「くろねこの短語」2020年10月24日 (前略)ところで、年末年始休暇を延長・分散して、初詣などで予想される密を避けようって話が出てきたってね。「1月11日の成人の日まで休みを採るのも一案」てなことを新型コロナ感染症対策分科会が提言しているんだが、そりゃあ正社員はいいでしょうよ。でも、日給の非正規はどうなるんだ。休めば給料貰えないんだから、それこそ年越しテント村の再現ってことになりますよ。年末年始休暇の延長・分散なんてことが語られるほどコロナの先行きってのは誰にも見えていないないわけで、こんなんでオリンピックなんかやれるのかねえ。あっ、そうか・・・このところオリンピック中止とか2032年に先延ばしとかいろいろ噂が飛んでるけど、既にオリンピック中止が織り込み済みの政策ってわけか。妄想だけど。

  「くろねこの短語」2020年10月19日 おかしな話だ。何がって、所信表明演説もしないで、国会を無視したままだってのに、特高顔の自称苦労人・カス総理が外遊したことだ。そうした視点をまったくスルーしたまま、「首相、初の外遊スタート」なんてヨイショ報道する新聞・TVもどうなってるんだろうねえ。
 コロナ禍の真っ最中にあって、総理大臣が代わり、その直後に「学問の自由」を揺るがしかねない日本学術会議問題が勃発したってのに、国会が閉じたままってのがどれだけ異常なことか。そのくせ、携帯電話料金値下げだの、マイナンバーカードと免許証の一体化だの、地方銀行や中小企業の再編だの、個別な政策は国会での議論もなしに勝手に動き出している。(略)
  「くろねこの短語」2020年10月18日 (前略)、いまのタイミングで処理水の海外放出なんてことが俎上に上がること自体おかしな話なのだ。本来なら、国会で議論すべきことなのに、特高顔の自称苦労人・カス総理は国会を開くこともなく、今週は総理就任後初の外遊へお出ましときたもんだ。
 でもって、そんなカス総理に阿るように、大阪府知事のイソジン吉村君が「大阪湾で1発目を放出することが必要で、国からの要請があれば、協力すべきだと思う」だとさ。大阪湾に汚染処理水を垂れ流そうってんだが、こいつもまたカス総理と一緒で何でも自分一人の判断でできると勘違いしてるんだね。ひょっとして、イソジン混ぜて流すつもりだったりして・・・妄想ですよ。そう言えば、イソジン吉村君のオヤビンであるお子ちゃま・橋↓も「関西にも米軍の基地負担を」なんてことを口にして顰蹙を買ったことがある。子の親にしてこの子あり、ってなものか。
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菅 義偉2012-01-28- 民主党は野党時代に政府の文書管理の不備を責め、情報公開を声高に叫んでいました。しかし政権交代後、政治主導の象徴とした政務三役会議など、政策決定過程の多くは非公開で議事録も作成されず、「密室政治」となっています。議事録作成という基本的な義務も果たさず、「誤った政治主導」をふりかざして恣意的に国家を運営する民主党には、政権を担う資格がないのは明らかです。

 黒手人 2020年10月16日ーはいさい、やっちー!ちゅーぬ タイムスんかい、高良とぅ与那原恵が 講演・対談 すんでぃぬ 広告が ぬとーん。タイムス「首里城取材班」がやるはじ。14日ぬ タイムス記事や、まったくぬ 高良ぬ「露払い」! ちゅーぬ タイムス文化面かい ぬとーる 知念勇さん意見のー 正当やんやー。なまから うむしるく ないぐとぅ、んーちょーてぃ くぃみそーりよー。

