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1969年12月『オキナワグラフ』
  
2003年10月25日『沖縄タイムス』新城栄徳「うちなー書の森 人の網⑨ー生き字引の神山政良翁」


1972年5月『青い海』13号 神山政良(東京沖縄県人会会長)「5月15日に想う 過去を過去たらしめよ」

 1940年の東京沖縄県人会『会員名簿』の東京沖縄県人会の沿革によればその歩みはつぎのようになる。京浜沖縄県学生会の会報で補足する□b>
1886年ー在京沖縄出身の青年間に勇進社を組織す
1888年ー沖縄学生会と改称
1890年ー沖縄青年会と改称す
1899年ー照屋宏により学生の寄宿舎設立計画さる
1899年ー沖縄青年会仮事務所を麹町区富士見町2ノ7、尚侯爵邸家構内に置く
1909年ー創立20周年記念会を上野精養軒に開き朝野の名士を招待す。来会者3百余名空前の盛事なり 当時会長は護得久朝惟
1910年ー仮事務所廃止
1910年ー護得久朝惟会長提案による沖縄青年会会友会発会式を風月において挙行す
1910年ー護得久朝惟会長辞任、後任会長に漢那憲和
1911年ー寄宿舎設置補助交付の件が沖縄県会を通過、翌年より2ヵ年に亘り金壹萬円也下付せらる。当時日比重明知事、高嶺朝教県会議長、岸本賀昌学務課長
1912年ー沖縄青年会会友会を社団法人とし沖縄育英会と改称す
1913年ー寄宿舎落成式挙行。沖縄県明正塾と命名す 東恩納寛惇舎監に推薦さる
       その後1923年に東恩納寛惇、舎監を辞任、神山政良が常任管理委員に推挙さる
       1928年、神山政良、舎監を辞任、比嘉良篤、後任に推挙さる
       東京沖縄県人会と改称す、役員を理事制度に改め漢那憲和理事長に推薦さる
       □1925年5月ー京浜沖縄県学生会結成
1927年ー役員を会長制に改め、新城朝功が会長に当選し神山政良、奥島憲仁が副会長に当選す 神山副会長辞任
1928年
11月11日ー京浜沖縄県秋季総会、会長に尚謙(慶応大学)、副会長に赤嶺康成(高等師範)
□1929年
5月ー京浜沖縄県学生会秋季総会を新宿白十字堂に開く。伊波普猷「方言に現れたる土俗」講演。役員改選で会長に小嶺幸雄(早稲田大学)、副会長に福地唯義(慶応大学)。
6月2日ー京浜沖縄県学生会春期総会を新宿白十字堂ホールに開く、佐藤惣之助の「琉球旅行」の話
1929年ー役員改選さる 会長に渡口精鴻、副会長に比嘉春潮、翁長良保
□1930年
7月ー小川町の多賀羅で在ハワイ同胞母国観光団歓迎会、主賓の金城珍栄以下10余名、県人出席者30余名。
11月9日ー京浜沖縄県学生会秋季総会を神田駿河台下白井喫茶部2階で開く、渡口精鴻、比嘉春潮の談話、女子部の会長に豊川とみ
□1931年
3月19日ー漢那憲和代議士、移民会館建設の準備成功し帰国
4月29日ー大蔵省参事の神山政良、名古屋専売局長に栄転さる。
5月17日ー神楽坂福寿倶楽部で東京沖縄県人会春季総会、役員改選 会長に渡口精鴻留任、副会長に奥島憲仁、恩河朝健
1932年ー明正塾廃止
1936年ー5月、本会沿革及び名簿を謄写す
1936年ー役員改選さる 会長に神山政良、副会長に大濱信泉、八幡一郎
1937年ー東京沖縄県人会(芝区虎ノ門会館 久高特許事務所内)『会員名簿』作成頒布  
1938年ー役員改選さる 会長に神山政良、副会長に大濱信泉、八幡一郎
1940年ー東京沖縄県人会『会員名簿』     

