2019年3月14日~9月10日 豊見城・沖縄空手会館「企画展ー剛柔流流祖 宮城長順 」


1978年1月 雑誌『青い海』70号「特集・沖縄の空手道と拳豪列伝」仲井真元楷「武人・宮城長順」、長嶺将真「東恩納寛量」
2013年2月 松山公園
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東恩納寛量・宮城長順顕彰碑



1942年8月 月刊『文化沖縄』第三巻第六号 宮城長順「法剛柔呑吐ー空手雑藁ー」

1950年3月18日、熊本市在住の沖縄県人有志によってガリ版刷りの『オキナワの友』第一号が発行された。部数は300部。編集発行人の富川盛次(1928年6月29日生まれ。1944年8月、開南中学3年のとき疎開、京都、熊本を経て1966年帰沖)、編集員は当間淳、中山、花城ら5人であった。配布先は熊本市大江町の青葉住宅、長六市場、健軍町、京塚住宅、帯山地区、三菱住宅ら沖縄県人が集中する地域であった。同紙は1951年10月に15号で廃刊した。□→沖縄県立図書館にマイクロ複製本

『沖縄日報』1938年8月15日「富川盛武の戦地での記事」(植物標本より得られた近代沖縄の新聞Ⅱ)/『沖縄タイムス』1998年8月3日
富川盛次の父・盛徳の兄弟に剣道の富川盛武、京都で医師をしている富川盛甫(私は1971年に京都の沖縄青年会の相談で会ったことがある)が居る。私は富川盛次さんから戦争中、空手の宮城長順から送られた葉書、戦後の比嘉春潮の手紙のコピーを頂いた。個人史『ある一市民の軌跡ー小さな戦後史』も。富川さんは1999年10月29日に亡くなられた。享年72歳。

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左、新城栄徳、右、富川盛次氏




1944年 宮城長順の葉書


1950年 比嘉春潮の手紙


〇私の手元に60年前の一葉の写真がある。背景に興味をもち、写っている人々の調査を始めた。撮影場所は沖縄画家の大家・山田真山邸のアトリエである。写真に写っている主な人物は、宮城長順(沖縄空手界の重鎮)、南條喜寿(空手家で宮城長順弟子)、上里参治(沖縄歴史家),
崎山達徳(空手家)、斉藤さん(画家)その他となっている。
2008年6月『沖縄の軌跡ーうちなーんちゅの遍歴』発行人・島袋和幸(〒124-0011 葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)

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島袋和幸『沖縄の軌跡』第89号「南信州狼煙リレー(1)長野県・伊那谷の武田信玄狼煙会」