斎藤 陽子(Walnut, California)7-10 日本時間 南カリフォルニアの、木曜日の今日の気温は37℃、湿度は3%ほどとカラカラで、木陰に入ると涼しく感じられるので救われます。また夜間は砂漠特有の気温となり、13℃ほどと凌ぎ良く、寒暖の差が激しいのがロスアンゼルスの一日です。南カリフォルニアに本格的な夏の季節がやって来て、大抵の持ち家では、裏庭にプールを持っている 家が殆どで、我が家の三人の子どもも小中学生までは、夏休みは朝起きると即刻水着を着て、一日中裏庭のプールで過ごすという生活をしていましたした。年寄りふたりっきりの現在では近所隣りのプールサイドから聞こえる子どもの遊び声を聴くと、今では懐かしい過去の思い出になってしまいました。最近の南カリフォルニアの深刻な水不足で、新規の建売家屋はプールを造るのを控えるように、市が奨励している傾向もあります。
 写真はカリフォルニア州立大学農学部に勤めていた頃の30年前に、イスラエル産のリンゴの木を大学の実習場に植えた時に、2本ほど分けて頂いたものです。このイスラエル産のリンゴは気温の暑い、乾燥地の中東地帯で生育し、真夏に収穫できるという南カリフォルニアの気温に適合している極めて特殊な品種で、あと三週間もすると収穫できる夏のリンゴです。秋になるとアメリカでは新鮮なリンゴが出回りますが、アメリカのリンゴ生産量は4,61万トンと、日本の5倍以上を生産し、その生産高は世界第2位です。(1位は中国)アメリカで最もリンゴ生産量の多いのがワシントン州で、この州だけでリンゴ生産量は日本の倍以上だと言われています。
 アメリカでも全米の半分の以上のリンゴをワシントン州で生産しているというリンゴの巨大産地です。30年前から青森産の「ふじリンゴ」を接ぎ木して、今ではふじリンゴも沢山出回っています。ワシントン州のリンゴの生育期は、太平洋からくる雨雲がカスケード山脈に阻まれ雨はすべて山に降ってしまうため、リンゴの生産地となっている内陸地帯にはほとんど雨が降らない状況のワシントン州の全てのりんご園は、コロンビア川の水を潅水にしています。緯度は北海道より高いワシントン州は乾燥と多日照の気象条件が、リンゴの品質にも良い影響があるようです。ほかにニューヨーク州、ミシガン州、カリフォルニア州などもリンゴを生産をしていますが、ワシントン州はその規模で群を抜くアメリカのリンゴの生産本場です。日本ではリンゴその物を果物として皮をむいて食べるか、最近ではりんごジュースもわずかに見かけますが、アメリカ人はリンゴの加工が上手で、代表的なものがアメリカの「おふくろの味の」のアップルパイ、そのほか焼きリンゴ、アップル・ジュースや焼豚肉の添え物用のアップル・ソースやドライ・フルーツとしてアップル・チップスなどが有ります。
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写真は今わが家の裏庭になっている夏に収穫できるイスラエル産のリンゴと、いま庭のハイビスカスが盛んに開花期を迎えています。右の写真はワシントン州のリンゴ生産畑です。


  那覇市歴史博物館 7-7 国宝尚家資料7月の特別展示のお知らせ 特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料とともに、王国時代の美術工芸品をご紹介しています。7月は尚家資料と福地家資料の染織品から、涼やかな水色地の紅型衣裳をご紹介します。また「琉球漆器の様々な技法」と題して、尚家資料や伊江家資料他の王国時代の琉球漆器から堆錦(ついきん)、螺鈿(らでん)、沈金(ちんきん)、箔絵(はくえ)の技法をご紹介します。文書資料は6月に引き続き、尚家関係資料から尚育王(しょういくおう)の元服・即位・冊封(さくほう)に関する文書6点をご紹介します。王国時代の精緻な工芸技術と、貴重な記録類をぜひご覧ください。