大宜味朝徳は海外研究所を設立し『我が統治南洋群島案内』『最近のペルー事情』『最近の布哇事情』などを発刊した。1933年1月に南島社(東京市本郷区蓬莱町5)から郷友版『南島』紙を発行する。3号(1933年3月)に「東京琉球泡盛商一覧」が載っているのを始め平敷本舗主人の平敷安用の「「東京に於ける琉球泡盛の今昔」、東京での泡盛委託販売30年の入江藤五郎の「泡盛の黄金時代」、「泡盛界に躍進する三島本舗主・川村禎二君」が載っている。また泡盛商広告に崎山商店(崎山喜昌),うるま本店(金城時男)、琉球古代焼・花瓶置物・琉球漆器・琉球玩具も扱う仲本商店(仲本宗厚)がある。

『南島』4号に「知念松一君、沖縄写真帖計画」が出ている。知念松一は8号の個人消息で「大阪市港区八雲町4で関西沖縄新聞創刊」とある。また空手講習会、南島談話会、泡盛組合、東京沖縄県人会の集会も紹介されている。1934年2月『南島』10号の集会欄に「名古屋県人会(比嘉康進)が神山政良顧問で万歳三唱、舞踊、空手あり」と報じられ、8月の『南島』13号には稲垣国三郎氏の義挙として「大阪稲垣愛日小学校長は6ヵ年間沖縄師範主事として勤務したことがあるが久松五勇士の快挙につき種々尽力、公にし且つ映画化して南島男子の意気を顕揚せしめた。この義挙に対し在阪県人有志の我喜屋宗信、山城興善、下地玄信、平尾喜代松、真栄田勝朗、幸地長堅らが大いに協力した」が載っている。ほかに『南島』の個人消息欄には上原美津子(中央電話局教師)、伊波普猷長男國男君目出度本年度二中に入学、また久志芙沙子の随筆がある。


1936年10月27日午後5時から、神田区小川町の多賀羅亭で東京沖縄県人会臨時総会が開かれた。定刻までに90人が集まった。先ず神山政良会長が開会を宣した後、会則改正の必要を説明。そして新会則案を提出し、副会長の八幡一郎がこれを朗読し審議に入った。神山政良が会長に再選。あと会食。その後に漢那憲和、渡口精鴻の旧会長、幹部の労を謝し、大城兼義がパンフ「沖縄県回生の要訣」を手に憂郷の熱弁を振う。午後10時、大城兼義の音頭とりで「東京沖縄県人会万歳」を三唱して和気藹々のうちに散会した。

1937年
東京沖縄県人会会則
第1条  東京沖縄県人会は東京府下在住の沖縄県人を以って組織す但し府外在住者又は沖縄県に縁故を有する他府県人にして入会を希望する者は之を会員となすことを得
第2条  本会は会員相互の懇親を図り且つ沖縄県人の向上発展に貢献するを以って目的となす
第3条  本会は下の事業を行う
      1、会報の発行
      2、会員の慶弔
      3、県出身優良学生並びに篤行者の奨励表彰
      4、県人会館の建設
      5、其の他第2条の目的達成上必要と認むる事項


東京沖縄県人会役員
会長ー神山政良 副会長ー大濱信泉、八幡一郎
幹事ー安次富松蔵、伊元富爾、伊豆見元永、井上寛令、我謝秀裕、久高将吉、高嶺明達、高良憲福、仲吉良光、仲原善忠、比嘉良篤、比嘉春潮、船越義英、真玉橋朝起、宮城清、饒平名智太郎
顧問ー伊江朝助、伊波普猷、伊禮肇、大城兼義、漢那憲和、渡口精鴻、東恩納寛惇、尚亘、長嶺亀助、仲宗根玄愷、銘苅正太郎、花城永渡、山本實彦
評議員ー石原三覧、石嶺傳亮、石川正通、池城安信、大城兼真、大城朝申、大宜味朝徳、奥島憲仁、奥間徳一、翁長良保、親泊朝輝、恩河朝健、嘉手苅信世、金城時男、国吉良實、久志助起、国吉真俊、崎原當升、志村宗徳、島袋全達、平敷安川、津波古充計、仲里朝章、仲兼久長太郎、新田宗盛、比屋根安定、宮城幸安、宮城新昌、山川朝賢、山内朝常、山川政功、森田孟睦、読谷山朝宣


