大里喜誠

1966年12月『今日の琉球』大里喜誠「米国への剣道修業旅行ー盛んな米国の剣道熱」
1975年10月『琉球新報』大里喜誠「『童景集』出版のころ」
1977年3月25日『沖縄タイムス』大里喜誠「ベトナム人の著した幻の『琉球血涙新書』」
1978年4月20日『琉球新報』大里喜誠「『童景集』『羽地仕置』出版の思い出」
1984年4月14日『沖縄タイムス』大里喜誠「富川」盛武の功績」

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左ー新城栄徳宛の大里喜誠氏ハガキ/1991年6月3日『琉球新報』大里喜誠「岡倉天心と沖縄」
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蝶々夫人
 蝶々と言えばミヤコ蝶々とか童謡ちょうちょを真っ先に浮かべる。蝶々夫人については映画もオペラも見聞きしたことはないが何となく知っている。


ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニ(伊: Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini、1858年12月22日 - 1924年11月29日)は、イタリアの作曲家。その作品である『トスカ』、『蝶々夫人』、『ラ・ボエーム』などのオペラは今日でも上演の機会が多いことで知られる。イタリアのルッカに生まれ、ベルギーのブリュッセルで没した。 →ウィキ


1947年5月 三浦環遺稿 吉本明光・編『お蝶夫人』右文社(中央区銀座)
三浦環 1884〜1946(明治17年〜昭和21年)【声楽家】プッチーニが「世界でただ一人の蝶々」と讃えたソプラノ歌手。 日本人初の国際的プリマドンナ。明治〜昭和期のソプラノ歌手。東京都出身。日本オペラ創成期の世界的プリマドンナ。1904年(明治34)東京音楽学校卒。在学中の1903年日本人による初の歌劇「オルフォイス」に出演。1910年帝劇歌劇部専属歌手となる。1915年(大正4)ロンドンで世界的指揮者ヘンリー・ウッドに見いだされ、欧米各地で「蝶々夫人」を公演して好評を博した。作曲家プッチーニは「世界でただ一人の理想的な蝶々」と激賞した。→江戸・東京人物辞典

〇八千草 薫 蝶々夫人 Madama Butterfly(1954年)主役の「蝶々さん」役。
〇美空ひばり - 長崎の蝶々さん (1957) →動画 https://www.youtube.com/watch?v=JiGdsXagOXU
〇プッチーニ《蝶々夫人》「ある晴れた日に」マリア・カラス(1)動画https://www.youtube.com/watch?v=khPrm3aFxd4
〇プッチーニ《蝶々夫人》「ある晴れた日に」三浦環 動画 https://www.youtube.com/watch?v=0-2RkcOlhfo


2018年2月 萩谷由喜子『「蝶々夫人」と日露戦争』中央公論新社〇1898年1月、アメリカ、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の弁護士兼作家、ジョン・ルーサー・ロング(1861~1927)がニューヨークの文芸雑誌『センチュリー・マガジン』に、日本の長崎を舞台とする短編小説『蝶々夫人(Madame Butterfly)』を発表した。