2020年1月『月刊琉球』№72 琉球館〒903-0801 那覇市首里末吉町1-154-102 ☎098-943-6945/FAX098-943-6947
 後田多敦「資料紹介『国際法先例彙輯(1)国家併合』の「琉球併合」 「琉球併合」を国家併合として位置付けた資料」/しもじけいこ「宮古IN 2020に何思う」/北山睦子「狙われる本部の港」

  
 斎藤 陽子(Walnut, California)1-30 
 こちら今日の南カリフォルニアは風の強い春の嵐が訪れています。寒い寒いと思っていても、いつの間にか一足早く春の訪れを感じており、南カリフォルニアの春先はカヨーテの恋愛シーズンも始まり、カヨーテの雌雄が相手を求めて市街地にまで降りてきて、猫や犬などがカヨーテの餌食になり、小動物の犠牲も目立って増えるシーズンでもあります。家の周りの20本ほどの、和歌山果樹試験場から補木を得て増えた梅にも確実に春が訪れ、いま満開の花梅にミツバチも寄ってきています。
 なぜか梅の花を眺めていると、日本を思い出すのですが、梅の持つ雰囲気が東洋的なのでしょか。毎年梅干を作るのも大仕事で、梅酒を作るにも焼酎は日本からの関税がかかっていて価格が高く、もっぱらウォッカまたはジンがベースで作る梅酒ですが、最近はもっぱら梅ジャム造りに凝っています。咲き終わった梅の花が風に乗ってヒラヒラと舞い、「ロスアンゼルスの庭に、春の小雪が降った」と言ってもいいような景色で、地面を白く埋め尽くしています。

 斎藤 陽子(Walnut, California) 1-28 新型コロナウィルス肺炎 騒ぎの中、慌ただしい1月ももうじき終わります。
今年は暖冬だと言われていましたが、東京都内は夜半から久しぶりの雪のようですが、ロスアンゼルスは幾らか温かくなり月曜日の今日は23℃ほどになるとの予報ですが、夜間は相変わらず6℃ほどと寒いです。

  数年前の寒い夜に、最も身近に訪ねてきて欲しくないスカンクが、 裏のパティオに訪問出現しました。これらの野生動物は人間の住んでいる近くに来るような動物ではありませんが、冬場で餌が乏しいのか、余程お腹を空かしていたようで、人間の生活圏内に侵入してきます。スカンクは見た目はとても可愛い動物ですが、肛門の両脇にある「肛門傍洞腺(肛門嚢)」から、強烈な悪臭の分泌液を噴出し、外敵を撃退することで知られているので、アメリカでは最も人間から嫌われている動物です。その悪臭の匂いはどんな匂いか表現できませんが、しいて表現すると車のタイヤを燃やした時のような匂いと言ったらいいのかも知れません。悪臭の分泌液の主成分はブチルメルカプタン(C4H9SH)といい、その匂いは独特で、硫化水素臭やにんにく臭などと、文献によって異なりますが、これらをスカンク臭という表現が用いられることも多いです。
 北アメリカから中央アメリカ、南アメリカにかけてスカンクは生息して、誰もが知っている白黒まだらの体色をし、模様は種によってそれぞれ異なようですが、よく目立つ模様は外敵に対する警戒色の効果がある様で、見た目にはとても可愛く、日本では悪臭の源である肛門嚢を除去手術して、スカンクをペットにしている人も居ると聞きます。体長は40〜68cm、体重は0.5〜3kgほどで、ふさふさとした長い尾をもち、雑食性でネズミなどの小型哺乳類、鳥の卵、昆虫、果実などを食べています。地中に巣穴をつくり、冬などは巣穴にこもることが多のですが、真の冬眠をするわけではない様です。
 アメリカではスカンクは狂犬病の媒介獣として知られていて、テキサス州やカリフォルニア州などでは、人間が狂犬病にかかる感染源のトップに挙げられています。狂犬病に感染したスカンクはあらゆる動物に攻撃を仕掛けるため、これによって感染した家畜を介して、人間にも感染すると考えられています。
日本の人々はスカンクは見たことは無くとも、スカンクが悪臭を放つのはご存知と思います。分泌液を敵の動物の顔を目掛けて噴射させ、これは4〜5m離れていても命中させることができると言われ、分泌液が目に入った場合、一時的に目が見えなくなるようです。悪臭の範囲は風向きによっては2km近くにも及びます。運転をしていて間違ってスカンクを轢こうものなら、その悪臭がタイヤに付いて4,5日も悪臭が取れず、大変な事態になることもあります。