 大濱 聡7-6■7.4付地元二紙に掲載された記事――昨年11/2-3に首里城正殿前で行われる予定だった組踊上演300周年記念事業『首里城公演・式典「琉球舞踊と組踊」』は、本番2日前の10/31に起きた首里城火災によって中止になったが、舞台設営に関わった業者7社が焼失した機材3500万円の補償を元請けの広告代理店に求めたが応じてもらえず、窮状を訴えているというもの。■音響、照明機器などが焼失、どこからの補償もないというのは大変深刻な問題だが、私にはもうひとつの関心事があった。中止になった公演は今年2/15に実施された。それを収録したNHK「沖縄の歌と踊り」(4.24放送)を見たが、貧相な舞台設営に唖然とした。通常なら鮮やかな背景幕を使うが(国立劇場おきなわ公演参照)、TVの画面合成で使うクロマキーを思わせる青一色の背景のみ。経費の関係か、元請けや発注元の実行委員会(事務局・沖縄県文化観光スポーツ部)もそれでよしとしたのか、ノーチェックだったのか。経費は適切に使われたのか。■公演には組踊の第一人者の皆さんが出演、熱演していただけに、見ていて気の毒だった。当事者の見解を聞いてみたいものだ。

 斎藤 陽子 (Walnut, California)7-5 日本時間 (略)最近は日本の家屋の屋根にも太陽光発電のパネルを乗せた家を見かけるようになりましたが、太陽光線が1年の内9ヵ月は保証されている南カリフォルニアでは20年前頃から、個人住宅の屋根の太陽光パネルが敷設するようになり、現在はその売込みも多くの業者が盛んに行っています。カリフォルニアは真冬でも太陽光線の強い州で、そのお陰で四季を通して、野外撮影ができる地として、ハリウットの映画産業が栄えた処です。太陽光線の豊かなカリフォルニアでは、2020年からの新築家屋には、太陽光パネル設置が義務付けられています。すでに40年前から風力発電に着手しているカリフォルニア州ですが、このところ風力発電や太陽光発電などの自然エネルギーの開発に力が入った結果が伺えるのが、ロスアンゼルスから東に190キロの保養避寒地のパームスプリング(Palm Springs)の風力利用の発電です。
 パームスプリングの街中に入る手前の砂漠地帯には、見渡す限りの沢山の風力発電機の発電群ウィンド・ファーム(Wind Farm)を見ることができます。高さ60m~100mの風車ウィンド・ミル(Wind Mill)の一基あたりの設備容量は、約160KWの電気を作ると言われています。この風力発電がこの地帯に敷設され始めたのは既に40年ほど前からで、最初はポツリポツと建っていたのが、最近では3万基近くなり、その風車の林立風景はカメラに収まりきれない広さで壮観です。最近ではドイツ製、デンマーク製や日本の三菱重工製など競い合っているといいます。この写真はほんの一部ですが、プロペラの林が地平線の彼方まで埋め尽くされていて、全体の写真が撮れないのが残念です。なぜこの地に風力発電が盛んになったかというと、この地帯は広大な砂漠地帯で、年中砂漠の気温が上がり上昇気流が発生し、この上昇する気流が太平洋側からの風を引き込み風洞を作るため、風力発電に好条件を満たすと言われています。