東京葛飾区在住の島袋和幸氏の調査によれば、1886年、アメリカ船ゲーリック号でサンフランシスコに到着しミシガン大学準備のため友人らと下宿していた粕谷義三が、友人たちと協同で週刊邦文新聞『第十九世紀』を発行した。後に粕谷は大学を終えて帰国、板垣退助の日本自由新聞社の主筆をつとめた。第5回総選挙で衆院議員に当選、立憲政友会に所属し埼玉支部長もつとめた。粕谷は埼玉県入間市藤沢の出身、その市民会館前に銅像がある。その粕谷義三の知遇を得たのが沖縄美里出身の大宜味朝徳で、粕谷の協力の下で1922年12月に週刊『埼玉公論』紙を創刊する。大宜味が1926年に『沖縄及沖縄人』を発行したのは前回記した。

1921年10月ー沖縄協会創立
沖縄協会創立趣意書
本県は地理上の関係よりして古来本土との交通稀疎にして制度習俗亦従って異なるものあり明治維新後他府県同様法治の制を布かれしも猶各種の関係に於いて特殊の点在するものありしも今や県勢の振興発展は制度に於いて特例なく各般の施設亦他に比し敢えて遜色ありと言ふに非らざるも只だ本県事情の正当なる紹介を得ざる為め較もすれば他の誤解を招き惹いて損失を蒙ることすくなしとせざるものあり更に遺憾とする所は本県関係の重要懸案にして中央と連繋を要するもの益々繋きを加ふべきに而も之に処する何等機関用意の設けなきこと之れなり為めに凡ての企図策応によるべきなく且つ機を逸するの憾みあり之を以って吾が沖縄を広く江湖に紹介し且つ中央との連繋を採る機関の必要は久しく唱導されしも機の熟せざるものありしが機運の際会は之が創立を県内外在住の識者諸賢に提唱するの急に迫るものあり冀くは各位の賛同を得て本県将来の振興発展に資せんことをー大正十年十月。

役員
総裁・床次竹二郎 会長・和田潤 副会長・我如古楽一郎  理事・金城清松、黒木一二、崎浜秀主、銘苅正太郎、伊江朝助、大濱用要、山城五郎、宮城栄喜、伊仲浩、大城亀作、新垣牛一、盛島明長

1922年8月24日、沖縄県庁会議室で沖縄協会第4回理事会ー和田会長挨拶。東京市に沖縄協会支部設置並びに平和紀念東京博覧会の沖縄売店(出品者ー丸山漆器店、米次漆器店、漆器組合、太原漆器店、黒田理平庵、渡久地商店、新西商店、津嘉山商店、西田商店、渡慶次商店、食品会社、古賀商店、酒造組合、水産組合、上運天令儀、時志商店)の状況報告□会議参加者・和田会長、我如古副会長、理事は崎浜秀主、黒木一二、金城清松、山城五郎、宮城栄喜、桑原一郎、新垣牛一

沖縄協会在京会員
安慶名徳潤ー淀橋町柏木、新崎康ジョー小石川区下富坂、安谷屋繁ー小石川区茗荷谷、千原成梧ー青山原宿、東恩納寛惇ー小石川区水道橋、国吉良名ー麻布区、銘苅正太郎ー麻布区六本木、仲宗根玄愷カイー小石川区関口台、仲村政人ー牛込区原町、高山徹ー下渉、上運天令儀ー神田区今川小路



