上には、座るべきはずのイスに青い帽子が置かれていた。辺野古の海を象徴するブルーである。「県民はあきらめない」。ノーベル平和賞を受賞した元ソ連大統領・ゴルバチョフさんが寄せた追悼文には「私たちの中で永久に生き続けます」とあった。

『琉球新報』ゴルバチョフ氏からの追悼文翻訳 尊敬する翁長樹子様
 翁長雄志知事の突然の訃報に深い哀悼の意を表します。再会を楽しみにしていた私にとって悲しみが大きく言葉が見つかりません。翁長雄志さんは優秀な政治家であり、立派な人間でありました。私は翁長さんと何度も会いました。
 彼はいつも不変で堅固な意志を持ちながら、将来への明確なビジョンを持っていました。彼の活動の基本方針は、平和のための戦いであり、軍事基地拡大への反対と生活環境向上が両輪でした。私、そしてゴルバチョフ財団の全職員から心からのお悔やみを表明し、この悲しみを沖縄県民の皆さまと分かち合いたいと思います。
 翁長雄志さんは私たちの中で永久に生き続けます。
  2018年8月9日 モスクワにて ミハイル・ゴルバチョフ

沖映通りに安仁屋宗八(左)、ミハイル・ゴルバチョフの手形がある。

「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)8月11日午前、那覇市・奥武山公園。

県民大会途次、市民ギャラリーの「第22回 個我の形象展」を観る。西村貞雄さん「ブイに立つ祈り」(辺野古に浮かぶブイ)。




沖縄防衛局が新基地建設の環境保全策を議論するために設置した環境監視等委員会の副委員長委員だった東清二琉球大学名誉教授が「辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」に送ったメッセージは次の通り。
「8・11県民大会に寄せて」私は2014年4月から、沖縄防衛局が設置した環境監視等委員会の副委員長を務めていましたが、今年4月に正式に辞職が認められました。最初は環境監視等委員会で、ちゃんとした監視ができると期待していました。それで、埋め立て区域も含めてウミガメの産卵場所、ジュゴンの食草であるアマもなど海藻の分布と密度、ジュゴンが何頭いるのか、どれくらいの頻度で来ているのか、などの調査を依頼したのですが、全然返事が来ない。何も調べていないのです。
 委員会での発言の確認も第1回目の後はありました。しかし、その後は議事録ができてくる度に全然違う。発言をしても、こちらの要求までは書いていない。委員会で藻場の問題も話しましたが、それは議事録には載らない。防衛省は自分たちの都合の悪いことは議事録に載せないのです。委員の意見を聞いて、それを守るのが防衛省のはずなのに、自分らに都合の悪いことは一切書かないで、都合のいいことだけ書いて、それを守っていくだけなのです。そんな委員は意味がありません。県外からの委員には、沖縄のことはわからないんです。沖縄に来て初めてサンゴを見た人もいたんじゃないでしょうか。
 とにかく、委員会で何を言っても響かない。開発一点張りで、サンゴのことだけは答えるが、それ以外のことはまともに答えない。海草藻場のことなどは見ないことにしよう、聞かないことにしようと。工事ありきで、他の意見は聞かないという態度です。環境監視と言いながら、工事を進捗させるため、何らかの了解を得るための委員会だと防衛省は思っているようでした。工事を進捗させることに関係ないことには耳を貸さないという態度ですね。それじゃあ何の意味もない、何のための委員会かということで、私は2015年3月に辞めると事務局に伝えました。沖縄防衛局からはこの件で取材があれば、事務局に聞いてくれと答えなさいと言われました。
 辺野古、大浦湾の環境は優れています。特に藻場はすごい。あんなに広い藻場は他にないです。それを埋め立てるのは自然破壊そのものです。沖縄本島の山を崩して埋め土を持って来るのも、自然破壊です。辺野古、大浦湾の埋め立ては、やめさせることです。中止すべきです。沖縄にはもう、これ以上、軍用基地はいらないです。慰霊の日の翁長知事の発言には本当に感激しました。私は、翁長知事の埋め立て承認の撤回を支持します。 東清二

