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屋良朝信・監修

 山川 夏子 2020年7月23日 本日、銀座わしたショップの壁面に「首里城正殿」が登場しました。銀座の柳に首里城の朱が映えて、とっても綺麗!!わったーの首里城、おしゃれな銀座の街で、ひときわ美しく輝いていましたよ。「銀座に首里城登場」を記念して、銀座わしたショップさんで、「首里城の破損瓦」展示と「首里城写真」展示が始まっています。この写真展、実は昨年の冬、那覇で開催され好評を博した「『月刊オキナワグラフ増刊号・首里城再録』にみる首里城の60年を振り返る写真展」のパネルなんです。今回は前田店長をはじめ、藤原副店長、スタッフの皆様に色々教えていただきながら、ドキドキで展示に参加させていただきました。
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 廃藩置県後の王国最後の国王尚泰久と当時の首里城の写真から、沖縄戦で焼失後に建った琉球大学時代の激化した学生運動の大学封鎖事件、復元が決まって、戦後初めて実施された「木挽式」(国頭サバクイの本物の行事)、神事の「クエーナ」、落成式典、2000沖縄サミット、世界遺産に登録するまでの過程が、写真パネルと記事でご覧いただけます。2000年の沖縄サミットが決まって、サミットに合わせて県民の「かりゆしウエアを着用」が始まりました。沖縄の県庁職員や会社員のおじさま方が、本当に恥ずかしそうに「こんな派手な服を僕が着るのか?」とカラフルなかりゆしウエアを着用してモジモジされていたのも、懐かしい思い出です。三密をさけて「静かに」ご覧いただけるようになっています。※増刊号(首里城特集)や、「山川夏子の顔写真入り!」通常号もお買い求めいただけます。
【首里城がない時代の写真】
◆沖縄戦で焼野原になった首里城跡地に建った琉球大学で1960年に発生した、学生運動で琉球大学が9日間封鎖されたときの「暁の首里城攻防戦」◆今年開局60周年おめでとう!ラジオ沖縄の開局記念沖縄劇「首里城明け渡し」(1960年)の写真。丘の一本松の大宜見小太郎さんや、島袋光裕さん、眞境名由康さん、仲井真元階さんが一同に舞台に立っている奇跡の一枚。
【首里城復元が始まる】
◆1989年の「首里城正殿起工式」山中貞則初代沖縄開発庁長官、植木光教元開発庁長官、西銘知事、大城真順議員等々、錚々たるメンバーが並ぶ式典の様子が見られます。◆同年の「首里城木挽式」ではヤンバルの森から木を運ぶ、本物の「国頭サバクイ」再現と神事「クエーナ」の再現等々。


1940年6月 那覇の大正劇場で「首里城明渡し」上演/7月「那覇四町昔気質」上演
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1960年8月『オキナワグラフ』


 屋良 朝信 2020-6-24 うりずん豆の旬はだいぶ過ぎているのだろうが銀座わしたショップの野菜売り場を覗いたらラッキーまだ陳列棚にありました。迷わずゲット。その他へちま、島豆腐。これでおきなわ三種の神器ならぬ神食材が揃った。四角豆:沖縄や小笠原で人気の野菜。ゴーヤーや糸瓜(ナーベーラー)同様、遮光用途のグリーンカーテンとしても人気が出ているとか。ゴーヤーも嘗ては誰も注目しなかったけど今や夏野菜の代表格になりました。四角豆も癖のない野菜なので人気が出ると思います。

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 仲松 健雄 2020年5月29日 · 神田『琉の介』 外出自粛が続いて、2ヶ月振りの投稿です。「緊急事態宣言」が発令されて、臨時休業が続いた神田「琉の介」は、1ヶ月半振りに営業再開しました✨スタートは、沖縄音楽界のレジェンド喜納昌吉さんと関係者の方々との会食✨お陰様で「琉の介」は、満席でした❗️


