1940年8月 『南島』第1輯 編集兼発行者・野田裕康(台北市兒玉町3ノ9野田書房内)南島発行所目次カット・川平朝申
□編集顧問・浅井恵倫、移川子之蔵、上原景爾、江崎梯三、小葉田淳、大島廣、金関丈夫、喜舎場永珣、島袋源一郎、島袋全発、豊川博雅、南風原朝保、東恩納寛惇、比嘉春潮、萬造寺龍、山中樵
□編集係・川平朝申、須藤利一、比嘉盛章、宮良賢貞
□口絵ー八重山の御嶽と拝殿・西表の節祭とアンガマ踊/進貢船の図/弘化年間来琉の英国船(表紙の地図は中山伝信録より)
□比嘉盛章「西表島の節祭とアンガマ踊」/喜舎場永珣「爬龍船の神事」(黒島)/宮良賢貞「黒島船造りののりと・小濱島のニロー神」/瀬名波長宣「進貢船接貢竝朝鮮船異国船日本他領の船漂着破損等の在番役役公事」/正木任「サマラン號八重山来航事記録」/須藤利一「サマラン號航海記附記」/須藤利一「アダムスの那覇見聞録」/付録ー八重山島由来記・八重山島大阿母由来記・八重山島諸記帳・慶来慶田城由来記・・・解説並びに語句解(比嘉盛章)

1942年3月 『南島』第2輯 編集兼発行者・野田裕康(台北市兒玉町3ノ9)目次カット・川平朝申
□編集顧問・浅井恵倫、伊波普猷、移川子之蔵、上原景爾、江崎梯三、小葉田淳、大島廣、金関丈夫、川平朝令、喜舎場永珣、志喜屋孝信、玉城尚秀、島袋源一郎、島袋全発、豊川博雅、南風原朝保、東恩納寛惇、比嘉春潮、萬造寺龍、柳田国男、山中樵
□編集係・川平朝申、須藤利一、中村忠行、三島格①、宮良賢貞
口絵ーバジル・ホール肖像/日本国古地図(海東諸国記所載)
李朝実録・中世琉球史料・・・・・小葉田淳
久米島おもろに就いて・・・・・・・世禮国男
与那国島の童謡・・・・・・・・・・前新加太郎
孤島武富覚書(八重山)・・・・・・宮良賢貞
岩崎翁のことども・・・・・・・・・・・瀬名波長宜
「沖縄の文化を語る」(座談会)・小葉田、金関、比嘉、須藤、南風原、松村、三島、川平
親雲上の音義に就て・・・・・・・・比嘉盛章
おもろさうし研究(第1回)・・・・・小葉田、金関、松村、木藤、川平、中村、比嘉、須藤、三島
口絵解説(バジル・ホール略傳)中村忠行
新刊紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・須藤利一
沖縄関係最近文献資料(2)

写真ー1998年10月18日うりずん 左から新城亘氏、①三島格・肥後考古学会会長、新城栄徳、佐藤善五郎氏(那覇市文化協会) 

1944年9月 『南島』第3輯 編集者・南島発行所(台北市表町1丁目11番地)発行所・台湾出版文化株式会社目次カット・川平朝申
□編集顧問・浅井恵倫、伊波普猷、移川子之蔵、上原景爾、川平朝令、志喜屋孝信、玉城尚秀、江崎梯三、小葉田淳、大島廣、金関丈夫、喜舎場永珣、島袋源一郎、島袋全発、豊川博雅、南風原朝保、東恩納寛惇、比嘉盛章、柳田国男、比嘉春潮、萬造寺龍、山中樵
□編集・須藤利一、川平朝申、木藤才蔵、中村忠行、松村一雄、三島格、宮良賢貞
□口絵ーロベルト・ゾーン號遭難救助の記念碑・海上から見た同碑のスケッチ・独逸皇帝より贈られた記念品の数々・西郷提督・保力庄の楊友旺・宮古島民遭害の山地・石門の険・墓碑・水野遵氏書簡
□江崎梯三「宮古島のドイツ商船遭難救助記念碑」/石本岩根「独帝謝恩記念品その他」、下地馨「宮古曲玉の研究」、山中樵(台湾総督府図書館長)「宮古島民の台湾遭害」、川平朝健(沖縄新報社員)「宮古の民謡について」、垣花良香「多良間島雑記」
□おもろさうし研究(第2回)・・・・・小葉田、金関、松村、木藤、川平、中村、比嘉、須藤、三島、小山