 加えて、原子力発電離れもある昨今、オバマ前大統領は大統領時代に太陽光発電や風力発電を奨励しています。この風力発電の周りは砂漠地帯で、敷地的にはまだまだプロペラ建設用地に余裕がりますので、今後もここが拡大されるように思われます。またロスアンゼルスからラスベガスへ向ってドライブした人なら見たことが有ると思いますが、カリフォルニア州とネバダ州の州境前のカリフォルニア側のモハべ砂漠に、写真のような1982年から作られたタワー式太陽熱発電( Solar Power Tower)の大きな施設があります。この発電所が作られた初期の頃は、規模も小さいものでしたが、1995年頃から自然エネルギーが見直されて以来、年々この発電所は拡張され、最近の力の入れようは目覚しいものがあり、その規模は年々大きくなっています。このタワー式太陽光発電は、数メートル四方の鏡を数百枚から数千枚敷き詰めて、集められた太陽光を一箇所の集光器タワーに集めることで、1000度ほどの熱を確保することが可能とのことです。
 一年中無料の太陽が燦々と豊かにある砂漠地帯では、ぴったりのプロジェクトですが、ただ、このシステムが優秀と喜んでおれない問題も派生していると、昨日のカー・ラジオからの放送です。問題は周りを飛ぶ鳥が、この集光器タワー目がけて飛んできて、一日に相当数の野鳥の犠牲が見られ、自然保護団体が騒いでいるようです。発電所側も何らかの対策を立てなければとの課題を抱え、お役所もこれから太陽光発電の許可には慎重に立ち向かうと言っています。太陽光パネルや太陽光発電などは有り余る太陽光線と、台風や竜巻なども無いカリフォルニアには、最適な再生エネルギーかと思います。アメリカ全土の中でも、南カリフォルニアは有り余る太陽光線とハリケーンなども無く、再生可能エネルギー(太陽光線 風力など)政策は一応成功しているとと言えます。

  「くろねこの短語」2020年7月4日ーコロナ感染者が日々増加する中、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が、1~3月期だけで17.7兆円もの年金を株ですっちまったてね。2019年度の1年間でも8兆円の年金が水の泡となりましたとさ。休業補償するのが嫌で営業自粛を躊躇しているのが、いかにマンガかってことなんだね。(略)
 連日100人超の感染者が出ている東京なんか、これで「夜の街」に休業要請なんかしてみてごらんなさい。ただでさえ多くの飲食店は土俵際に立っているんだから、いま語るのは「増税」より「補償」「支援」だろう。そんな折も折、国会閉じたままで他人事のように平然としている初老の小学生・ペテン総理なんだが、昨夜はJR東海名誉会長の葛西敬之と赤坂の料亭で会食。官邸のアイヒマン・北村国家安全保障局長が同席したそうだ。おそらく、静岡県の反抗にあって開業延期せざるを得なくなったリニアについて、何らかの悪巧みしたんだろうね。こいつらにとっては、コロナなんかどうでもいいってことなのだろう。コロナ禍をほったらかして、お友達と赤坂の料亭で酒池肉林するような虚けがトップに居座っていることを許しているようじゃ、この国はもうダメかもわからんね。

   
 Y・A 7-4 あきさみよ〜コロナ大丈夫かな〜外人さん達がバーベキューしてますよ、40〜50人ぐらいで賑わってますが。州崎公園駐車場も満席ですが。独立記念日かなー。
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Y・A 7-6 外人さんバーベキューセット放置かな~


