2013年2月 戦争と平和を考える詩の会(〒143-0016 大田区大森北1-23-11 甲田方)『いのちの籠』第23号
○総選挙が終わってー(略)3、(ああ、おいしかった)この話は2,3年前の8月、NHKの特別番組で放映されたテニアン島での悲劇である。ご覧になった方も多くいると思う。テニアン島は1944年夏、米軍の上陸によって全員玉砕し、その後ヒロシマ・ナガサキに投下された原爆搭載機の発信基地となった。戦後私は現地を訪れた事があるだけに感慨は深いものがある。その話の内容というのは現地召集の一青年が米軍に追いつめられて両親と家族3人を銃殺した話である。その事を一番強く望んだのは彼の母親であった。米軍の手に掛る前に、息子のお前の手で死なせてくれと哀願されたのである。母と父を銃殺し、次は妹の蕃になった時、突然妹が「お兄ちゃん待って。お水が飲みたい。」と叫んだ。不憫に思った彼は一緒に水のある場所を探し当てた。水を飲み終えると妹は、「ああ、おいしかった。」と微笑むとさっさと父母の倒れた場所に戻って、兄の銃口の前で目をつぶったのである。引き金を引いてしまった彼に対して狂気の沙汰と言うのは簡単である。人間を狂気にしてしまう戦争は残酷である。私はこの情景を想像する度に年甲斐もなく涙が溢れてしまう。この兵士は後追い自決をする寸前に米兵の捕虜となり戦後を生き延びた。重い口を開いた放映3カ月後に彼は亡くなったとの事であるが、彼の生涯にについて私には語る言葉はないのである。私達の世代は戦争犠牲者の死を語る事が出来ない。その死を無駄・無益・無意味・非業・不条理と知る事になっても、そう言ってしまっては、死者が救われないという思いにどうしても囚われてしまうからである。(中村高春)

○あとがきー「自民」「民主」「維新」の「三極」は、「国防軍創設」「軍隊明記」「核兵器万歳」であった。改憲の輪の中の人々である。三極しか選択肢がないかのように連日テレビ新聞が煽った。不景気に殺気立つ様相は、やはり深刻な不況であった侵略戦争直前と似ている。滑稽なのはこのシステムを作ったのは自民党や民主党自身だということだ。同じ輪の中でアメリカ二大政党のように責任転嫁し合っているのである。ナチスそっくりに台頭した「維新」もあり、「大政翼賛会近し」だろうか。売れない、買えないのこんな時に消費税を増税したらどうなるか。格差社会ますますけっこうというのだろうか。ごく一部のトップ企業が潤ったら「経済は回復した」と言う連中だ。(略)

日本の一番の自慢は、平和を愛しどの国の人々とも文化交流し、世界政治の場で平和世論のイニシアチブをとるところ、となることを願っている。若い人たちに戦争の歴史を伝える良識教師が処分されているいま、いよいよ平和憲法にとって戦後最大の試練の時である。戦争と平和の問題は、私たちの詩文学の根幹である問題だ。(佐相憲一)

2012年6月 戦争と平和を考える詩の会『いのちの籠』第21号
□多喜百合子「イスラエル、イラン、日本(原発再稼働の裏事情)」
プルトニウム45トン。これは日本政府が公式発表している、日本の保有量である。世界第5位だ。長崎型原爆一個作るのに8キロのプルトニウムがあればよいということなので単純に計算しても5300発くらいの核兵器に転用できる。

私は3・11以後アメリカの文芸雑誌にフクシマの現状を伝える詩を時系列に従って意識的に発表している。するとあるアメリカ人から次のような指摘があった。「日本の原発の本来の目的は核抑止力のためである。近い将来核兵器を自力で作れるようにするためである。そこのところを突いていかないと今の日本政府はいかなることがあっても原発をとめることはないだろう」と。

また知人のイスラエル人医師は「イスラエルに限って言えば資源はないし、雨もふらないので発電のための燃料の石油等は周辺諸国からの輸入に頼っている。それでも電力事情は逼迫していて停電が頻繁におきる。しかし商業用原発は今までも、これからも一基もつくらないと国会で決議している。それは原発へのテロ攻撃等でおこる不測の事態をさけるためだ。破壊による核拡散という危険のリスクのほうがはるかに高いからだ」と言った。そこで私は「ではイスラエルは核兵器を持っていないのか」と正面から質問してみたが彼はそれには答えなかった。私には核兵器は自分たちでコントロールできるが原発の破壊による故障に対してはコントロール不能と聞こえた。

一方、イスラエルとなにかともめているイランは表向き核の平和利用の原発にこだわり続けている。あれだけ石油の出るイランが原発をほしがるのもやはり怪しい。実のところ核兵器の原料ほしさではないだろうか。」

(略)

イランが日本のことを「事実上の核保有国」といっているのもうなづける。核兵器転用可能の大量のプルトニウムをためこんだ結果いつでも周辺諸国に対し核抑止力を自力で行使できる準備が整ったのだから」

□堀場清子「迎合」
わたしには
どうにも腑におちないことがあった
ヒトラーの あのナチスが
最初は 合法的政党として登場したなんて

それが こんど
すっかり 納得がいった

橋下氏が大阪市長に当選して
上京したとき
上位のはずの国会議員が
だれもかれも
なんとまァ せいいっぱいの追従笑いで
競って揉み手し 出迎えたさま!

東京に二日滞在し
一日で八人の大臣に会ったというが
それはつまり
大臣の方が お待ち申しあげていたということだ

新しい勢力が台頭するとき
旧勢力は 地に額をこすりつけ
尻尾ふり
勢力の分け前にあずかろうと
擦り寄って
そしてすっぽり 頭から
呑み込まれるのだ

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1990年1月 堀場清子『イナグヤ ナナバチー沖縄女性史を探る』ドメス出版