 「くろねこの短語」2020年10月14日 (前略)どうやら、警察官僚による官邸支配ってのが、カス政権の本質ってことのようだ。運転免許とマイナンバーカードの一体化なんてのも、警察官僚がバックについているからこそで、昨日のTBS『Nスタ』なんか臆面もなくそうした報道をしてましたからね。
 日本学術会議問題は「学問の自由」に手を突っ込んだわけだけど、カス総理が必死こいている携帯電話の料金値下げってのは行きつくところは「表現の自由」への弾圧につながりかねないんだよね。なんとなれば、携帯電話料金ってのは電波の許認可に関わってくる問題で、許認可権を利用すれば放送局への規制も容易にできちゃうんだから。日本学術会議問題は警察国家への手始めで、メディアや一般大衆労働者諸君がどんな反応をするか試してるんじゃないのかねえ。
 ところで、あっせん利得疑惑の布袋頭・甘利君が、「日本学術会議は中国の『千人計画』に協力している」ってデマを流したブログをこっそりと書き換えてたってね。睡眠障害とやらで国会から逃亡したように、なんとも姑息な野郎だこと。

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2020-10-11 沖縄県立博物館・美術館講堂 しまくとぅばプロジェクト「しまくとぅば鼎談」親川志奈子、屋嘉宗彦、比嘉豊光、伊佐眞一

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2020-10-2 『沖縄タイムス』伊佐眞一「首里城再建を考える③大動乱の史実」/2020-10-7 『沖縄タイムス』後田多敦「首里城再建を考える⑤沖縄神社」

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1999年10月 野々村孝男『首里城を救った男ー阪谷良之進・柳田菊造の軌跡』ニライ社/2000年11月 野々村孝男『写真集 懐かしき沖縄~山崎正董らが歩いた昭和初期の原風景から』琉球新報社

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 1993年1月22日『琉球新報』「大龍柱を考える会(会長・宮里朝光)発足」/1991年1月 伊佐眞一『アール・ブール人と時代』編集後記/西村氏の抗議にたいする当局の返答

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2020-9-11沖縄県立博物館・美術館
特別展「岩石」-石ころから見える地球のダイナミズム―2020年2020年09月08日(火) ~ 2020年11月15日2020
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1910年3月 シーモン
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「寸法記」向き合ったら宝珠を持った手がみえるが、これは手を降ろしていて見えない。

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2020-9-17 龍柱を考える会


1997年4月ー与那原恵『物語の海、揺れる島』小学館 2018年1月14日~2月25日 ジュンク堂那覇店「第1回 新春古書展」会場で、私は宝島社の出版物に興味があったので2001年4月『公安アンダーワールドー日本の秘密情報機関』と2004年2月 宝島社『筑紫哲也「妄言」の研究』を買った。宝島社『筑紫哲也「妄言」の研究』〇与那原恵「迷惑な沖縄愛 悲劇の島、癒しの島というステレオタイプー筑紫哲也のような、平和、人権を唱えるタイプの人間が興味を抱きつづける場所は『沖縄』である。沖縄には彼らが求めるさまざまなテーマがある。」

