中松竹雄氏、新城栄徳/國吉薫氏、古謝厚雄氏、中松竹雄氏

挿絵(2019年1月 国梓としひで『太陽を染める城ー首里城を蘇らせた職人たちの物語』)/宮城倉啓氏、中松竹雄氏
2019年12月20日 那覇市民ギャラリー一般社団法人久米梁氏呉江会「第4回 久米梁氏美術展」


歌人・國吉有慶(1905年9月25日~1987年1月7日)
父・國吉世功、母カナの長男として那覇久米町に生まれる。妹千鶴子は名渡山愛順夫人、弟有徳は沖縄戦で没。親族に具志堅以徳、伊佐川新。



2014年8月2日 那覇市民ギャラリー「第44回イーゼル会展」

國吉保武氏と作品「マハナ岬(粟国島)」

2014年9月20日 第448回 博物館文化講座 講師・田名真之「久米村人の家譜を読もう!」


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那覇市歴史博物館所蔵
□「王姓門中会ホームページ・王姓門中会トップ」
久米村王姓大宗家之墓碑
久米村王姓始祖王立思(一五五一~一六〇〇)は中國福建省漳州府龍渓縣の出身。萬暦十九年(一五九一)久米村入籍、通事・官船舎人の役職をもって首里王府に仕え、使節一行として度々、旅役にあり、福州にて病没。墓陵は王府より御拝領、久米村地内に築かれた。大宗が國場家となった開祖は第三世王明佐國場親方である。彼も高齢の身を押して紫金大夫の旅役にあって山東東昌府で没した。四百年の大宗の墓は沖縄戦で破壊された。戦後の都市区画整理で移動を余儀なくされ現在は識名のこの地に安らいだ。ここに歴史の事実を銘記し、久しく子々孫々に物語り伝える。久米村 王 姓 槐 王 会 平成十二年(二〇〇〇)四月吉日 建立

2004年3月 久米村王姓門中槐王会『久米村王姓門中(槐王会) 資料5 遥かなる旅路 漳州に祖先を訪ねて2』






2001年3月『久米村 王姓門中(槐王会)資料四』下中央の史料「資料は、新城栄徳氏が沖縄県公文書館所蔵の文書群から、発見し、提供されたものである。」


鄭嘉訓・古波蔵親方爾方

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「鄭元偉 てい・げんい書」(崎間麗進蔵)
鄭元偉 てい・げんい 1792~?19世紀中期の沖縄の代表的な書家の一人。湖城親方。名は長烈。号は善橋。有名な書家鄭嘉訓古波蔵親方の3男として生 れたが、本家大嶺家の養子となる。大嶺里之子から伊計島の地頭になり伊計親雲上、さらに小禄間切湖城村の地頭になり、湖城親方と称される。父嘉訓同様、薩州で藩主の知遇を得て、多くの優れた書を残している。太宰府天満宮に奉納されていた、「徳高」の扁額(県立博物館所蔵)は、そのころ(1852)の作品である。中国への旅は1840年(尚育6)四年一貢を命ぜられた貢期を従来通り二年一貢に戻す為の陳情で北京へ行ったことが知られており、一方江戸へも42年将軍家慶の襲名慶賀使に儀衛正として随行した。のち紫金大夫に昇進し、久米村の長官である総理唐栄司(久米村総役)になったと伝えられている。書では、漢字の楷書にすぐれ、作品は、父嘉訓より少ないが、すぐれた物を残している。□→『沖縄大百科事典』


鄭基昌(鄭嘉訓、鄭元偉を出した家系。父・鄭紹業、祖父・鄭元覲)