【北京時事】2020-2-8中国政府は8日、湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎で、同日午前0時(日本時間同1時)時点の死者は722人、感染者は3万4546人に増えたと発表した。
 〇『日本経済新聞』2020-2-6 米国でインフルエンザが猛威を振るっている。米疾病対策センター(CDC)によると2019~20年のインフルエンザシーズンは患者数が1900万人、死者数は1万人を超えた。世界で新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されるなか、米国ではインフルエンザが大きな脅威となっている。
 〇米国防総省は4日、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)に、低出力の新型核弾頭W76―2を搭載したと発表しました。全米科学者連盟(FAS)によれば、W76―2は昨年、すでにオハイオ級戦略原潜テネシーに配備され、同艦は昨年末に出港。大西洋で任務についています。こうした動きは、核兵器禁止条約の成立など、「核兵器のない世界」に向けた流れに逆行するものであり、日本の安全保障環境にも重大な影響を与えます。動向を注視する必要があります。→『しんぶん赤旗』2020-2-6
 〇米科学誌「原子力科学者会報(BAS)」は23日、地球滅亡までの時間を示す「終末時計」の針が昨年より20秒進んで残り100秒となり、1947年の開始以降、最も「終末」に近づいたと発表した。核拡散や気候変動対策の遅れ、「サイバー空間における偽情報」の広がりを理由に挙げている。→NEWS japan 2020-1-24


1951年4月『時事世界』時事世界社

 1963年ー岡本太郎「妖怪ー放射線の怖ろしさは誰でも知っている。ましてや日本人は現実的に被害をこうむり、恐怖の実感は身にこたえているはずなのだが、誰でも、いやなことは敬遠し、なるべく忘れてしまおうとする。それに奇妙に宿命論者だ。だから案外のんびりしている。」
1967年5月ー『スペース・デザイン』岡本太郎□藝術と遊びーわれわれはひたすらに、生きるために生きている。さらに残酷にいえば、すべての生命はその帰結である<死>に向かっている。生きるということ自体、遊びではないか。


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岡本太郎ー原爆がサクレツしたという事実と、平和の問題は言うまでもなく別個の秩序である。平和運動はあの激しい現実をみつめたところから始まる。それは戦争よりももっと積極的に、強烈に闘いとるものなのだ。この町も、ここに集る人も、平和・平和とお題目に泳いでしまっているのではないか。あのあまりにも美しく、あまりにも不吉な現代の象徴に、惰性のムードやごまかしではなく、猛烈な自覚と情熱で、純粋に対決しなければならない。(1963年8月『私の現代美術』「瞬間」)

『新沖縄文学』と岡本太郎
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超タイフー「タロウ」オキナワに上陸か

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岡本敏子と旧交を温める山田實と当山堅次
二科会の御大・岡本太郎は1959年11月から12月と、1966年12月にイザイホー調査で来沖している。
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写真上下・1959年12月3日、那覇飛行場で、山田實撮影。
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写真上ー左から岡本敏子、岡本太郎、新聞記者、大城皓也(上下撮影・山田實)

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1968年6月『藝術新潮』「岡本太郎・万国博のヴィジョン」

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1970年3月「日本万国博覧会公式ガイドマップ」/太陽の塔内部の命の樹

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1979年5月『世界の博物館22 国立民族学博物館』講談社□岡本太郎「人間文化を見すえようーミューゼ・ド・ロンムと国立民族学博物館」

左ー1982年10月「原爆展図録」沖縄三越/1993年6月5日『週刊現代』広河隆一「1986年4月26日ーチェルブイリ原発が爆発」

1985年6月『核 いま、地球は…』講談社

□「核の海の出現ー『公海』は、いまや両核大国、とりわけアメリカにとって、必要なときに無料で使用することのできる、広大な核発射基地となったのである。(略)日本は、その『核の傘の下の海』に浮いている。」
□「北西太平洋におけるアメリカの核戦略は、日本列島を足場にして成立しているといってもよい。横田と嘉手納にある通称『ジャイアント・トーク』(戦術空地無線システム)は、グアム島の戦略空軍分遣隊が毎日行っているB52戦略爆撃機による水爆パトロールに情報と指令を送るものであり、依佐美通信所のアンテナ群は核の発射海域を潜航中の戦略原潜に情報と指令を送るものである。」




写真ー渡嘉敷唯信
渡嘉敷唯信(1910年~2002年1月17日逝去 )「牛と雀」→那覇市『明治・大正生まれの作家たち』
沖縄県立二中14期・1928年卒(同期に当山堅一、山田有昴)を経て明治学院大学を卒業。独立美術研究所にて修業、小島善太郎に師事。1944年、東宝撮影所特撮合成美術部入所(~1970年退職)。1945年に独立美術会友、49年に自由美術会員、64年に自由美術退会し、70年より80年までの間に3回にわたって海外取材旅行をなす。〇渡嘉敷唯信は本多猪四郎・円谷英二監督「ゴジラ」(1954年東宝)に合成作画で石井義雄、進八郎と共に関わっていて、『獣人雪男』)『ゴジラの逆襲』(1955年東宝)にも合成作画で関わっている。→ウィキ



 

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今年初めに「岡本太郎展」の企画を聞いたとき、関東大震災(東京一極集中)や「二つの神話」(原発安全・核の傘)がすぐ思い浮かんだ。同時に「芸術は爆発だ」という岡本太郎の言葉が思い浮かんだ。それらのものが一瞬にして現実転換を迫られたのが3・11(金)である。