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前列左からー比嘉春潮、川平朝申、柳田国男

1947年9月7日 アーニパイル國際劇場落成

1947年9月5日 『うるま新報』「”國際劇場”那覇に設立ー那覇市牧志町に今回アーニーパイル國際劇場と称する劇場が新設されたが、鉄骨張りの堂々たる建物で収容人員三千五百人とされ9月7日1時より落成式を挙行、沖縄文化連盟主催で西洋音楽、古典舞踊を上演する筈」

1948年2月27日『うるま新報』「映画常設館那覇に出現ーアーニパイル國際劇場は今回映画常設館として娯楽に飢えた那覇っ子を喜ばすことになったが1月21日には文化部主催で盛大な開館式を挙行、当日は軍政府より・・」

□MG会副会長で米軍政府経済部の翻訳官の大城つる女史が、『宗教雑誌を出版したいという人がいるが許可できますか』と訪ねてきた。数日後、本人から出版申請書が出された。終戦直後糸満で壕から這い出した虚脱状態の同胞に希望と笑いをとりもどさせる働きをした与那城勇氏『ゴスペル』(福音)という神の国建設への啓蒙雑誌であり、聖書の解説や迷信の解明など政治色のない編集内容だったので私は喜んで許可した。この月刊誌も『月刊タイムス』と同じ謄写版刷り四六判の30頁、与那城氏が糸満教会に勤務している数年間、根気強く発行した。与那城氏はのち糸満教会を辞し、小禄で歯科医院を開業したが、『ゴスペル』の中jから抜粋した主張や随筆、解説など集めた単行本『琉球エデンの物語』を上梓した。

『ゴスペル』
■2012年8月8日、平和通りで我が古里・粟国島に縁故がある玉寄哲永氏と出会い話を聞いた。この与那城勇氏も粟国島と縁故がある。本人が『南歯の歩み』に記した経歴に「14才の時から洋服屋の丁稚、16才で大阪に渡り、回覧雑誌(貸本)の配達をしながら独力で学費を稼いで夜間中学に通っていた私の様な貧しい少年にとってはまさに希望の灯火そのものでありました。私はその頃から『救世軍』という名のキリスト教の一派に加わっていましたが、ゆくゆくは伝道者になろうと心に決めておりました。その計画遂行には独り立ちできる生活力を身につける事が先決だと考えたのですが、たまたま書生として住み込んでいた歯科医院の先生の影響もあって歯科の道を志したのでした。」として猛勉強して朝鮮総督府の歯科医師検定試験に合格した。


川平朝申の歴史書/下右の1959年7月発行の『今日の琉球』から始まった川平朝申「郷土の歩みー若き人々のための琉球歴史ー」が私に琉球史へ関心を持たせたもの。②では「人間のおこり」から始まっていた。

2012年9月3日 『沖縄タイムス』斎木喜美子「川平朝申の児童文学①」

川平朝申、須藤利一、比嘉盛章、宮良賢貞が編集係として1940年8月 『南島』第1輯が野田裕康(台北市兒玉町3ノ9野田書房内)から発行され須藤利一「アダムスの那覇見聞録」が載っている。1942年3月 『南島』第2輯には口絵に「バジル・ホール肖像」、中村忠行が
口絵解説(バジル・ホール略傳)。

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10月15日ー川平朝清さん「川平朝申と沖縄文化」見学/写真左から川島淳那覇市歴史博物館古文書解読員、川平朝清元東京沖縄県人会会長、新城栄徳