 斎藤 陽子 (Walnut, California) 明日7月4日(土)はアメリカの独立記念日で、三日間の連休です。独立記念日(Independence Day)は1776年にアメリカ独立宣言が公布されたことを記念して、毎年7月4日に定められているアメリカ合衆国の祝日公休日です。アメリカでは独立記念日を(インディペンデンス・デイ)と呼ばれるのが一般的ですが、単に「7月4日」("Fourth of July")という呼び名で言うことも多いです。
 アメリカの建国は1776年に独立宣言し、 今年で建国244年になりますが、数字を見るとほんとに若い国で、日本ではアメリカ建国の頃は江戸時代で、老中 田沼意次や松定忠信が政権争いをしたり、間宮林蔵が樺太を調査していた時代です。アメリカは多くの国からの移民の集まりで「人種のルツボ」とはこういう国を言うのでしょう。この国に53年住んで思うことは、肌の色も文化も宗教も言語も違う人々を、この国はよくも束ねていると感心することがあります。
日本でよく感じる曖昧(アイマイ)さや玉虫色が無く、このアメリカはきっちりと規則や法律で線引きされていていることが顕著で、この辺が多様な人種のこの国を統括している、鍵のような気がします。
 日本でも最近は外国からの就労者が多くなりましたが、日本人に通じる、今まで通りの曖昧さや玉虫色の政策から、きっちりとした規則の見直しも必要な時期に来ているように思います。またアメリカの外国人への語学教育には歴史が有り、外国人のための語学教育方法、そのシステムやテクニック方法など、日本のこれからの外国人のための日本語教育方法の一助として、学ぶところも大きいかと思います。各人種が融合しあい「人種のルツボ」の割には、民主的にうまくまとめた社会を作り上げていると、遂い最近までは少々感心しておりましたが、トランプが大統領になって、アメリカ社会の雰囲気が、なんやらギスギスして心地よいものではなくなりました。特に今年はネソタ州ミネアポリスで、白人の警官に拘束された黒人が死亡した事件をめぐり、黒人への人種差別の抗議デモが、全米主要都市に広がるという状況下での、独立記念日は微妙なものが有ります。
 独立記念日の連休は、通常ですと各地でパレード、カーニバル、バーベキュー、ピクニック、野球などのイベントが開かれ、夏休み中とあって遠出をする車で、高速道路の混み方は尋常ではありませんが、カリフォルニアの今年の7月4日は新型コロナウィルスのため、10人以上の集会禁止やビーチ、公園は閉鎖されており、例年と違う独立記念日です。また独立記念日の名物が各地で恒例の「打ち上げ花火」が行われ、1777年以来のアメリカの伝統行事のようですが、わが街で催される恒例の花火大会も、今年は中止の様です。
 日本の夏は夏中どこでも花火を売っていますが、アメリカでは日頃は全州どこでも花火の販売は一切禁止されていて、花火を売っているのは7月4日のみで、これを違反すると州によって異なりますが、カリフォルニアでは6ヶ月の禁固刑、1000ドルの罰金と厳しい刑が科せられています。普段花火で遊ぶことも厳しく禁止されていている、アメリアの子どもたちには、唯一花火を楽しむことができるのが、7月4日の独立記念日のみなのです。写真のように7月4日だけの即席店で、このような販売店はボーイスカウトや婦人団体など公共団体が市に許可を受けて、団体運営の資金捻出のために花火発売店を出しますが、これもコロナ禍でどこも出店が無い様いです。

写真は7月4日独立記念日1日限りの、例年の暫定的な花火売り場です。わが街ウォールナッツ市は花火禁止の警告文もあります。

 「沖縄タイムス」7-2 沖縄の米海兵隊員の家族1人が新型コロナ感染 米国旅行から戻った後に 基地外との接触なし〇海鳴りの島からー東京で新型コロナウイルスの感染者が107人出たとニュースになっているが、沖縄では米海兵隊の家族から1人の感染者が出ている。海外からの旅行者が制限されているといっても、米軍関係者は別だ。世界最大の感染国から米兵やその家族が出入りしても、日本政府は管理できない。


 大濱 聡7-1■瀬長亀次郎の資料館「不屈館」(那覇市)がクラウドファンディング――NHK沖縄が本日の18:10-「おきなわHOTeye 」20:45-「ニュース845沖縄」で二度放送していました。新型コロナの影響で来館者が激減、厳しい運営状況にあるため、先月クラウドファンディング(朝日新聞社サイトA-port)を起ち上げたということです。10月19日23:59まで、目標金額500万円。■私は「不屈館」友の会会員ですが、それと関係なく、「瀬長亀次郎と民衆資料」と銘打っているように、カメジローの時代の沖縄戦後史が学べる貴重な資料がつまった資料館です。ご協力をお願いいたします。※( )内は投稿者補足