2017年11月 屋良朝信×新井克英『[川崎・鶴見・東京]ウチナーンチュ100年 沖縄・思い遥か』AWAWA「仲松健雄さん」

1982年ー『川崎の沖縄県人70年の歩みー川崎沖縄県人住住者所録』財団法人・神奈川沖縄協会/川崎沖縄県人会



川崎沖縄芸能研究会1950年ー写真上左から金城時男(顧問)、池宮喜輝(野村流音楽師範)、米須清仁(初代会長)。下左から亀川盛要(総務)、渡嘉敷守良、渡嘉敷亮(副会長)□→米須清仁は欽氏で自了の父城間親雲上清信は3代目、清仁はその12代目にあたる。

米須清徳□川崎における沖縄舞踊の始まりー川崎の沖縄芸能については、阿波連本啓(明美さんは同氏の4女で直弟子)と米須清仁翁を以って嚆矢とするー。


古江亮仁「川崎の沖縄芸能と私」□→古江 亮仁(ふるえ りょうにん)/大正四年七月三日生れ。/大正大学文学部史学課卒業。/昭和17年大正大学講師、以後大正大学助教授・教授を歴任、/昭和26年川崎市教育委員会社会教育課嘱託。同42年初代日本民家園(川崎市立)園長。/昭和51年「川崎今昔会」を結成。/平成5年度川崎市文化賞受賞。/平成13年逝去(川崎ロータリークラブ温故知新)


2016年5月 『横浜・鶴見沖縄県人会史ー鶴見沖縄県人百年の歩みー』

1976年12月『横浜市 鶴見沖縄県人会会員名簿』

1980年9月『オキナワグラフ』「鶴見沖縄県人会会館 おきつる青少年育成会館 落成」

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1974年1月 岡田青慶『画集 琉球』琉球文化社〇1959年5月15日、佐藤惣之助詩碑除幕式に参列

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 2021年1月7日『琉球新報』新垣 進「南風」

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古波津英興氏と新城栄徳/2018年4月20日 『沖縄の軌跡』「<『謝花昇伝』著者 大里康永氏>」185号 編集発行人・島袋和幸(葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)

2001年4月 『民権の火よ永遠にー古波津英興追悼集』沖縄民権の会


2020年4月『沖縄民権』第2号 沖縄民権の会〒210-0847 川崎市川崎区浅田3-9-6座覇光子方

島袋和幸「沖縄・伊江島 米軍・LCT爆発事件」
2019年2月『沖縄民権』再刊第1号 沖縄民権の会〒210-0847 川崎市川崎区浅田3-9-6座覇

2019年2月 『沖縄民権』再刊第1号 沖縄民権の会(〒210-0847 川崎市川崎区浅田3-9-6 座覇光子方 ☎044-355-0073)
〇島袋和幸「『沖縄民権の会』についての思い出」

〇古波津清昇「誇りに思う」/「沖縄民権の会会報『沖縄民権』総目次(抄録)」
2001年4月『民権の火よ永遠にー古波津英興追悼集ー』沖縄民権の会(座覇光子)

1983年6月 古波津清昇『沖縄産業史ー自立経済の道を求めて』文教図書
1990年9月 古波津清昇『起業の心得帖-チャンスを生かせ』ブックボックス壷川店
兵庫沖縄県人会事務所で拓伸商事社長の宮城幹夫氏に出会ったことがある。氏は1940年の沖縄県大阪物産斡旋所所長だった宮城桃幸の子息。

 『琉球新報』2017年3月16日 沖縄県内唯一の製鉄メーカー拓南製鉄(那覇市)の創業者で、県工業連合会会長などを歴任した古波津清昇(こはつ・せいしょう)氏が14日午前5時9分、那覇市内の病院で老衰のため死去した。94歳。八重瀬町東風平出身。1961年に県内初の電気炉鉄鋼生産を開始して沖縄の産業復興と工業近代化に大きく貢献し、拓南グループ11社で構成する拓伸会を一代で築くなど戦後沖縄の経済界を代表する重鎮の一人だった。
1968年2月城間武松『鐵と琉球』金秀鉄工株式会社/1982年5月『鉄と共に三十五年』金秀鉄工株式会社
又吉真三さんと懇意であった崎間麗進さんは元金秀建設専務、山里銀三氏も金秀建設社長を勤めて居られた。

