開拓団の自決語り継ぐ
○思うに、恭三君が撃った銃弾で(東京開拓団)団長は最期を遂げたのであろう。日頃気丈であった団長は、一番可愛がっていた末っ子の恭三君の手で最期を全うしようと決意していたに違いない。
○ソ連兵の大部隊が現れて、鉄砲を打ち込んで来たのです。(略)男子の殆ど、40名位が連行されてから間もなく、小銃の音がパンパンと連続で聞こえましたから、多分、銃殺されたのだろうと推察します。私の主人もその中に入っていました。74歳の私の義父は、婦女子の中に混じっていましたが、見つけ出されて私達の目の前で銃殺されました。婦女子の4,50名は農家の豚小屋に押し込められて、若い婦人達は次々に連れ出され暴行されたらしく、泣き泣き戻ってくるのです。
○あとがき
歴史の虚実・真偽の解明は、大変困難である。真相は隠され埋められ、真実は消されて闇に葬られることが多いからである。日本はなぜ勝算のない戦争に踏み込んでいったのか、なぜもっと早く戦争終結に持ち込めなかったのか。極端な精神至上主義と余りにも人命軽視。日本人は、これほど犠牲を出さなければそして結局アメリカの力によらなければ、皇国史観から目が醒めないほど劣った国民なのか・・・。

2007年初夏 冨満ていこ『慟哭の大地・・・第十三次興安東京開拓団の最期』
□藤原作弥「開拓団(約800名)の大半は、今やこれまでーと集団自決を遂げた。8月17日、ていこさんの母も青酸カリをのんだ。生き残ったていこさん達を待っていたのは次に襲来してきた強盗団だった・・・」