 斎藤 陽子(Walnut, California) 1-25 相撲取りでは身体が最も小さい炎鵬が阿炎に勝ち、今場所勝ち越しを決めました。大型の身体が当たり前の力士の中で、勝ち越しという偉業をつらぬいた、その努力にただ感激しています。
今日の写真はちょっと地味な画像ですが、裏庭に時々やって来るロードランナー(Roadrunner)、和名はオオミチバシリと言い、漢字では(大道走)と書きます。日本では決して見ることのできない鳥で、アメリカ大陸の南部(南カリフォルニア、アリゾナ、メキシコ)の半砂漠地帯に生息し、主に昆虫・トカゲ・ヘビ・サソリ・ネズミや鳥の卵などを食べています。地上で生活をし飛ぶのは下手、せいぜい低く滑空するぐらいで、走るのが得意で、時速30キロ近くの速さで走ることが出来る鳥です。英名では、ロードランナー(Roadrunner)といいますが、ロードランナーといえば、ワーナー映画のアニメのキャラクターで、青い鳥を思い浮かべる方も多いと思います。アニメではドジなコヨーテが毎回、この鳥を捕まえようとあれこれ工夫をするけど、コヨーテのあの手この手の罠をかいくぐり、ミッミッと鳴きながら、すごいスピードで 駆け抜けるロードランナーです。

 実際のロードランナーは、アニメのような青色でなく、地味な色をしてます。(上面は、褐色に黒白の縦斑があり、下面は淡褐色。)このロードランナーはニューメキシコ州の州鳥でもあります。砂漠地帯などに多く生息しているので、裏庭で写真に収さめられるのも貴重なチャンスですが、その動作も素早く炎鵬にも似ています。

 斎藤 陽子(Walnut, California)1-23 中国湖北省武漢で新型のコロナウイルスによるウイルス性肺炎が発症し、世界に感染が拡大している状況の中で、明日から中国語では「春節」英語では「チャイニーズニューイヤー Chinese New Year」が、中国人の最も重要な祝祭日として始まります。中華圏国では7日間を旧正月祝日と設定されていて、この間を国の休日としていると云います。

㊗全家平安(家族の幸せを願う) ㊗大吉大利(目出度いことが沢山有ります様に) ㊗恭喜發財(金運に恵まれます様に)
 アメリカの中国系の人々も旧正月を挟んで、一週間ほどこの時期に有給休暇を取る傾向が有り、銀行などでは随分の中国系行員がお休みをしています。
中国系のスーパーの混みようは尋常ではなく、旧正月の準備のための食材を求めて、人々でごった返しています。アメリカの中国系の人々は新暦の正月よりも、旧暦のお正月の方を盛大に祝い、ロスアンゼルスのチャイナタウン(中華街)も、バクチクを鳴らしたり獅子踊りが有ったりと、旧正月一色です。圧倒的に中国系移民の多いカリフォルニアではお正月よりも、旧正月の方がなんだか年の初めのような錯覚になるほど、街全体がお正月ムードです。
なにしろカリフォルニアの移民の比率は日系人が0,8%で、それに比べて中国系は3.2%と圧倒的に中国人の多いカリフォルニア州なのです。日曜日までは中国系の各家庭はパーティーで賑わい、赤い包(ホンパオまたはアンパオ)のお年玉袋に、偶数金額のお金を入れて、子どもはもとより大学生まで独り者には、お年玉を渡す習慣はとても重要な行事のようで、中国系の友人は一族郎党へのお年玉の予算も、高額になるとこぼしていますが、もしかすると日本のお年玉の風習は中国から来たのかもしれません。
 公立小学校でも中国の旧正月の習慣が、カリキュラムの中に組まれ教えています。いずれにしても、縁起のいいお正月を新旧と二度も楽しめることは善きかなです。日本国内でも中華街以外で旧暦のお正月を行う処が、今も幾らか有るようですが、何といっても日本国内で旧正月を最も盛大に祝うのが沖縄で、この習慣は今でも色濃く残っていて、四脚の動物を使わない和風オセチ料理と異なり、沖縄の旧正月は豚肉料理が主役です。