京浜在住本県出身者名簿(学生ヲ除ク)
尚昌(式部官侯爵)ー麹町区富士見町、安仁屋賢伯ー神田区錦町、安谷屋正量ー瀧ノ川川端、新田宗盛ー千駄ヶ谷町原宿、安仁屋賢好ー神田区錦町、安次富長英ー麹町区富士見町・尚家内、安里芳ー神田区中猿楽町、安里盛保ー赤坂区青山小学校、新垣安和ー本郷区湯島天神町、知念嘉保ー京橋税務署、我部政佐ー小石川区諏訪町、我喜屋盛常(反布商)ー本所区林町、我部政平ー渋谷四段町、我謝秀裕ー麹町区富士見町、城間守八-神田区三崎町、城間恒春(教員)ー牛込区山吹町、城間惟智ー京橋区南鍋町、具志野宗徳(浅草専売局)ー小石川区春日町、具志野寛才(台湾製糖)ー日本橋区伊勢町、具志野貫成(工学士)ー牛込区西五軒町、城間恒貴(教員)ー本所区番場町、城間嘉栄ー京橋区南鍋町、城間隆栄(教員)ー浅草区千東小学校

源河新昌ー横浜市仲通り、護得久朝光ー麹町区富士見町、護得久朝惟ー麹町区富士見町、儀間新(十五銀行員)ー淀橋町角筈、儀間倫ー神田区五軒町、花城長 、比嘉賀成ー芝区三田四国町、比屋根安定ー中目黒、比嘉厚栄ー小石川区御殿町小学校、池宮城積功(教員)・池宮城積寶ー下谷町上野花園町、伊元富爾(中外商業新聞記者)ー
神田区北神保町、糸数朝昌(教員)ー浅草区南元町、石川正通・伊波信雄ー代々木、石川元康(大蔵省主計局)・伊礼正隆(東京朝日新聞記者)ー神田区西小川町、池城安仁・伊江朝喜ー麹町区富士見町・尚家内、伊波興光ー小石川区関口町、伊藤英雄(十五銀行員)ー本郷区菊坂町、漢那朝常ー麹町富士見町、嘉数太郎ー小石川明正塾、嘉数詠明(湯浅商会)ー牛込区通寺、嘉手納良スケ、亀島靖泊ー神田区魚住町、金城紀典(農商務省化学研究所)ー本郷区蓬莱町

川上親勤(教員)ー下谷区真島町、金城嘉恒ー小石川区久堅町、金城増太郎(教員)ー下谷区高等小学校、川平恵達ー本郷区蓬莱町、漢那憲和(海軍大佐)ー東中野、神山政良(専売局副参事)ー淀橋町角筈、漢那長著ー四谷区本村町、神村如ショウ、賀数恵光(教員)ー下谷区上根岸町、神山宗勲ー神田区囃子町、国吉真禮、国吉真俊(中外電業会社)ー代々幡笹塚町、国吉良寶(弁護士)ー小石川区竹早町、久高唯忠(医学士)-大塚辻町愛仁堂、国吉文達、国場寶善(反布商)ー本郷区台町、国場国謙(反布商)ー下谷区練塀町、小橋川朝明(中央新聞記者)ー神田区裏猿楽町、古和蔵一男ー横浜市南仲通、野武朝永ー麹町区富士見町尚家、村山政徳ー麹町区一番町、松原寛烈ー巣鴨町、真玉橋朝起ー池袋、真恵喜章、真栄田宗正ー日比谷貴族院官舎、松川朝秀ー牛込区西五軒町、前川守会(原庭警察署)ー本所区番場町、宮城三郎(教員)ー四谷第三小学校

宮城仁勇ー本郷区金助町、宮里鳳儀(警察署)ー麻布六本木、宮里良保ー北蒲田、宮城新昌ー大久保百人町、宮城幸安(日本郵船会社)ー横浜市青木町、宮城久輝ー改造社、峯井吉雄ー芝区金杉町、饒平名智太郎(改造社記者)ー中目黒、饒平名紀明(教員)・饒平名紀芳(タイピスト)ー本郷区金杉町、西平賀純(教員)ー深川区臨海小学校、西平賀譲、根路銘国達、仲本光輝ー下谷区御徒町、永島可昌(教員)-下谷区弁町小学校、名嘉真武輝ー神田区五軒町、仲里朝茂ー麹町区富士見町、仲村常樽(教員)ー牛込区市ヶ谷小学校、仲本為美ー本郷区湯島、仲吉朝長、名嘉真正文ー神田区亀沢町、仲村幸之吉(上野駅勤務)ー下谷区谷中天王寺町、太田朝珍ー麹町区富士見町尚家

