03/27: 世相ジャパン 2025⑤
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大濱 聡 ·3-29 ■27日、政府は「台湾有事」を想定した先島諸島5市町村の住民、観光客ら約12万人を6日間で九州・山口の8県32市町に避難させる計画を発表。■何だか80年前の沖縄戦における本土・台湾への10万人疎開計画の既視感がある。当時は船舶(本島から187隻出航)だったが、対馬丸などの疎開船3隻、本土航路5隻を含む26隻の船舶が撃沈されている(対馬丸は学童784人含む1482人が犠牲に)。
■以前、TVのドキュメンタリーで与那国の島民の「防衛のために自衛隊が入ってきたのに、危険だから島を出ろって、どういうことなの?」との言葉が強く印象に残っている。■嘉手納基地、普天間飛行場などへの攻撃もあるかもしれないのに、沖縄本島に住む人々は対象外のようである。■なぜ、沖縄だけが狙われるという前提なのか。「九州では、防衛省が敵基地攻撃能力(反撃能力)を有するミサイルの配備を計画している。実際に配備されれば、九州も相手国から攻撃対象とされ、九州内でも避難が生じる可能性がある」(琉球新報)。原発が攻撃を受けないとも限らない。他人事ではないのである。※数字は『沖縄県史 沖縄戦』(2017年版)より

内海 肖像ー29 いつ台湾有事を起点として琉球弧が戦乱の渦に巻き込まれるかだれも予断できない状況となった。それでも、オール沖縄幹部会は安保容認・自衛隊基地新増設容認の立場を変えないのであろうか。選挙に有利かどうかの判断よりも戦争を防ぐのが政治家の役割。かつての大政翼賛会の構成組織と変わらない立ち位置を維持する理由は何処にもない。


3-28那覇市民ギャラリー「山城東雄・さかゑ二人展」

沖縄県平和委員会 3-25 宮古島の自衛隊1000人の大台へ 陸海空自衛隊を一元的に指揮する防衛省の「統合作戦司令部」が発足した3月24日、宮古島駐屯地では長崎と熊本から移駐してきた要員によって陸自電子戦部隊が正式に運用を開始しました。



2025年3月 『沖縄県立博物館・美術館 美術館紀要』第13号
梶原正史「大城皓也作の油彩画作品≪イエファィイエファィ(À)≫修復について~修復作業報告~」



豊見山愛「雑誌『青い海』を表象文化論から解くー1」/亀海史明「森口豁の仕事」
☆森口豁3-27「沖縄について誌紙に書いた僕の文章が401本に上ることが分かりました。(1956年の初の沖縄訪問から2024年末まで)65年間としては少ないのかも。著作物は『最後の学徒兵』や近著の『島のことだま 』など14冊。」

大濱 聡 ·3-29 ■27日、政府は「台湾有事」を想定した先島諸島5市町村の住民、観光客ら約12万人を6日間で九州・山口の8県32市町に避難させる計画を発表。■何だか80年前の沖縄戦における本土・台湾への10万人疎開計画の既視感がある。当時は船舶(本島から187隻出航)だったが、対馬丸などの疎開船3隻、本土航路5隻を含む26隻の船舶が撃沈されている(対馬丸は学童784人含む1482人が犠牲に)。
■以前、TVのドキュメンタリーで与那国の島民の「防衛のために自衛隊が入ってきたのに、危険だから島を出ろって、どういうことなの?」との言葉が強く印象に残っている。■嘉手納基地、普天間飛行場などへの攻撃もあるかもしれないのに、沖縄本島に住む人々は対象外のようである。■なぜ、沖縄だけが狙われるという前提なのか。「九州では、防衛省が敵基地攻撃能力(反撃能力)を有するミサイルの配備を計画している。実際に配備されれば、九州も相手国から攻撃対象とされ、九州内でも避難が生じる可能性がある」(琉球新報)。原発が攻撃を受けないとも限らない。他人事ではないのである。※数字は『沖縄県史 沖縄戦』(2017年版)より

内海 肖像ー29 いつ台湾有事を起点として琉球弧が戦乱の渦に巻き込まれるかだれも予断できない状況となった。それでも、オール沖縄幹部会は安保容認・自衛隊基地新増設容認の立場を変えないのであろうか。選挙に有利かどうかの判断よりも戦争を防ぐのが政治家の役割。かつての大政翼賛会の構成組織と変わらない立ち位置を維持する理由は何処にもない。


3-28那覇市民ギャラリー「山城東雄・さかゑ二人展」

沖縄県平和委員会 3-25 宮古島の自衛隊1000人の大台へ 陸海空自衛隊を一元的に指揮する防衛省の「統合作戦司令部」が発足した3月24日、宮古島駐屯地では長崎と熊本から移駐してきた要員によって陸自電子戦部隊が正式に運用を開始しました。



2025年3月 『沖縄県立博物館・美術館 美術館紀要』第13号
梶原正史「大城皓也作の油彩画作品≪イエファィイエファィ(À)≫修復について~修復作業報告~」



豊見山愛「雑誌『青い海』を表象文化論から解くー1」/亀海史明「森口豁の仕事」
☆森口豁3-27「沖縄について誌紙に書いた僕の文章が401本に上ることが分かりました。(1956年の初の沖縄訪問から2024年末まで)65年間としては少ないのかも。著作物は『最後の学徒兵』や近著の『島のことだま 』など14冊。」