 斎藤 陽子(Walnut, California)1-20 アメリカでもNHKの相撲中継が観れますが、白鴎、鶴竜の横綱不在の今場所の相撲は余り興味も無かったのでが、このところ幕内力士で最も小さな98キロの炎鵬の活躍は痛快で、目が離せません。昨日は161キロの大関 豪栄道を軽く負かしたのには喝采を送らずにはおれませんでした。炎鵬のお陰でしばらく相撲が楽しめそうです。
 晴天に恵まれた昨日の日曜日はグレープフルーツを収穫しました。53年まえアメリカに来た時には日本ではそれまで見かけなかったグレープフルーツが珍しく、価格も安く当時学生時代には毎朝食べたものです。今年は雨の恵みが充分だったせいか、何の手入れもしないのに庭のひと隅で、いつの間にか鈴なりのソフトボール大のグレ―プフルーツが生っていました。このところの南カリフォルニアの明け方の気温は4℃程で、霜も降りないので、グレープフルーツも元気に育っています。もし寒さが厳しい日々が続いて霜が降りる環境だと、この南カリフォルニア一帯から中部カリフォルニアにかけては、オレンジ、レモンなどの、世界的に有名なカンキツ類の広大な生産地の南カリフォルニアでは、農業者は最も気温が下がる夜中の3、4時頃には気温を警戒し、暗い中を灌水(スプリンクラー)で散水を出したり、農場各所に設置されている大型プロペラを回し温度を拡散するなどし、農場管理者は夜を徹して、凍害対策(フロストコントロール)をするものです。

レモン、オレンジなどの収穫期だけに、凍害は最も恐ろしい災害なので、寒さがピークの時は農業者も徹夜で気が抜けません。わずか1、2日の凍害が原因で、世界のレモン、オレンジの価格に左右する、深刻な事態も発生します。
 太陽光線の豊かな夏のカリフォルニアは柑橘農業には最適ですが、寒さの厳しい冬が来たら警戒が必要で、自然相手のギャンブルともいえます。さてグレープフルーツを沢山収穫したのはいいのですが、成人病予防の血圧降下剤を服用している私ども夫婦には、グレープフルーツは薬との相性が悪く、食べてはいけない果物でもありますので、会社の社員に食べてもらうしかありません。

斎藤 陽子(Walnut, California)1-19
 1月も半分が過ぎましたが、まったりとした土曜日の今日のロスアンゼルスは16℃ほど夜間は8℃との予報です。1週間もすると旧正月になりますが、日本国内でも今も旧正月の盛んな沖縄ですが、沖縄の旧正月おせち料理は豚肉料理が主流で、「豚は鳴き声以外は全て食用に利用できる」と言われて、豚足はもちろん腸や顔面、耳、豚の血液までも利用する琉球料理です。そんな時期に人へは感染しないといわれている豚コレラ(CSF)ですが、豚コレラは豚とイノシシ以外の、人を含めて他の動物がかかることはありません。CSFウイルスは、実験的には、マウス、モルモット、うさぎ、山羊、めん羊などの動物が一時的に感染することは知られていますが、発病することはまずありません。