 「くろねこの短語」2018年8月12日-辺野古新基地建設反対の沖縄県大会が開かれ、謝花副知事は故翁長知事の意志を継いで辺野古の埋め立て承認撤回の方針を改めて表明した。壇上中央の席には翁長氏が着用するはずだったブルーの帽子が置かれ、県大会はさながら決起集会を彷彿とさせる熱気に包まれたそうだ。
 そうだ、と書かざるを得ないのはこの県民大会を、夜のニュースでまともに報じたTV局が見当たらないからだ。テレビ朝日『スーパーJチャンネル』は、なんと冒頭から「平成最後」をキーワードにしたトレンド情報。呆れ果てました。テレビ朝日に関しては『報道ステーション』のプロデューサーがどうやら鮨友に近い人物に代わり、政権批判が影を潜め、やたらスポーツニュースが多くなったと噂されいてるけど、昨夕の『スーパーJチャンネル』を観ればさもありなんてことか。


2018年6月 豊里友行写真集『おきなわ辺野古ー怒り・抵抗・希望』沖縄書房/自然保護団体の船を妨害するアベの走狗・海保CB

いいだ もも(本名:飯田 桃(読み同じ)、1926年(大正15年)1月10日 - 2011年(平成23年)3月31日)は、東京府東京市出身の作家、評論家。多元主義的共産主義者。『21世紀への構想』研究会主宰。『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員。男性。別名の宮本 治は「宮本百合子と太宰治をアウフヘーベンする」との意図によるという。→ウィキ

 『近代日本社会運動史人物大事典』に人物伝を書いたので、編集委員のいいだ・もも氏から著書を贈られた。

左下の教養文庫、黒岩涙香『弊風一斑 蓄妾の実例』は、以前、桑原守也さんから本書の尚泰侯爵<400>コピーを送られたことがある。それに「旧琉球王侯爵尚泰 麹町区富士見町八番地、侯爵尚泰は左の如く多くの妾と庶子を有す△琉球人真鶴金(46)。△牛込区原町3丁目士族船岸勝太郎方同居平民山本ちょうは、男秀を22年9月に生み、女みちよを24年7月に生み、女やえを25年12月に生む。△北豊島郡巣鴨町1丁目17番地、田中栄蔵長女こうは、男光を23年12月に生む。△三重県河芸郡神戸町片山半七2女貞は、女まさよを、25年2月に生み、男時を26年5月に生む。△下谷区南稲荷町83番地松本かね養女ゆうは、女きみを27年11月に生む。△千葉県安房郡北三原村西田市五郎方神田なつは、女ちよを27年6月に生み、女さよを29年8月に生み、女すずを30年11月に生む。以上はいずれも小間使いもしくは下女なりしを手を附け孕ませたるなり、その嗣子 <401>従四位尚典(35)も麹町区3番町56番地、高木勝太郎方同居士族2女ちゑを妾とし、明治16年10月1女を挙げつると命名す。」同書には「靖国神社宮司加茂水穂は日本橋区村松町48番地藤吉妹松本やそ(31)を妾とし一時麹町区1番町47番地に囲い置きたれども今は3番町10番地に移す」などもある。


1975年11月 しまね・きよし『もうひとうの日本共産党ー宮本顕治体制に隠された真実』サンケイ新聞社
〇いいだ・もも「著者 しまね・きよしさんのことー私は、日本共産党論では、しまね・きよしさんの弟子でしてね。今は亡くなった梅本克己さんのお宅で、水戸学派と称して「唯物論研究会」なる一種の義塾を開いていた頃、はるばる柏からしまね先生を仰いで、その該博な資料踏査に成る日本共産党史を、耳から勉強させていただいたことがあるのですよ。連続読切り講談というか、いつも次回が心待ちに待たれるほど面白かったですね。とういうのも、しまねさん自身が下積みの実践活動の苦労を長年かさねた外語大以来の共産党員だったからで。
 60年安保闘争の時、取手の地区労事務局長をやっていた彼が、ハンドマイクをぶら下げてシュプレッヒコールの音頭をとっていた姿を思い出しますなァ。昔から党を右へおん出た転向者はゴマンといるが、そういう人の話は「オレも昔は・・・・・・」といった老いの繰り言が多くてあまり面白くない。しまねさんは、左へ飛び出した一個の自立したマルクス学者で、だから党史に地の塩の味がよく利いてる。