 大濱 聡 7-3■個人的昭和史――断捨離中にこんなハガキが。1962.5.19消印だから中学2年の時だ。ラジオ沖縄(当時はハーバービューにあった)から「琉映ゴールデンタイム」収録の連絡だった。琉映貿(東映・日活系)がスポンサーの週1放送の10分番組で、2枚の招待券欲しさに応募した。小学高学年から、東映・日活を中心に映画はよく観ていた。■当時の日活は石原裕次郎(タフガイ)、小林旭(マイトガイ)、赤木圭一郎(クールガイ)が人気絶頂の頃だったが、私が中学入学2ヶ月前に赤木が撮影所内でゴーカート運転中に事故、21歳で死去するというショッキングな出来事があった。■放送では、赤木の魅力や、撮影中だった「激流に生きる男」を代役した新人・高橋英樹のこと、赤木亡き後「ダイヤモンドライン」(前記3人と「やんちゃガイ」和田浩二)に「ダンプガイ」として加わった二谷英明(当時一押し)のことなどを、生意気にも中学生が通ぶって語ったように記憶している。■家族や、学校、友達にも内緒で応募、出演した初めてのラジオだったが、ただひとり次女姉だけに偶然聴かれたようで「ラジオに出ていたね」と言われた。■ラジオ沖縄の近くにあったハーバービュークラブでキャラウェイが「沖縄の自治は神話である」と講演して物議を醸したのは、翌年3月のことである。 

 「くろねこの短語」2020年7月3日ーいやはや、東京のコロナ感染者数が100人/日を超えましたとさ。東京アラート解除して、あたかもコロナ禍が終息したかのようなイメージ操作しちゃったものだから、こんなあり様になっちゃったんだね。都知事選投票直前になんてこったいと焦ったぼったくりバーのチーママ小池君は、「感染拡大要警戒の段階」なんてボード掲げて、「夜の繁華街への外出は控えてほしい」とつぶやくだけで、まるで他人事なんだね。これって、「補償はしないから、後はもう自己責任でやれ」って言ってるようなもんなんだね。
 そもそも、「感染拡大要警戒の段階」ってなんのこっちゃなのだ。いつのまにそんな「段階」ができたんだ。「感染拡大要警戒」の他の「段階」って何があるんだ。もう、頭がゴチャゴチャになっちまいますよ、ったく。でもって、そんな東京のパンデミックを目の当たりにして、コロナ担当の女体盛り・西村君は、「もう誰も緊急事態宣言はやりたくないし休業もしたくないだろう。感染防止策をしっかり取って、何か異常があれば店を休んだり、調子が悪ければ会社にも出ず、遊びにも行かないなどを徹底していかないとまた同じようなことになる。一人一人の努力をお願いしたい」だとさ。おいおい、感染防止対策をするのはお前の仕事だろう。いやあ、凄いよね。よりにもよって担当大臣が、「一人一人の努力をお願いしたい」って平気で口にしちゃうんだから。
 こんな状況はとうに予測ついていたことで、だからこそ通年国会にしろって野党が要求してたのに、初老の小学生・ペテン総理はさっさと国会閉じちゃて、解散がどうしたこうしたと夜ごとの会合に精出してるんだから、もうむちゃくちゃです。それにしても、休業要請もしないで「夜の繁華街への外出は控えてほしい」ってのは、飲食店にとっては営業妨害の何物でもないんじゃないのか。休業要請しちゃうと補償の問題がでてくるから二の足踏んじゃうんだろうけど、そんなのは緊急事態宣言真っ最中の時にわかってたことなんだから、ようするになんの手だても打ってなかったということで、ただの怠慢です。もっとも、補償しようにも、東京は資金が底ついちゃってるし、手も足も出ないってのが実情なのだろう。だからこそ、国会を開かなくちゃいけないんだよね。ボーナスが濡れ手で粟と言われたくなかったら、国会開いて働け!!

 異邦人 7-2 公式発表の新規感染者が100人を超えても、小池都知事は「感染拡大要警戒」で終わりのようです。1日の新規感染者が20人を超えたら「東京アラート」を出すと言っていた同一人物とは思えません。自分の都合だけで都民を好き放題に振り回す暗君には我慢の限界です。いい加減にしろ、小池百合子。