 すでに沖縄の6軒の養豚場に蔓延し、獣医師や県職員などが日夜殺処分と奮闘し、豚コレラの蔓延を食い止るべく、7000頭近くが殺処分となっています。
沖縄には沖縄固有の希少種「沖縄アグー豚」(黒色の豚)が居ますが、「アグーは琉球王朝から端を発し、先の大戦でほとんどいなくなってしまったものを戦後、県民の努力で復活した大切な固有種」と位置付け、政府は「沖縄アグー豚」の保護に向けて、豚コレラからのアグー保護の移動にかかる費用などを支援する方針とのことです。
 琉球料理には欠かせない豚肉ですが、いずれにして豚肉の消費量が多くなる旧正月まえ、豚肉市場にも影響することでしょう。より品質の高い豚肉をと、豚の育種に励んでいた養豚農家の気持ちを思うと、やりきれないものが有ります。(なお豚コレラが蔓延しているとはいえ、市場に流通している豚肉には何ら関係はありませんから、安心して豚肉を使用ください。)


斎藤 陽子(Walnut, California) 1月16日-今日のロスアンゼルスの気温は16℃ほどの曇り模様の肌寒い日で、夜間は5℃ほどになり、雨になるとの予報の水曜日です。意外に寒くなる南カリフォルニアの冬の寒さから逃れて、温室に避難している島唐辛子(沖縄語でコレーグス)沖縄の唐辛子、これまで収穫したのは2回目です。寒くなったこの季節も温室内で赤い可愛い実をたわわに付けています。海外で沖縄のものが収穫出来ると、尋常でないほど嬉しくなります。まるで難産の子が生まれたように嬉しくて、沖縄定番の泡盛に漬け込んでみました。泡盛漬けのコーレーグスは「沖縄そば」を頂く時に、薬味として欠かせなく、1.2滴使うのが定番です。


1983年8月20日『沖縄タイムス』尚弘子「翁長君代先生を偲んで」


1985年8月 『素晴らしきかな人生ー翁長君代自伝』同自伝刊行会(若夏社)

 数十年前、沖縄の新聞で翁長君代(琉大家政学科教授)さんの何かのパーティでの発言「夏目漱石の娘は沖縄出身の貿易商に嫁いでいる」との囲み記事を見たことがある。それで下記の雑誌記事を見つけた。翁長君代さんの夫君は翁長俊郎琉大英文科教授で、その娘・斎藤陽子さんはアメリカ在住である。

 1966年5月『婦人公論』仲地愛子「末娘からみた父漱石の素顔ー家庭における漱石については誤り伝えられている点がある。それはどういうことなのか。第四女が綴る父との楽しかった日々の思い出」
○・・・父が死んだのは数え年で五十、今流に言えば満四十九歳であった。私は十か十一になるかならないかであった。母と子供六人は父の枕辺に座って父を見守っていた。その頬には白い鬚が延び、枕の上の父のしなびた顔はひどく黄ばんで、なぜかその憐れな様子が私に晩秋のすすきを思わせた。私はあたりの様子にひどく胸打たれ、悲しさがこみ上げて来て泣きじゃくった。・・・ 

○最近のネットに「仲地漱祐 鎌倉民主商工会長 アクセサリー・輸入雑貨販売業/」妹・吉田一恵  東京都大田区出身で、1972年に鎌倉に移り住み、店舗を営む。2005年10月鎌倉市長選に立候補するも落選」とある。
 

翁長君代ー1963年3月『守礼の光』83号から料理や生活の紹介


1969年12月 翁長君代『琉球料理と沖縄の食生活』績文堂(東京 新宿)
はじめにー沖縄の食生活と琉球料理
1 琉球料理をかたちづくったもの 辻と琉球料理ー今日の琉球料理の発達と、昔の辻遊廓の関係も見のがすことはできません。/主食としての芋/昆布ー元来、昆布は琉球の近海では採取ができないのに、古くから琉球料理のいろいろのものにつかわれてきたのは、昆布が貿易品として扱われてきたことを物語るものです。
2 琉球料理 肉の料理ー血炒ちー(豚の血の炒めもの)琉球料理は、豚一頭分をあますところなくつかって料理するのが特長ですが、これは
豚の血をつかった独特なものです。昔は法事に用いられたようです。お年寄りはよくなさったようですが、ちょっとグロテスクなので、最近の若い方たちはあまりいただきません。
3 沖縄の食品 沖縄のそばーむかしから沖縄で庶民の味として親しまれているものにそばがあります。そばといってもそば粉がつかわれているわけでもなく、中華そばに類するそばです。
4 沖縄の栄養
付1 沖縄の食品衛生
付2 家計経済からみた沖縄の食生活
付3 おもな食品の栄養成分表