 1997年10月『噂の眞相』永江朗②〇メディア異人列伝/与那原恵ー与那原恵は『別冊宝島』が生んだもっとも優れたルポライターである、というのがぼくの個人的評価だ。ルポライターとして優れているだけでなく、彼女の仕事は『別冊宝島』のもっとも良質な(あるいは、だった)部分を体現している。/与那原恵の登場は1989年。『宝島ブックレット・平成元年の右翼』だった。彼女は58年生まれだから、けっして早いデビューではない。デビューの少し前まで、彼女は区立図書館に勤めていた。勤めながらコピーライター養成講座や編集者養成講座などに通っていた。ライターになる見通しもないまま退職したとき、声をかけたのが講師の一人で『別冊宝島』の編集長だった石井慎二③だ。「やってみないかと言われた仕事がいきなり右翼の取材で(笑)右翼なんてそれまで触ったことも」見たこともない人々でしょ。そのとき野村秋介さんにも会ったんですよ。」
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2007年9月
2014ー3『首里城研究』第16号 与那原 恵「鎌倉芳太郎が出会った沖縄の人たち 」
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2012年3月 高良倉吉『琉球の時代 大いなる歴史像を求めて』ちくま学芸文庫〇与那原恵ー解説・岬に立つ歴史家ー高良さんが力を尽くした首里城復元により、多くの人たちが「琉球」の時代をまざまざと感じられるシンボルを得た。首里城復元のプロジェクトは現在もテーマを深め、多面的なアプローチで続行されている。長い歴史や伝統文化がその時間の流れから一時寸断されたとしても、それでも今を生きる者たちの力によって再び構築することができる。赤く彩られた美しい首里城が教えてくれるのは、そのことだ。/2013-7 与那原恵『首里城への坂道』筑摩書房、与那原恵『首里城への坂道』中公文庫〇末吉麦門冬の項は粟国恭子論文引用→1991年『地域と文化』68号「末吉安恭(麦門冬)の民俗的視点」南西印刷/1992年『『地域と文化』72号「末吉安恭(麦門冬)と伊波普猷」南西印刷/1994年『沖縄タイムス』「人物列伝・沖縄言論百年 末吉麦門冬」/1997年『浦添市立図書館紀要』8号「伊波普猷と末吉麦門冬(安恭)の交流」/1997年『文学』「熊楠と末吉安恭(麦門冬)」岩波書店/2007年『沖縄芸術の科学』19号「近代沖縄の芸術研究①」沖縄県立芸術大学附属研究所/2008年『沖縄芸術の科学』20号「近代沖縄の芸術研究②」沖縄県立芸術大学附属研究所
 〇高江洲義寛氏や友人たちがNHKのテンペストに関して批判を展開している。ことに西里喜行氏は八重山地区の教科書問題に通底するものと断定しておられる。
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1990年8月 戦争体験記録研究会『次代へ』安仁屋政昭「平和をまもるたたかいは、忘却とのたたかいである。」


 後藤忠政『憚りながら』(宝島社文庫2011)
2013年1月12日ージュンク堂那覇店で後藤忠政『憚りながら』(宝島社文庫2011)を買ってきた。山口組最高幹部と親しい島田紳助について「島田紳助とかいうお笑い芸人が、自分が司会やってる番組(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』)を使って、カンボジアに学校を建てるんだと言ってたじゃないか。あれほど、見ていて気分が悪くなる番組もなかったな。(略)押しつけがましい、見てるこちらが恥ずかしくなるような「善意」を、公共の電波を使ってタレ流すテレビ局も、テレビ局だ。」とある。本書には親交のあった櫻井義晃、竹井博友、野村秋介①との出会いにもふれている。

後藤組関連資料

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1963年12月 竹尾二郎『真相』野村秋介「獄中手記」
 ①野村秋介1935年~1993年 東京出身の新右翼活動家、思想家。
若年の頃は出口辰夫(通称モロッコの辰・後に暴力団稲川会四天王の一人となる)の舎弟。五・一五事件の三上卓との邂逅を経て右翼開眼。戦後新右翼の代表的な論客として知られた。1963年、自民党の政治家・河野一郎邸を焼き討ちし、懲役12年の実刑判決。出所後の1977年には経団連本部を襲撃、懲役6年の判決を受け再び服役した。「ヤルタ・ポツダム体制打倒」と「日米安保条約破棄」を軸に、反権力の右翼としての思想を強く主張した。その批判対象は政界・財界からマスコミにも向けられた。ただ本人は左右を超越した「民族主義者」を自認し「右翼」と呼ばれる事を嫌っていたとも言われる。彼は右翼ながら、「在日」朝鮮、韓国人を慮っていた。1983年、衆議院総選挙東京2区から新井将敬が出馬するも、同選挙区石原慎太郎候補の秘書により、『北朝鮮から帰化』という中傷シールが選挙ポスターに貼られる。-所謂黒シール事件,その際野村秋介が、石原慎太郎候補事務所に猛抗議に行った。持ち前の義侠心からであった。1992年、参議院選挙に際して「風の会」を組織し比例区から候補者を擁立した。『週刊朝日』誌に「ブラック・アングル」という風刺イラストを連載していた漫画家山藤章二が、これを「虱の党」と揶揄した作品を発表した事をとらえ、朝日新聞に対する抗議の姿勢を強めた。翌年の1993年10月20日、朝日新聞東京本社に乱入、社長ら首脳と話し合いの後「天皇(すめらみこと)弥栄」と三度言い残し、拳銃自殺。(はてなキーワード)