明治維新後、明治新政府の要職や陸海軍の幹部には薩長(薩摩藩と長州藩)出身者が多く占めていた。伊藤博文も長州藩士である。

「緋色の研究」ーこの本(黒岩涙香『弊風一斑 蓄妾の実例』)の中では、数多くの方の実例がそのまま暴露されていますが、初代総理大臣・伊藤博文はかなりひどいと言えるでしょう。伊藤博文の実例紹介部分を、ぼくが現代語に直したのが以下のようなものです。
 「さっそくだが伊藤博文は変態なので、世間に知られている以外にもとんでもない事実があるのではと思っていたが、まさしく秘密の中の秘密と言える事実をつかんだので紹介する。芝区伊皿子町65番地に田村半助という男がいるのだが、古くから伊藤博文の家で土木請負をしていた。その関係で、田村半助の長女である喜勢子が伊藤博文の愛人になったことがあった。喜勢子は伊藤博文に可愛がられ、麻布長坂町1番地にきれいな家を立ててもらったりもしていた。しかし喜勢子が病にかかり亡くなってしまい、伊藤博文は悲しみながら喜勢子の妹つね子をまた愛人にし、つね子も美人なのでまた可愛がってた。しかしこのつね子もまた19歳で亡くなってしまい、伊藤博文はまた悲しみながら、次はつね子の妹で16歳の雪子を愛人にしようと企み、愛人にさせろと田村半助に迫った事実がある。しかし田村半助も、さすがに娘がふたりも亡くなっていることが気になりすぎるし、雪子も怖がって愛人になりたくないと言う。そんなことを言えば言うほど、伊藤博文は雪子を愛人にしたくなり、5月16日に行われた喜勢子とつね子の追福法会(冥福を祈る会)では、莫大な金品を田村半助に与えまくり、とてつもなく恩を着せ、田村半助のまわりにいる者9人ほどを権力で操り、あの手この手で愛人にしようと圧力をかけ続けた。しかし、それでも雪子は愛人になりたくないと断り続けていた。これが先月までの話。それでも田村半助たちの生活が成り立っているのは伊藤博文のおかげであるから、雪子がいつ愛人になってしまうか分からない状態だ。今後、雪子の愛人の話がまとまったりすれば、随時報道していく!」ねぇねぇこんなこと書いていいの~~~~!?!?相手は初代総理大臣なんですけど!!一般人の実名と住所出しすぎなんですけど!!完全におもしろがってやってますよね!!現代からすると、これだけの暴露を発表しつづけてメディアに残っていたのが不思議でしようがないですが、現代と明治ではさまざまな社会通念自体が異なるものだったようです。『恩を着せた』のあたりなど、名誉毀損のルーツともいえるような書き方なのですが、黒岩さんはほんと権力者に消されなくてよかったですね…。もちろん暴露は伊藤博文だけではおさまりません。総理大臣ですらここまでやっているのですから、他の人にもどんどん過酷な追求を行っています。



「くろねこの短語」4月16日ー倒産王の詐欺師にお追従したり、刈上げの首領様をサリン爆弾あるんだろうと刺激してみたり、危機感をことさら煽るような愚かな言動をしてるくせに、花見とはこれいかになんだね。花見をするなら、野蛮な大統領や首領様を理を尽くして諭すくらいの器量を見せてからのことだ。もし、このタイミングでクラリオン蓮舫君なんかがタレント招いて花見してごらんなさい。ペテン総理が先頭に立って袋叩きを始めるに決まってます。さらに、田崎スシロー、山口ノリマキなんかが連日TVで喚きたてるはずだ。
 それにしても、いまにも「北朝鮮からミサイル来るぞ!」って喚いておきながらの花見三昧ってことは、ミサイル騒動が「安倍晋三記念小学校」疑獄隠しの一面もあったってことを自ら証明と強いてるようなもんだ。もう、この国は末期症状ですね。