1968年2月 嶋袋盛敏・翁長俊郎『標音評釈 琉歌全集』武蔵野書院

 斎藤 陽子 (Walnut, California)2019-11-28真和志が市だった時の真和志市長 翁長助静氏とは門中で一緒です。亡くなった翁長雄志県知事の10歳の頃は私は高校生でしたが雄志県知事をよく覚えています。父は私の長男が米国で生まれた前日に、心臓麻痺で亡くなり、私は父の葬儀にも行けませんでした。久志芙沙子さんにお会いしたのは彼女が69歳頃ですが、老いてもまだ文学少女でした。なお私の父の父、つまり私の父方の祖父は大仲(首里)に居て、首里城で漢学の仕事をしていて廃藩置県に遭い、八重山に行ったようです。


 斎藤 陽子(Walnut, California) 2020-2-7 東京周辺はマイナス1℃と相当な冷え込みのようですが、ロスアンゼルスは昨日よりは幾らか温かくなった木曜日です。てっきり文系の大学へ娘は行くものと思っていた1900年 明治生まれの父に、私は獣医大学に受験をしたいと言うと「お前は女だてらに馬の種付けなどを職業に選ぶ気か!!」と怒鳴られて大反対されての、獣医大学新入生の頃の写真です。

 1960年頃、獣医学専攻の大学生時代、当時、女性の進出のなかった獣医師の社会で、学内はトイレも男子用しかない時代の環境でした。女だてらに進む道ではないと父に反対されながら進んで、大きな夢を抱いて慣れない東京で頑張っていた頃です。この後 アメリカに留学してアメリカに住み着き、異国での生活も54年も経ってしまいました。長年の学生生活は男子学生だけで、社会に出ても男社会だったせいか、私の脳内思考は今も極めて、男子的思考回路になってしまっています。
 もう未成年のころの、初々しい時代は二度と戻っては来ません。よわい78歳となっりましたが、私にもこんなに若い時が有ったのです。容姿も思考も日々老いてゆくということは残酷だと感じさせられている今日この頃です。若い皆さんは今を大切にし、自分磨きをして下さい。

斎藤 陽子(Walnut, California)2019-11-18
11月も後半に向かった週明けの、月曜日がやって来ました。
南カリフォルニアは秋晴れ、日中は25℃明け方は10℃と、少々肌寒い夜です。
ロスアンゼルスから東に190キロ行くと、東部ニューヨークなどの富裕層が冬の越冬として利用する保養避寒地パームスプリング(Palm Springs)の、街中に入る手前の砂漠地帯には、数えきれないほどの、見渡す限りの沢山の風力発電機の発電群ウィンド・ファーム(Wind Farm)を見ることができます。
高さ60m~100mの風車ウィンド・ミル(Wind Mill)の一基あたりの設備容量は、約160KWの電気を作ると言われています。
この風力発電がこの地帯に敷設され始めたのは既に30年ほど前えからで、最初はポツリポツと建っていたのが、最近では3万基近くなり、その風車の林立風景は壮観です。最近ではドイツ製、デンマーク製や日本の三菱重工製など競い合っているといいます。

