2019年1月8日~3月18日 那覇市歴史博物館「金武家資料展」


明治43年11月11日『萬朝報』「琉球歌の演奏」


沖縄最初の混声合唱団『玉声会』の小湾の尚家別荘での公演記念写真ー前列右から①尚順男爵、尚昌侯爵、神山政良、嵩原家扶、2列目右端が徳田安周の母の仲吉初枝、左端の少年は金武良章 右端上に尚琳、金武良仁、山内盛彬。大正4年


      
①尚順


1930年7月18日ー金武良仁、良章、浅間丸(新垣松含一行と同船)で来布、布哇屋ホテルに止宿。
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1936-9-11 『琉球新報』尚順「追悼・金武良仁君」漢詩「題琉球絃歌」       
1951年12月 雑誌『おきなわ』尚琳「金武良仁氏を偲ぶ」


1955年10月15,16日 那覇劇場 金武良仁氏芸徳顕彰会主催「金武良仁二〇年祭追善芸能大会」
 10月14日『沖縄タイムス』仲良良光「金武良仁先生の思い出」/10月15日備瀬知範「金武良仁先生の思い出」/10月16日浜松哲雄「金武良仁先生の思い出」。『琉球新報』10月14日東恩納寛惇「金武良仁楽宗を憶う」/10月15日尚琳「金武良仁氏をしのぶ」


1983年12月 金武良章『御冠夜話』若夏社


ネット動画→「創作舞踊「いちゅび小」 金武良章作 踊り・大湾三瑠 」

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1926年4月ー明石染人(1887年~1959年)詩集『魂の傀儡師』鮮明社出版部(京都)
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1964年11月ー平凡社『世界大百科事典』明石染人「沖縄ー工芸」(左上ー尚順)
明石国助 あかし-くにすけ
1887-1959 明治-昭和時代の染織工芸研究家。
明治20年5月6日生まれ。明石博高(ひろあきら)の3男。母校京都高等工芸(現京都工芸繊維大)の助教授をへて鐘淵(かねがふち)紡績にはいる。戦後,母校や京都市立美大の講師,文化財保護委員会専門委員などをつとめた。昭和34年1月27日死去。71歳。京都出身。号は染人。著作に「日本染織史」など。(→コトバンク)


資料・琉球芸能

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2019-1沖縄県立博物館・美術館


1973年5月 雑誌『青い海』23号 城間繁「情で描かれた旋律の美しさ」

 西原の琉球大学の学部校舎の玄関で城間繁教授とよく立ち話をする機会があった。知り合ったきっかけは忘れたが、琉球芸能や工芸にも造詣がふかいことを後に知る。1989年暮れ、沖縄文芸史年表作成のため金武良章翁を訪ね尚球(妻は金武良仁の二女)について聞いたことがある。若夏社から1983年に出た金武良章『御冠船夜話』は古波蔵保好、城間繁、米城恵が翁に聞き書きしたもの、私は持参して翁に署名をしてもらった。ついでに弟子の城間繁氏についての近況を聞くと「あれは実に哀れなむん」と首里ぐちで絶句された。翁の態度で城間氏が療養中で悲惨な状況に置かれていることはすぐに分かった。


写真ー尚球

『廃藩当時の人物』表紙/明治43年『スバル』11号 
尚球『廃藩当時の人物』(1915年)
尚健伊江朝直/宜湾朝保/浦添朝昭/富川盛奎/亀川盛武/義村朝明/林成(世)功/与那原良傑/伊舎堂盛英/池城安規/津波古政正/豊見城盛網/伊江朝重/喜屋武朝扶/久志助保/知花朝章/護得久朝常/百名朝起①
①1983年3月 『那覇市史だより』「『百名家文書』収集経過および文書概要ー名城林世功(本名・新垣)陳情通事遺銀御心付金給与御恩典蒙ラスニ付請願/那覇区字久米二千六百七十三番地 兄・名城世勲71歳 名城世功妻・名城カマド66歳 名城世功養子・名城先安 明治41年12月 中城御殿家扶各位閣下」