 斎藤 陽子 (Walnut, California)7-2 日本時間 今日は7月1日、コロナ禍でのドサクサのうち、今年も半年が過ぎてしまいました。新型コロナウィルスで外出禁止令が出て104日も過ぎ、自粛生活もいささか疲れ気味です。ロスアンゼルスでは段階的に自粛が緩和された矢先、このところ急に感染患者が急増し、規制が再び厳しい方向へゆくのではと不安でもあります。まだクルーズ船旅行が安全だった頃、プリンセス・クルーズ、ルビー号で行った、ノールウェー北極圏の旅を思い出し、退屈な自粛在宅生活をオンライン旅行で楽しんでみたいと思います。
【思い出のアルバム】
 あのタイタニック号が船出したイギリス・サザンプトン港から出航したクルーズ船はノールウェーのフイヨルドを巡り、1週間後にノールウェーの最北端「北の岬」の地、ヘニングスヴァーの地にたどり着きました。植物が何も無い凍土の地「北の岬」を出たクルーズ船は白夜の中を航行し、翌日にはトロム(Tromso)に停泊しました。トロムソの彼方の山々は雪をかぶっていて、6月なのに街中も寒く気温は昼間3℃です。トロムソは北緯70度にあって、まだ北極圏内なのでインターネットの回線がとても不安定で、北極圏に入ってからの、この3日間は日本からのインターネット情報も見ることができません。遅い春を迎えたカモメが、物欲しそうに船室のバルコニーに寄ってきます。

 トロムソの街の中心には探検家ロアール・アムンゼンの銅像があります。アムンゼンは1911年に南極点間を徒歩で踏破し、そのあと北極点まで飛行艇で、この地から出発したとのこと、初めて南極点と北極点の両方を制覇した探検家アムンゼンはこトロムソで生まれました。北緯70度の北極圏では最大の街トロムソは「世界で最北の大学」もあり、人口は1万人が住んでいるといいます。なんと驚いたことに・・・北緯70度の北極圏の北ノールウェー・トロムソの街の中に、「無印良品」の店を発見!!最初デパートかな?と覗いたら、な・・なんと「MUJI」の店でした。人口1万人のこの街の人々を相手に、こんな北の地の果てまで日本企業は進出して頑張っているのです。
 北極圏の街トロムソの街の教会の前には、第二次世界大戦で亡くなった多くの人の名が刻んであり、この街は戦争中ドイツに占拠され、ドイツ潜水艦大隊が居座り、ノールウェーを含む連合艦隊とドイツ軍との激戦があった街で、教会以外は第二次世界大戦に街は破壊されたとのことです。北ノールウェーで最も人々に飲まれているポピユラーなビールは、世界最北端の地トロムソで1877年から製造されているマックビールで、北ノールウェーでは最も古いビールとのことです。クルーズ船内では三食の料理は全て無料ですが、アルコール類は有料で、寄港地のスーパーに寄ってアルコール類を買い込むクルーズ乗客は多く、トロムソのスーパーで買ったビールは、1本500ccの6本のビールが、なんと30ドル(ノールウェーの消費税25%と酒税(?%)とで、アメリカの6倍の値段)で、船内のビールの方が安いという現象に直面しましたが、どんなビールか興味も有って買い込みました。北極圏のビールの味はサッポロ・ビールの様な喉ごしでした。
 冒険家アムンゼンも居た北極圏のトロムソの港を出航すると、船は南へと一路どこも寄らずに帰路の航行をしています。息子からの「父の日」のプレゼント・リストに有った、船長招待の操縦席見学、この船の心臓部、航海室の見学に行きましたが、航海室に入る前の持ち物のセキュリティー・チェックは、10年前に比べるととても厳しかったです。船は北極圏のトロムソを出て方向を南へと変えて、一路帰路の航行へと走りつづけます。船の最上階の航海室の見学は30分ほど、船長から最新式の船についての説明を受けましたが、50年まえ東京の大学に行っていた頃の学生は飛行機など乗らず、沖縄・東京の間を何度船で往復したことか(しかも学割の三等船底で)、あの頃の船はジャイロ・コンパスで計算して位置をはじき出し紙に海図を引いて、丸い舵を手動で操作していましたが、今はナビゲーションシステムで全てが済む時代で、大きな木の丸い舵もなく、レバーひとつで方向を変えることができ、ソナーシステムや気象計器など至れり尽せりで、イタリヤ人の船長の丁寧な説明を聞きましたが、さすが商業に徹して、サービス万点のガイドぶりでした。