この写真はほんの一部ですが、プロペラの林が地平線の彼方まで埋め尽くされていて、全体の写真が撮れないのが残念です。
なぜこの地に風力発電が盛んになったかというと、この地帯は広大な砂漠地帯で、年中砂漠の気温が上がり上昇気流が発生し、この上昇する気流が太平洋側からの風を引き込み風洞を作るため、風力発電に好条件を満たすと言われています。
加えて、原子力発電離れもある昨今、オバマ大統領は太陽光発電や風力発電を奨励していましたので、その時代に加速してこの地帯に発電用風車が増えました。
この風力発電の周りは砂漠地帯なので、敷地的にはまだまだ余裕がりますので、今後もこの地帯にウィンド・ミルが拡大されるように思われます。
1年の内300日は太陽光線に恵まれている南カリフォルニアでもあり、カリフォルニア州は2020年以降から建設する新規家屋には、必ず屋根に太陽光発電パネルを付ける様に義務付けられています。
太陽光パネルは有り余る太陽光線と台風や竜巻なども無い、カリフォルニアには最適な再生エネルギーかと思います。
アメリカ全土の中でも、カリフォルニア州は再生可能エネルギー(太陽光線 風力など)に寄せる関心は最も大きな州です。

 斎藤 陽子(Walnut, California)ー2019年11月17日 
 毎年同じ投稿をするようですが、この時期の名物カリフォルニアのレモン収穫風景の話題はアップを逃せません。
わが家も週末の今日はレモンの木から落果しだしたレモンの収穫です。

輸出用や市売品は幾らか黄色が差した、あおいレモンを出荷しますが、この様な完熟の黄色のレモンは加工工場行きですから、積み上げて雑に扱っても構わないようです。
いまこのシーズンはロスアンゼルス郊外からサンフランシスコへ向かう幹線道路 国道5号線では、写真のような収穫したレモンを出荷場へ運んで行くトラックの運搬車が行き交うのを何台も見かけますが、これもカリフォルニアらしい初冬の情景です。
トゲのあるレモンの収穫は過酷で苦労の多い作業で、大半がメキシコからの季節労働者が従事していて、カリフォルニアの農業はメキシコからの低賃金労働者に、頼っていなければ成り立ちません。
毎年一年に一度のレモンを収穫する頃は一年の終わりが近い今ごろで、歳を取るとこれから生きている間に何回レモンを収穫するのかと思うものです。
今年も放っておいたら落下して廃棄品になってしまう、レモンを10分の1ほど収穫してみました。家で使用するレモンも使用に限度がありますので、収穫したものはまず会社に持って行き、庭のない社員に持ち帰ってもらい、来週の収穫分は友人知人にお裾分け作戦です。
南カリフォルニア・ロスアンゼルス近郊の持ち家では、ほとんどの人は庭にレモンの木を1、2本は植えているものです。
燦々と溢れる太陽の恵みを受けた、南カリフォルニアからサンフランシスコにかけての広大なレモン生産地は、世界的にも有数のレモン産地として有名です。
最近では広島・尾道や愛媛などでも、レモン生産もちらほら始まったようですが、カリフォルニアの広大なレモン畑は圧巻な広さで、日本で使用するレモンは1964年にアメリカから輸入開始され、カリフォルニアから97%の輸入量を占めてるといいます。レモンの原産はインド・ヒマラヤ山麓と言われていますが、その後アラブ諸国を経て、地中海沿岸へと行きわったたようです。太陽光線が豊富に年間を通してあり、乾燥した土地を好むレモンは水さえ与えれば沢山の実を付けてくれますのでカリフォルニアの名産となっています。高村光太郎の詩集『智恵子抄』の「レモン哀歌」を読むたびに、明治の頃には珍しいレモンは日本で高価なものだったのでしょう。光太郎は智恵子のためにレモンを幾らの価格で買ったのか気になります。