2020-6-26 首里当蔵「第四回 大龍柱を考える会」 /「沖縄タイムス」2020-6-28市民団体「大龍柱を考える会」は26日、県庁で記者会見し、首里城正殿前の大龍柱を正面向きにすることを求めて那覇市議会に陳情したと説明した。 那覇市首里地区の住民を中心とした10人で、16日に陳情した。

 新聞、テレビでは連日「猛火に耐えた大龍柱、焼け跡に希望」と報じられている。日本列島は竜の落とし子の形をイメージする人が多い故か。『琉球新報』11月1日には、県指定無形文化財保持者で、首里城復元にも携わった漆芸作家の前田孝允(こういん)さん(82)と、首里城正殿を復元する際の基本・実施設計委員を務めた琉球大名誉教授の西村貞雄さん(76)の紹介。西村さんは首里城が焼失した前日の10月30日、小中高校の元美術教諭ら50人を首里城へ案内。場内を見回りながら、復元に関わった龍柱や首里城の特徴について6時間に渡って説明したばかりだった。テレビで焼け落ちる様子を見てショックを受けた」と声を落とした。「全て記録に残している。予算があればできるし、後は気持ちの問題。また復元させるので県民も応援してほしい」と力を込めた。

2019年11月12日『琉球新報』西村貞雄「焼失から再建へ 首里城火災」

 『八重山毎日新聞』2019年11月16日<不連続線>今から116年前まで、宮古・八重山には琉球王府時代に課せられた人頭税があった。15歳から50歳まで年齢、性別に応じた頭割りの税。男性は穀物、女性は織物を納めなければならない。その税制は各地に悲劇をもたらした▼与那国島久部良にある岩盤の割れ目、クブラバリ。年に1度、妊婦を集め、岩の裂け目を跳ばせ、間引きしたと伝えられている。さらに島のほぼ中央にあるトゥング田跡。課税対象の男性を非常招集し、決められた時間内に田の中に入れなかった人が殺されたという(略)▼石垣市では2002年、人頭税廃止100周年記念事業が行われた。「私たちの先人はその不合理で過酷な税制のもとで苦境にあえいでいた」と先人の労苦と人頭税廃止の意義を後世に伝える記念碑が市立八重山博物館敷地内に建つ▼首里城はかつて、先島にとって圧政の象徴であった。そういう歴史も内包していることを踏まえつつ、早期再建を望みたい。

 『しんぶん赤旗』2019年ー11月14日正殿などが焼失した首里城(那覇市)は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、米軍の攻撃によって灰燼(かいじん)に帰してしまった過去があります。地下に沖縄守備軍の第32軍司令部壕(ごう)がおかれたためです。当時、「鉄血勤皇師範隊」に召集されていた日本共産党元衆院議員の古堅実吉(ふるげん・さねよし)さん(90)は、首里城の破壊を目の当たりにした一人です。/〇那覇市首里城の地下に、「第32軍司令部壕」があります。司令部壕は、首里城の地下を南北に横断するように掘られており、全長1キ口から2キロの壕に、1000人以上の兵士がいたといいます。6か所の入口があったとされていますが、今も残っているのは南側の1か所だけです。なお、内部は壁が崩れるなど危険なため、公開されていません。壕のなかは、今もわき水が流れ、日々浸食が進んでいて、岩盤が大きく崩落しているところもあります。沖縄県は、司令部壕の保存や公開を検討していますが、数十億円の費用がかかるとみられ、計画は今も進んでいません→NHK沖縄放送局/首里城の園比屋武御嶽石門近くにある司令部壕の第1坑道入り口付近には説明板が設置されているが、県は2012年に説明板設置検討委員会がまとめた説明文から「慰安婦」の文言と日本軍による住民虐殺に関する記述を削除した。委員らが記述復活を求める声が上がるなど、曲折を経ている。→琉球新報