 2004年3月23日、「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」があった。友人たちのバスで会場の北谷公園野球場前広場に1時に着く。テレビで宮古に大雨警報とあったが、会場も雨であった。2時に大会が始まる前に会場を一周した。テントで福地曠昭氏と、安仁屋政昭氏が話をしている中に割り込んだ。福地氏に今度の『オキナワグラフ』に氏の名前を引用している旨を話した。そのうちかつての全軍労の闘士・上原康助氏も福地氏の会話に加わってきた。上原氏を目前にするのは初めてだがテレビで馴染んでいたせいか以前からの知人のように感じた。また西尾市郎氏も抗議活動を展開していた。




1983年3月 安仁屋政昭『沖縄の無産運動』ひるぎ社


1983年4月 安仁屋政昭『沖縄戦再体験』汐文社/2000年7月 安仁屋政昭/高嶋伸欣『「沖縄魂」が語る日本』黙出版


1971年9月『文化評論』№121<特集・沖縄論の思想>仲地哲夫「第三の琉球処分ということ」、西里喜行「近代沖縄の課題と差別問題」、安仁屋政昭「沖縄戦の記録とその思想」、津田孝「沖縄問題と現代の作家」、嶋津与志「沖縄協定調印前後」

1971年9月 『文化評論』№121 <特集・沖縄論の思想> 安仁屋政昭「沖縄戦の記録とその思想」
/仲地哲夫「第三の琉球処分ということ」


1971年12月 『文化評論』№124 北川民次「表紙絵」、伊藤嘉昭☆「侵略戦争と自然科学者の責任ーベトナムの枯葉作戦に反対する日米科学者の運動」、新里恵二「沖縄近代史の諸問題」、河邑重光「トロツキストの沖縄論」、鹿地亘「キャノンの横顔」、仲地哲夫「読書ノート 儀部景俊・安仁屋政昭・来間泰男『戦後沖縄の歴史』日本青年出版社」


☆沖縄の雑誌『青い海』73年11月号 伊藤嘉昭「自然保護と野生生物保護の論理」、伊藤 嘉昭(いとう よしあき、1930年3月30日 - 2015年5月15日)は後に第17回南方熊楠賞を受賞している。

1978年7月 伊藤嘉昭『人間の起源』紀伊國屋書店/2000年9月 伊藤嘉昭『沖縄の友への直言』高文研

1998年12月 伊藤嘉昭 垣花廣幸『農薬なしで害虫とたたかう』岩波書店


1996年3月 安仁屋政昭/新垣勉/大城保英/佐次田勉/宮城義弘『沖縄はなぜ基地を拒否するか』新日本出版社 
Ⅰ 怒りの爆発ー許せない人権と主権に対する侵害
Ⅱ基地への強制使用は認めないー代理署名拒否が提起したもの
Ⅲ 沖縄戦と銃剣によってつくられた米軍基地
Ⅳ 安全な暮らしを脅かす米軍基地
Ⅴ 基地をなくし沖縄を”平和の発信地„に
資料ー米軍人による日本人等殺人事件の発生状況・刑の執行状況
     基地被害ー米軍関係事故の概要

 『沖縄タイムス』6月29日ー沖縄全戦没者追悼式で安倍晋三首相へのやじや罵声が飛び交ったことに対し、自民党前青年局長の木原稔衆院議員(熊本1区)が「明らかに動員されていた」と述べていた問題について、追悼式に参加していた遺族や関係者は怒りをあらわにした。安倍首相に対し「式典に参加する資格はないぞ」と声を上げ、警官に会場の外へ連れ出された那覇市の男性(82)は、祖父と兄を沖縄戦で亡くした遺族の一人として自主的に参加した。やじは、悩んだ末の発言だった。「新基地建設を強行し、安保法案成立を急ぐ首相をじかに見て、黙ってはいられなかった」(略)追悼式に参加した高嶋伸欣(のぶよし)琉球大学名誉教授(73)は「政府の偏見がここまで来たか」とあきれる。「翁長知事の平和宣言には万雷の拍手が起こった。その盛り上がりを受けての首相への怒号。事前に準備したものとは思えない」と指摘した。木原氏は報道機関を批判する意見が相次いだ自民党の若手議員の勉強会の代表で、党青年局長を更迭された。