斎藤陽子(Walnut, California)ー2019年11月14日
昨夜のカリフォルニアの月も見事な満月でした。
昨日は30℃だった南カリフォルニアは今日はアラスカからの寒波が押しよせ23℃になるとのこと、朝は深い霧で大変ロマンチックな景色でした。
裏庭では3年ものの河津桜が葉が散る前に花を咲かせていて、今頃咲く桜を「10月桜」「冬桜」と言う様です。
さて、世界各地の海外に散って住んでいる、沖縄県系人口を試算すると、各種統計を基にしたあくまでも推計値としてはじき出した結果の、現在数は約42万人とのことです。
日本全国の都道府県の中で、沖縄県が最も多くの海外への進出移住者を排出している県かとも思われます。
中でも最も多い進出国が、戦前戦後と農業移民として新天地を求めて行った1位のブラジルで約16万人。
なかでも北アメリカには1900年最初の移民地ハワイは約4.5万人だったと言いますが、戦後から日本復帰前までの米国民政府統治下時代は地元の琉球大学を終えて、ガリオア留学制度などや他の奨学金を得て、アメリカへ大学院留学したのちにアメリカに定住した人や、その他に沖縄は米軍基地を抱えているだけに、米国軍人と結婚してアメリカで家庭を持った女性なども多いようです。
1950年代のアメリカ文化の影響を大きく受けて育った、59年前に首里高校を卒業した我が同期350人のうち、11人もがアメリカに住んで居るのも頷けます。
現在アメリカには沖縄県系が約11万人居ると言われています。
その他にペルー約7万人、アルゼンチン約2万人、ボリビア約7千人、カナダ約2千人、フィリピン約1.8千人と続くようです。
私のFB友に遠くノールウェーに住んで居る沖縄女性もいます。
沖縄県では1990年よりほぼ5年に一度4日間に渡って「世界のウチナーンチュ(沖縄人)大会」のイベントが沖縄県主催で開催され、世界各地から沖縄県に縁のある人々が、ふる里沖縄に集まります。
1990年に第1回が開催され、その後ほぼ5年ごとに沖縄県の主催のもと、継続して開催されている大会です。
目的は沖縄にゆかりのある人々を結びつけた、国際交流ネットワークを作り上げることにあるといわれます。
この期間は現代沖縄音楽や沖縄現代舞台劇、琉球舞踊やエイサーなどの伝統的なものや、日系人社会や沖縄と海外の関係についての学術シンポジウム、海外の日系人の居住地の物産展など多岐に渡って催されます。

斎藤陽子(Walnut, California)ー2019年11月11日
南カリフォルニアは相変わらずの秋晴れの今日、11月11日はベテランズ・デー(Veterans Day)。
ベテランズ・デーはアメリカ合衆国のために戦争で戦った退役軍人の方たちに対して感謝、敬意を表する日で、全米各地でパレードや式典が開催されたり、アメリカ合衆国国旗が半旗で掲げられます。
午前11時には2分間の黙とうがあり、この日に開催されるワシントンDCのアーリントン墓地の、無名戦士の墓では記念式典が開催されます。
ニューヨークの5番街では、アメリカンズ・パレードという、恒例の大規模なパレードが開催され、毎年2万人以上の参加者が行進し、観光客も50万人以上いますが、近年は爆破事件などが有り警備体制も厳重のようです。
アメリカには公休日と准公休日があり、公休日はすべての国民がお休みですが、准公休日は学校、銀行、郵便局、公務員のみがお休みで、チマタの会社は稼働しており、今年のベテランス・デーは日曜日だったので、きょう月曜日が准公休日となります。
アメリカの戦争の歴史は南北戦争に始まり、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク・アフガニスタン戦争と多数の命が散ってゆき、今なおシリアなどでの紛争が続いています。
これまでの多くの戦いの後に、兵士の母が妻が子がそして恋人たちが涙を流し、いったい戦争は何を残したのでしょうか。
私の沖縄出身の友人はミシガン州の在郷軍人病院精神科病棟で、40数年前のベトナム戦線帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)により、精神を病んだ人々のお世話をしている人がいますが、ベトナム復員の療養兵には、まだベトナム戦争は終わってはいないのです。
写真は家の近くの広大な墓地の一角には「カヨーテ、ガラガラヘビ、ワイルド・キャット」などが出没すると、警告が出されていました。
広大な墓地の一角の、軍人専用の墓地では今日は一人一人の墓碑銘に星条旗が捧げられています。