okinawa・時代の記憶~「嘉納 辰彦」
1952年、那覇市生まれ。
東京写真専門学院卒業後、雑誌やメディアを中心に活動。 1989年・90年・94年と南米の沖縄移民の人々を訪ね取材し、那覇市・名古屋・各地で写真展『もうひとつのウチナー』を開催してきました。


相川俊孝 あいかわ-としたか
1889-1940 大正-昭和時代前期の詩人。
明治22年12月24日生まれ。室生犀星(むろう-さいせい)に刺激されて詩作をはじめ,大正9-12年ごろ「感情」や「詩聖」に作品を発表。13年佐藤春夫の序文を得,前衛風の詩をまとめた「万物昇天」を刊行した。昭和15年11月18日死去。52歳。石川県出身。第四高等学校中退。(→コトバンク)

1929年ー来沖

樋口富麻呂
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1926年ー初来沖/1928年ー『川柳 大大阪』表紙絵
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1935年ー2回目の来沖/1960年ー3回目の来沖

梶原緋佐子『国民百科』表紙絵/梶原緋佐子
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作家名 梶原緋佐子
作家名(ヨミ) カジワラヒサコ
作家名(英字) KAJIWARA HISAKO
出身地 京都府京都市
生没年月日 1896年~1988年
略歴 1896年京都府に生まれる。1988年没する。京都府立第二高等女学校で千種掃雲に学ぶ。卒業後、菊池契月に師事。1918年第1回国画創作協会展に〈暮れゆく停留所〉を出品し、選外佳作となる。翌年、第2回帝展に出品し入選。以後、帝展、新文展に出品し活躍。戦後は日展で特選や白寿賞を受賞し、審査員も度々務めた。また、京展に出品し審査員を務めるなど、戦後の京都画壇において重要な位置についた。1976年京都市文化功労賞を受賞した。
作品情報 所蔵品あり (→徳島県立近代美術館)
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菊池契月 きくちけいげつ
[生]1879.11.14. 長野,中野[没]1955.9.9. 京都
日本画家。本名は完爾,旧姓は細野。京都に出て内海吉堂に師事,のち四条派の菊池芳文に学び,菊池家を継いだ。 1898年新古美術品展,1903年内国勧業博覧会で受賞。文展では第1回展以来連続入賞し審査員となる。 22~23年渡欧。帝室技芸員,帝国美術院会員,帝国芸術院会員,京都市立絵画専門学校教授,同校校長を歴任。気品に富む人物画,歴史画を得意とした。主要作品『名士弔葬』 (1908,東京国立近代美術館) ,『赤童子』 (26,京都市美術館) ,〇『南波照間』 (28,同) ,『涅歯』 (33,東京国立近代美術館) ,『麦姫』 (37,同) 。→コトバンク