写真N・J/青山恵昭 2020年1-20 沖縄戦当時、沖縄師範学徒隊が掘った「留魂壕」当時15歳の少年だった古堅実吉さん、現地を訪ね地獄の戦争体験を現地に語る。(琉球新報)/S・K紅い首里城の再建は、単なる再建ではなく、32軍司令部壕を始めとする首里城近辺の戦争の歴史をどのように見せていったらいいのかを、具体化するために考えていきたいと思います。



→「特定非営利活動法人 地質情報整備活用機構(GUPI)」
『琉球新報』1992年7月13日「首里城地下の沖縄戦 32軍司令部壕 第25回ー〈第5砲兵壕/工業学生の9割犠牲に/将校のそばには慰安婦」

 「琉球朝日放送」11月11日、東京で開かれた全国知事会。その冒頭で飯泉嘉門全国知事会長が、首里城火災について、全国知事会として国に早期復元に取り組むよう求める決議を呼びかけました。11月に入った。前日、首里城が炎上するという衝撃的な出来事があった。しかし、辺野古では今日も新基地建設の埋め立て工事が強行されている。→目取真俊ブログ「11月に入った。前日、首里城が炎上するという衝撃的な出来事があった。しかし、辺野古では今日も新基地建設の埋め立て工事が強行されている」も、核基地もない平和なウチナー「みるく世」をつくる上でも、膨大な税金を喰い、かつ自然破壊の辺野古新基地強行は寸時も忘れてはならないだろう。/「時事」首相は「必要な予算を確保した上で、オールジャパンで国土強靱化をパワーアップしていく」と強調。その上で「国家百年の大計として、災害に屈しない強さとしなやかさを備えた国土をつくっていきたい」と述べ、防災対策の抜本強化に取り組む考えを示した。→そう、トランプにも屈しないで!!。防災関連産業を、中小企業中心に起こし内需拡大だ。大企業では利権が絡む。そのためにも消費税は廃止だろう。

 渡久地 政司(愛知県 豊田市)11月9日ー 首里城の敷地、建物、所蔵物の所有者は多分国だと思いますが管理者は、国直轄なのか、それとも管理権を国から沖縄県に移譲・委託・移管等々どのようになされているのか。今回の火災では、管理責任が問われるはずです。電気配線ならば、どのような点検、管理されていたのかなど。また、火災保険にはいっていたのかどうか。再建される建物を建設する主体はどこなのか。国ならば、地方自治体が国に建設費を支払うことは法律で禁止されています。沖縄県がどの部分を担うのか、明確にしないで、募金活動をすることはどうかと思います。

『沖縄タイムス』11月11日ー首里城火災を受け、沖縄県や那覇市には県内外から多くの寄付金が集まっている。正殿など焼失した建物部分は国の所有で、再建などの大規模な修繕費は国が負担する取り決めだ。那覇市は寄付金の県への移譲を検討。県は知事直轄組織で使途を検討する方針で、謝花喜一郎副知事は「文化財等は県で取り組まなければならない」と述べるなど、文化財の修復や収集などに取り組む姿勢を見せている。