フィヨルドのような狭いところの航行は、船の幅が広いので大変かと質問すると、フィヨルドの海底は深く、なんの苦労もないとのこと、私が驚いたことは出発港で飲料水を入れるが、その他の生活用水は航行中の海水から真水を作る装置が有り真水製造をしているとの情報に驚きました。船の生活は朝食が7時から9時まで、ランチはキャフテリヤで夕食は3つある大レストランどこにでも行けて、他の客との相席も有りで、色々な国の人と出会えて違う国の話が聞けるのも楽しく、下船後ずっと親交を通わす友人も作れたのも、クルーズの醍醐味です。
 【思い出のアルバム】 コロナ禍の無かった、まだクルーズ観光に夢があって楽しかった頃、プリンセス・クルーズで訪ねたノールウェーの旅はノールウェーを北上し、北極圏まで行く旅でした。途中訪ねる寄港地がバイキング(Viking)ゆかりの地だっただけに、バイキングの歴史を至る所で感じさせられ、クルーズ船が寄港すると写真のようなバイキング姿の歓迎を受けました。8世紀から11世紀にかけて北欧ノールウェーやデンマークを根拠地としたバイキングは、海上から英國やヨーロッパ各地を侵攻し、バイキングは北方ゲルマン民族の通称とされ、恐れられていました。
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 このゲルマン民族は航海術にたけて、ヨーロッパ及び地中海、ロシア方面、遠くはカムチャッカを通り、なんとコロンブス以前に北アメリカまで行ったと言われています。その機動力と武力を持った集団は、安定した生活基盤を持っていなく、周辺からの奪略行為を文化的な習慣とし、生業としていたと言われています。今回ノールウェーへ行くクルーズ船が乗客を乗せて出航した港が、あのタイタニック号が出発したサザンプトン港でしたが、この港の街並みはバイキングが襲うことが多かったようで、街全体がバイキング侵撃への防御壁で囲まれた、古いたたずまいの街でした。
 ノールウェーのお土産屋さんの屋根にはバイキング時代に使用されていた、植物の屋根を今なお使用していました。冬は暖かくて夏は涼しいエコ材料とのことで、最近はニューヨークなどの、近代建築デザイナーが取り入れ見直されていると言われています。ちなみに日本のレストランで、ご馳走を自分で取り分ける形式の食事を、バイキング形式と呼ばれていますが、これは1958年に帝国ホテルの料理長によって名付けられたもので、形式にとらわれず、バイキングのように野性的に、自由に料理を取り分けることから、バイキングと名付けられたようです。したがって料理の取り方の呼称バイキングは和製英語で、バイキング形式の言葉はアメリカでは通用しませんのでご注意を。みずから料理をテーブルまで行き取り分ける料理形式は、日本ではバイキング、アメリカではバッフェと言い、フランスではヴュフェと呼びます。


 「くろねこの短語」2020年7月2日ー東京のコロナ感染者数がとうとう60人を突破。ぼったくりバーのチーママ小池君は感染者数発表に先駆けて、「まだ最終確認ではありませんが、60人台に”乗せる”と聞いています」とコメントしたそうだ。まるでエンピツ舐め舐めデータ操作してるんじゃないかとネット雀が大騒ぎしてます。(略)とにかく、現状維持しつつ、毎日コロナ対策でメディアの前に顔を出せば、それはとりもなおさず選挙活動に繋がりますからね。一銭も使わずに抜群の宣伝効果を発揮してくれるというわけだ。メディアはコロナ一色で、都知事選についてほとんど報道しませんから、チーママ小池君だけが目立つということになる。/東スポ7-2  67人という数字がこれまでと違うのは、新宿よりも池袋の夜の街の感染者数が多いことだ。各地の夜の街にも、それなりの数の感染者がいてもおかしくない。宇都宮陣営関係者は「発表されているより、実際の感染者の数はどれだけ多いのだろうか」と疑問を呈した。都知事選が終わったらいきなり感染者数が増えた、なんてことにならなきゃいいが…。