2011年4月ー那覇市歴史博物館で、外間政明氏から明治大正時代の医者・伊波普助の曾孫I氏を紹介された。職業は曽祖父の影響か看護師であった。伊波普助の孫・伊波普英氏(沖縄県立第二中学校18期1932年卒業、同期に大山一雄、嘉手納宗徳、黒島寛松)は大阪で琉球居酒屋を経営しておられ私は親しくしてもらったことがある。曾孫I氏はその息子さんであった。







伊波普助(1884年10月~1926年12月8日)
□よく琉文21を紹介しくれた「まーまでぃん歴史ガイド」が検索できなくなった。どうされたのであろうか。
伊波普猷には、異母兄弟がいた。弟、伊波普成(月城)がいて、新聞記者で牧師の言論人・思想家は皆の周知しているところだが。 伊波普助1884年10月、は那覇区西本町に父、普済、母は普猷・普成の呉氏まつると違う、
カメとの間に次に妹の尚子も生まれる。

1905年に沖縄県立中学校を17回生として卒業、同期に医者では神村吉助、大田為正、小波倉正栄、玉城文雄、山元惠孝、その他に島袋全発、宮城源幸、仲宗根玄 、安元實発らが居た。1906年、名古屋医学専門学校入学。1910年卒業、帰郷し北谷村の村医。1911年、饒平名病院医師。1915年、西本町で伊波外科院を開業している

妻は、1816年に北京で医学を学び、帰国後に王府詰めで尚王 の医者となり、精神病の一種・積瘋の治療法を修得。御膳本草を著した渡嘉敷通寛の娘であると言われている。 伊波普助の子のことは不明だが、その孫が、大阪で居酒屋「物外館 クイーン」をリニューアルオープンさせた。 そのときの案内文(琉文21のブログ)より、そのまま 掲載する。

ちゃーがんじゅうやみせーがーやー。 さわやかな薫風にさそわれ、益々ご清祥の事とお慶び申しあげます。
このつど、22年間皆様にご愛顧頂きました「スナッククィーン」が装いを新たに、琉球料理を主に沖縄のラフテーまでご賞味頂けて、ふるさとの安らぎを充分に満喫してくつろげる集いの場として「物外館クィーン」と、店名も新しくオープン致しました。22年という永い年月「スナッククィーン」を育て下さった多くのお客様から、大阪の中心地に、沖縄の酒と料理で、ふるさと沖縄を語る集いの場がほしいと、ご要望がございましたので、日ごろのお引き立てにお答え致しまして開店の運びとなりました。 従業員一同、ご厚情に感謝し、いつまでも皆様を明るくお迎えできる、雰囲気づくりに専念し頑張って参りたいと思いますので 「物外館クィーン」を今まで同様、ご商談、プライベートにご愛顧賜りますようお願い申し上げます。

昭和55年5月吉日 伊波普三郎(普英) 伊波豊子 郷土史料室まで併設したというから、なかなか思い入れがこもっている。 物外館 クイーン 大阪府大阪市北区曽根崎2-9-2 Tel:06-6361-7691 その店は現在もある。

伊波一郎に電話してみた。 「大阪に、物外館クィーンと言う店があるが知っている」 「それはと父がやっている店ですが、父は亡くなってから13年ぐらい経っているので、誰かが継いでいるのでしょうね」と 今年初めて、伊波普猷の物外忌に、そして尚寧の道散策に参加してくれた一郎は言葉少なめに語った。大阪に行く機会があれば寄ってみたいものです。(2010年11月13日12:00「大阪の中の琉球」)

伊波普助 本籍地・那覇区西本町5丁目17番地。

1905年、沖縄県立中学校を卒業、同期に医者では鉢嶺喜良(名古屋医専卒)、神村吉助(熊本医専卒)、大田為正、小波倉正栄(熊本医専卒)、玉城文雄(長崎医専卒)、山元惠孝(熊本医専卒)、その他に島袋全発(京大法学士)、宮城源幸、仲宗根玄愷(早稲田大卒)、安元實発(新報知社記者)、佐渡山安勇→琉文21、平井房助(名古屋高工卒、同校教授)らが居た。


1906年、名古屋医学専門学校入学。1910年卒業、帰郷し北谷村の村医。

1911年、饒平名病院-眼科ー饒平名紀順。産婦人科・外科・皮膚梅毒ー饒平名紀腆。内科・児科ー伊波普助。/長男普英生まれる。

1913年5月3日、次男普雄生まれる。(大阪の伊波普英氏はこの人の長男)
1915年、西本町で伊波外科院を開業。
1916年、長女ヨシ子生まれる。
1931年、元順病院ー医学士 金城紀光、仲地紀晃、浜松哲雄、島袋全信、仲地紀彦

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妹山城尚子(前列左)と伊波普助(後列中央)ー那覇市歴史博物館所蔵
妹尚子の夫・山城長秀は仙台高等工業学校(東北大学工学部)を卒業し、照屋宏の勧誘で台湾総督府鉄道局技師。照屋の所に居た尚子と大正元年頃結婚。

伊波普助は八重山の村医を経て、台湾で客死した。※名古屋大学の堀田慎一郎様、移動のとき誤ってコメントを消してしまいました。すみません。