奥島憲仁(弁護士)ー中野町小淀、大城盛祐ー神田区三崎町、大城仁輔ー麹町区富士見町尚家、大濱信泉(弁護士)ー飯田町、太田佐賢ー神田栄町、奥原宗仁ー麹町区富士見町、奥原宗義、親泊朝擢ー大久保百人町、翁長良圭(反布商)ー京橋区大鋸町、翁長武彦、荻田友成ー本郷区森川、大城政次(教員)ー芝区新堀町、大濱信恭ー、大城梅一郎ー神田区南神保町、大城兼真ー神田区表猿楽町、大城助十-神田区淡路町、翁長武源ー神田区南甲賀町、大城福文、小那覇全孝(歯科医)ー豊多摩郡杉並村、翁長武珍(教員)ー四谷区鮫ヶ橋小学校、和宇慶朝香ー瀧川田端、崎原當竹、佐久田良英(教員)ー千駄ヶ谷尋常高等小学校、佐藤清義(教員)ー浅草区南元町、島袋全達(教員)ー小石川区上冨坂町、島袋全徳(鉄道省)、新里清良(教員)ー下谷区山伏小学校、志多伯正勝(反布商)ー神田区五軒町、識名盛亮、下地紹知(弁護士)ー神田区仲猿楽町

尚旦(法学士)ー麹町区富士見町、瀬長良直ー神田区表神保町、瀬底直雄ー麻布区箪笥町、砂川方愷(教員)ー四谷区円第五小学校、當間恵栄ー麹町区富士見町尚家、豊川善包ー本所区向島須州町、豊川善貴(法学士)ー小石川区明正塾、豊川善曄ー神田区淡路町、渡口精鴻ー芝区愛宕町細菌研究所、渡嘉敷綏健-牛込区築土町、友崎英助、渡久山寛常(弁護士)ー本郷区本町、渡慶次柴厚(反布商)ー下谷区仲徒町、豊田小鷺ー本郷区竹早町、渡嘉敷唯勤(時事新報記者)、徳田球一(弁護士)、玉城正仁(教員)ー深川川南小学校、平良淳教(教員)ー下谷高等小学校、嵩原安宜・嵩原安智ー麹町区富士見町尚家、多田喜導(教員)ー大島町、高嶺朝昌ー牛込区喜久井町、田里 顕(反布商)ー神田区佐久間町、高原安正ー神田区神保町

竹下正雄(弁護士)ー千駄ヶ谷原宿、田里維寛ー麹町区富士見町尚家、津波當光、照屋林仁(逓信省)、照屋林芳、照屋健六(国勢院)、宇良ジョウ中(古物商)ー本郷区台町、宇良宗次郎ー神田区西小川町、上与那原朝珍(海軍軍医)ー京橋区築地、浦崎永錫ー小石川明正塾、上江洲由太郎、上間正冨ー麹町区富士見町尚家、上江洲由英(教員)ー下谷区大正小学校、与世山大成(反布商)ー神田区五軒町、義村朝宜ー小石川区金冨町、与儀喜宣(農商務省)ー瀧川田端、与世山有経(反布商)ー本郷区湯島天神町、与世山盛興(教員)ー京橋区越前堀小学校、与座芳秋ー牛込区山吹町、吉村克人ー神田区表神保町、与世山盛喜、横山貞輔(日本郵船会社)ー大森町、山川朝賢ー麹町区富士見町、山田真山(美術家)ー本郷区湯島梅園町、安元實発(新報知社記者)ー京橋区南伝馬町、山田有慶、山城正鋼ー千駄ヶ谷、山田有實(工学士)ー板橋町、山口全恭、屋嘉宗澤ー四谷区匹左門町、屋比久孟徳(医師)ー板橋伝染病院、山城光進ー本郷区金助町