 2008年4月ー川崎市市民ミュージアム「オキナワ/カワサキー二つの地をつなぐ人と文化」展
□ごあいさつ・川崎市には戦前から多くの沖縄出身者が在住し、川崎市の産業発展の一翼を担われてきました。川崎市の沖縄県人会は大正13(1924)年の発足から84年という長い歴史を有し、戦後すぐから沖縄芸能の保存にも大きく貢献してきました。
川崎市出身の陶芸家・濱田庄司や詩人・佐藤惣之助などは、沖縄の文化と深い関わりを持ったことが知られています。濱田庄司は、自身の作風を確立する上で、沖縄の壺屋の焼物だけでなく、沖縄の風土・生活様式から大きな影響を受けました。佐藤惣之助も沖縄に魅せられた一人で、「おもろさうし」などに刺激され、詩集を出版しています。戦後には、岡本太郎が占領下の沖縄を訪れ、その文化と伝統に触れて強い衝撃を受けています。このように、川崎と沖縄のつながりはきわめて深いものがあり、市民ミュージアムにも壺屋焼の陶器や琉球政府から贈られた石敢当などの沖縄関連資料が収蔵されています。 
そこで本展では、沖縄と川崎、この二つの地のつながりをテーマに、沖縄の伝統的な芸術文化を伝える資料と、それらに影響を受けて創造された美術工芸品などを紹介します。琉球文化の美と魅力に触れていただき、人々の手で長年にわたり築きあげられてきた沖縄と川崎の絆を感じ取っていただけば幸いです。  川崎市市民ミュージアム

□川崎市出身の芸術家と沖縄・佐藤惣之助と沖縄/濱田庄司と沖縄/岡田青慶と沖縄/岡信孝と沖縄/岡本太郎と沖縄
□川崎の工場と沖縄県出身労働者
1966年1月10日ー『琉球新報』「川崎市でビル火災ー沖縄出身者4人が焼死」
1968年1月5日ー『毎日グラフ』「本土の中の沖縄(南風サークル/大城真栄/普久原朝喜/金城良明)」「万国博へ全力投球(岡本太郎「抵抗あるものを」)」
1969年12月30日ー『沖縄タイムス』真栄田義見「古江亮仁(川崎民家園長)氏と語る」
1983年2月10日ー『琉球新報』「川崎の沖縄県人 70年の歩みー2年がかりで完成」、11日ー『沖縄タイムス』「県人の苦難の歴史綴る『七十年の歩み』出版」
1983年8月1日ー『沖縄タイムス』「川崎沖縄青少年京浜会館」「川崎沖縄県人会」
1984年2月11日ー『琉球新報』福地嚝昭「女工哀史(関東大震災)ー富士瓦斯紡績川崎工場の名簿について」
1984年
10月19・20日ー川崎市立労働会館で川崎市制60周年記念「全国地名シンポジウム」開かれる。□谷川健一/仲松弥秀対談「沖縄地名の特色」、山下欣一「奄美のシャーマニズム」、宮田登「ミロク信仰と黒潮」
10月26日ー『琉球新報』「黒潮の流れに沿って 南島と本土の交流史探る」、『沖縄タイムス』「黒潮の流れに沿って沖縄・奄美と川崎結ぶ」「話題ー古江亮仁さんー1957年には県人の古波津英興氏とはかって沖縄文化同好会を作る。月一回、東恩納寛惇(歴史)、比嘉春潮(同)、仲原善忠(同)、芹沢圭介(紅型)、濱田庄司(陶芸)、柳悦孝(織物)等々多彩な沖縄研究者を講師に文化の灯をともした。土地問題で沖縄の大衆運動が燃えていた。」


1996年5月20日ー那覇市、川崎市と友好都市協定を締結
1996年6月10日ー『全国商工新聞』芝憲子「那覇市と川崎市の友好、歓迎」
1997年1月ー『へるめす』前田恭二「かっちゃんの死ー川崎の沖縄出身者たち」

1998年10月2日ー『しんぶん赤旗』「不況 ホームレス急増ー川崎市に実態をみる」
2000年8月8日ー『琉球新報』山城興勝「川崎・鶴見 県人会は今」