2017年6月ー前々から気になっていた「古本くろねこ堂」を検索してみた。古本くろねこ堂の本は、耽美・幻想・神秘・異端・怪奇・エロスなどをキーワードに、店主が気ままに集めたものです。系統だったジャンル分けはしていませんが、“奇妙な味”の本の世界をお楽しみください。とある。この、“奇妙な味”の本はほとんど私が東京在住の1964年頃の神保町で立ち読みしたものだ。関西ではだいぶ入手したが。
 1964年、神保町古書街で『宝石』(推理小説専門誌)を見たことがある。澁澤龍彦が「黒魔術の手帖」(1960~1961)を15回連載していた。澁澤がオカルティズムの初期の頃のエッセイ。悪魔学、サバト、黒ミサ、錬金術、タロットカードなど、西洋の黒魔術について紹介した書物。「青ひげ」のモデルといわれる幼児殺戮者ジル・ド・レエ侯について紙幅を多く割いている。『宝石』は古本屋の店先に積まれてあったからよく立ち読みしていた。単行本の『夢の宇宙誌』を錦糸町駅ビルで買ったのが澁澤との最初の遭遇である。『黒魔術の手帖』もすでに単行本で本屋に並んでいた。<読書傾向も澁澤本の手引きで南方熊楠(末吉麦門冬)、稲垣足穂、酒井潔、日夏耿之介へと続く。
◇『宝石』(ほうせき)は、日本の推理小説雑誌。1946年創刊、1964年まで発行された。出版社は、創刊時は岩谷書店、1956年からは独立した宝石社となった。この期間の日本の推理小説界を代表する雑誌。宝石社の倒産後、光文社が版権を買い取って、1965年10月に男性向け月刊総合雑誌として再刊し、1999年まで発行された。光文社は他にも『宝石』を冠する姉妹誌として、『週刊宝石』『小説宝石』『SF宝石』を刊行。この光文社版と区別して推理小説誌時代を旧『宝石』と呼ぶこともある。
  澁澤龍彦に会おうと思ったのは、テレビで千円雑誌『血と薔薇』発行が報じられたからである。5日後、鎌倉に澁澤を訪ねたのは1968年の10月9日であった。年配の女性がお茶を持ってきてくれたり応対してくれた。(同年、澁澤は夫人・矢川澄子①と別れたばかりであったから母堂であろう。)そのうち2楷からトックリシャツ姿でパイプを持った澁澤が応接間の椅子に座り、甲高く透き通る声でいろいろ話をしてくれた。「京都に行く機会があれば稲垣足穂さんに是非会うといい。子どものような純粋な精神の持ち主だ」「沖縄出身の友人に彫刻家が居る」とか、発禁本の話もしてくれた。澁澤は1987年8月5日、59歳で逝去。今の私は澁澤の年齢から9年も越えている。
①矢川澄子 やがわ-すみこ
1930-2002 昭和後期-平成時代の小説家,詩人。
昭和5年7月27日生まれ。渋沢竜彦と離婚後,44年ごろから創作活動にはいり,短編集「架空の庭」でデビュー。また美術書や児童書の翻訳も手がけ,おおくの訳書がある。平成14年5月29日自殺。71歳。東京出身。東京女子・学習院大卒,東大中退。詩集に「ことばの国のアリス」,評論集に「反少女の灰皿」,翻訳にエンデ「サーカス物語」など。(→コトバンク)




1973年4月ー沖縄タイムス創立20周年記念事業『現代の幻想絵画展』(朝日新聞社後援)
□藤野一友「抽象的な籠」→ブログ「藤野一友=中川彩子作品集 天使の緊縛(河出書房新社)ー藤野は、澁澤龍彦と交流があり、瀧口修造から評価を受けた日本のシュルレアリスム系の画家である。藤野一友の絵画の魅力は、潜在意識(夢、幻想)の世界を描きながら、自動筆記(シュルレアリスム的手法、お筆先)に走るわけでもなく、かといってアンフォルメル(無形象)や抽象に走るというわけでもなく、どこまでも明晰に細密ともいえる具象画の方法で追求したことにあるだろう。画法としては、夢の世界を具象的に描いたという点で、サルバドール・ダリに近いと思えるが、ダリが俗なる人間の本性を暴露する方向に向かったのに対し、藤野は反対に俗なるもののなかから、至高性へと向かっていく傾向があるように思える。 」、古沢岩美「コルドバの朝の幻想」、香月泰男「業火」


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1992年12月ー『新沖縄文学』新城栄徳「来訪者略年表ー1969年7月10日 三島由紀夫、「弓張月」取材のため来沖 」





作家・戸川昌子
 作家の戸川昌子さんは1969年3月に、第11回文春講演会で講師として近藤日出造①、五木寛之と共に来沖。

1969年3月2日『沖縄タイムス』「1日ー超満員の聴衆 文春講演 タイムスホールで1日ー好調なスタート切る」
1969年3月8日『沖縄タイムス』「第11回 文春講演ー五木寛之『漂流の思想』/近藤日出造『おかしな話』/戸川昌子『東西雑感』」
1969年3月10日『沖縄タイムス』「作家・戸川昌子さん沖縄見たまま(上)」
1969年3月11日『沖縄タイムス』「作家・戸川昌子さん沖縄見たまま(下)」

①近藤 日出造 (コンドウ ヒデゾウ)
昭和期の漫画家  生年明治41(1908)年2月15日 没年昭和54(1979)年3月23日
出生地長野県稲荷山町(現・更埴市) 本名近藤 秀蔵
経歴ー家業の洋品店の手伝いなどを経て、大正15年上京、昭和3年岡本一平の門下となる。以後九州日報の嘱託をして政治漫画を描き、7年杉浦幸雄、横山隆一らとプロダクション“新漫画派集団(のち漫画集団)”を結成、8年から「読売新聞」に得意の似顔絵を生かした時事漫画を描く。15年“新日本漫画家協会”が結成され、機関誌「漫画」の主筆となり、毎号表紙の時局漫画を描き、ルーズベルトやチャーチルを“鬼畜”にたとえたりもしたが、大政翼賛会から漫画集団への援助を断わるなど漫画への理想論に忠実に生きた。戦後20年10月新漫画派集団が“漫画集団”として新生、その中心人物として後進を育てた。また「読売新聞」に政治漫画の連載をつづけた。39年日本漫画家協会初代理事長に就任し、同協会の発展に尽力。また、テレビ「春夏秋冬」の司会や週刊誌の対談などでも軽妙な味をみせた。著書に「にっぽん人物画」(正続)など。→コトバンク

 デイリースポーツ2016年4月26日ー作家で歌手の戸川昌子さんが26日午前5時47分、胃がんのため静岡県内の病院で死去した。85歳。東京都出身。長男で歌手のNERO(年齢非公表)がフェイスブックで公表した。1962年にはミステリー小説「大いなる幻影」を発表して作家としてデビューし、江戸川乱歩賞を受賞。64年、直木賞候補となった自作を日活で映画化した「猟人日記」で女優デビュー。コメンテーターとしても「三時のあなた」「11PM」「ライオンのいただきます」などで活躍した。46歳で長男を出産した際には、当時の有名人による“最高齢出産記録”として話題になった。67年、東京・渋谷にシャンソンバー「青い部屋」を開店。三島由紀夫、川端康成、野坂昭如、岡本太郎、なかにし礼、太地喜和子ら多くの文化人、芸能人らと交流した。