 龍脈ー地中を流れる気のルートのこと。大地の気は山の尾根伝いに流れると考えられており、その流れが龍のように見えることから「龍脈」と呼ばれる。風水では、この「龍脈」の気が噴き出すポイントである「龍穴」に住むと、一族は永きに渡って繁栄できると考えられている。 →コトバンク
 鎌倉芳太郎は那覇の若狭についてその著『沖縄文化の遺宝』の中で古事集を引いて「思うに若狭(北陸)はその地勢、畿内に接して摂津と表裏し、小浜①は日本海の港津として難波の津に比扁する位置にあり、古来日本海における外国貿易の起点となっていたが、15世紀の初頭以来南蛮船も着船し、この地の代官も書をもって朝鮮国と通交しており、小浜から出て東シナ海に向かい、琉球に新しく出来た那覇港に、貿易物資生産のための若狭の居留地が造成されてとする推定も可能」という。①小浜市には【オバマを勝手に応援する会】がある。


 こんぶが旅した”こんぶロードー鎌倉中期以降になると、昆布の交易船が北海道の松前と本州の間を、盛んに行き交うようになりました。昆布が庶民の口に入るようになったのは、そのころからです。海上交通がさかんになった江戸時代には、北前船を使い、下関から瀬戸内海を通る西廻り航路で、直接、商業の中心地である「天下の台所」大阪まで運ばれるようになりました。昆布を運んだ航路の総称を「こんぶロード」と言います。こんぶロードは江戸、九州、琉球王国(沖縄県)、清(中国)へとのびていきました。特に、琉球王国は薩摩藩(鹿児島県)と清とのこんぶ貿易の中継地として、重要な役割を果たしました。→こんぶネット


『福井新聞』11月7日ー激しく燃え上がる首里城の正殿=10月31日午前3時50分ごろ、沖縄県那覇市(近隣住民撮影)◇株式会社福井新聞社ー本社所在地〒910-8552福井県福井市大和田二丁目801番地 https://www.fukuishimbun.co.jp/11月1日ー沖縄戦災復興の象徴とされた首里城復元工事の中心を担ったのは、福井県の宮大工たちだった。職人の技が惜しみなく注がれた首里城が全焼した10月31日、正殿の屋根が焼け落ちるテレビ映像を目の当たりにした宮大工は「あまりにもショック」と肩を落とした。復元に携わったのは藤田社寺建設(福井県永平寺町)。越前大仏の建設に台湾ヒノキを使用していたことから、同じ木材での復元を目指す正殿工事の要として白羽の矢が立った。1992年の完成まで、10人を超す精鋭が3年以上現地に滞在。現地の宮大工と汗を流した。

越前大仏は、福井県勝山市の臨済宗妙心寺派の寺院、大師山清大寺にある大仏/元となった九龍壁は、中国の国宝第一号に指定された由緒あるもので、中国政府の許可をとり作成/回廊に使われているのは樹齢1500年を超える台湾桧。その数なんと152本。→Dearふくい

☆若狭湾は原発銀座(17基の原発があり、今なにかと話題の高速増殖炉”もんじゅ〟もある)であるが、オキナワは台風銀座。またオキナワは超クルマ社会でクルマで溢れ返って停滞だらけ。北京の大気汚染は笑えない。なおかつ米軍・自衛隊の基地銀座(使い古されているが『基地の中にオキナワがある』というのもある)でもある。狭い与那国や、宮古、八重山にも自衛隊は島を守る(皇軍は守らなかったどころか、投降し捕虜になったのも多い)という美名のもとに、新たに「基地」をつくろうとしている。安保下では自衛隊基地には当然のように米軍機もやってくるので第2第3の普天間基地となるのは目に見えている。自衛隊基地をつくるのであれば、米軍と小指、ではなく手を切って自前の自衛隊にしてもらいたい。まぁ無理か。
 若狭湾の先端に突き出た常神半島の民家の裏庭にある、およそ樹齢1,300年の大ソテツ。国指定天然記念物です。日本海側で最も北にあり、大きく古いものはとても珍しいといわれています。根元から樹高4.5〜6.5mの支幹5本と、樹高1.5〜3.0mの支幹8本に分かれ、その全幹の周囲は5.2mあります→常神の大そてつ 国指定天然記念物