みどり風通信に「異説・狭き門より入れ」が写真と共に載っている。 「みどり印刷」ここをクリック

ナザレのイエスとフーテンの寅
テープカッターの話から始まり、シーサー編、アーチの話と、とりとめも無く書き続けて来たが、その間、ヨーロッパの石造文化、街並みであったり、美しい橋であったり、雄大な水道橋などの多くの写真を目にして来た、又、YouTubeなどで、クラシックを聴いていると、バックに映るのは、その時代を象徴する石造建築の数々なのである。
 以前に、法隆寺の宮大工棟梁、西岡常一の世界に魅せられて、色々調べた事もあったが 石造物という硬質で計算し尽くされた、バロック音楽での通奏低音や対位法の様に人工的で 精緻な理詰めの美しさの世界に唖然としながらも動画や写真に見入っていたのだった。
 その中で、『狭き門』という現在の日本でもよく使われている言葉を思い出し、それに付いての想いを述べてみたいと思うようになった。 先ずをネットで検索してみた。 回答「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出す者は少ない。」 (マタイによる福音書7章13~14節) と出典である新約聖書の文言がある。 続いてあなたの人生を考えましょう。 例えば、毎日の中で「あぁ~疲れた、ちょっと遊ぼう。ちょっとネットで時間を潰そう」 というのと、将来の為に何か勉強しよう。どちらが広い道でしょうね? 人生毎日選択ですよね。 広い道か、狭い道か?人生たった一度きり、何が広い道になり、何が狭い道なのか?このように真剣に生きましょうね。 とあった。「狭き門より入れとは、事をなすときに、簡単な方法を選ぶより、困難な道を選ぶほうが、自分を鍛えるために役立つという考え」とある。 具体的には受験や就活は(もしかして婚活も?)より高みを目指すべし!その後には経済的 にも社会的にも恵まれた道が広がっている・・・・というものだろうし、現代日本人の多くはそう云う理解の方が一般的なのだと思う。

 そこで普段は馴染みの薄い「新約聖書」を紐解き、又、吾が愛する「フーテンの寅」を登場させて『狭き門』とは何か?『狭き門』の向こうにある神の(天の)御国(ミクニ)の事を考えてみたいと思った。キリスト教と聖書の大胆な概略(本論を前に) イエス・キリストと現在一般に呼ばれているが、イエスとは当時のありふれた個人の名前で ある。キリストは『油そそがれし者』つまり聖なる人という意味である。だから、イエスが生きていた時代には、ガリラヤ地方のナザレ村出身という事で「ナザレのイエス」と呼ばれていた。 (イエス・キリストとはキリスト教の成立後、後世の人々が呼んだ呼び名である。) イエスはキリスト教の創始者ではない、一貫してユダヤ教徒であり、ユダヤ教の刷新(律法主 義からの脱却)を求め、最後には殺された。

 キリスト教の始まりはイロイロな流れがあるが、イエスと一面識も無いパウロの組み立てた 教義をして『キリスト教』として成立した。イエス=神の地上に具現したものと考えるところがポイントで、イエスの神格化である。パウロは弁証法の使い手で(弁証法=哲学用語、他人との議論の技術)ソクラテスやプラトン などの同時代の地中海周辺の哲学者達の影響を多分に受けていると思う。新約聖書の彼の「書簡集(~への手紙)」は難解で理屈っぽく、粘りけが強く、イエスの「口伝」(譬え話が絶妙で 聴く人に最初にガツンと衝撃を与える)とは対照的である。(パウロはシプタヤーなのである。)パウロは「キリスト教」のオルガナイザーであると僕は思っている。

 新約聖書はイエスの言行録ではない。イエスの死後、ユダヤ教ナザレ派(イエスの教えに参 同する人々)によって語り継がれた物語を、それぞれのグループ(セクト?)の人々がそれぞれ に書き綴った「宗教文集」である。パウロによってキリスト教の教義が固まった後に、現在の形に編集され『聖書』と呼ばれた。イエスの死後400年後の事である。四っの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)、それに続いて「使徒行伝」そしてパウロの書いた数十の書簡集、最後に有名な「ヨハネの黙示録」がある。 四福音書のうち、マタイ、マルコ、ルカによる福音書は共観福音書と呼ばれ、ほぼ同じ事柄 が同じ順序で書かれている。

 

『狭き門』とはなにか?
 「狭き門より入れ」という言葉は先に上げたマタイ伝7章が有名であるが、(共観福音書)ルカの当該箇所の文脈から言えば、エルサレムの都を指差しながら「狭き門より入れ」と言われた事になる。エルサレムは周囲を堅固な城壁で囲まれた要塞都市で、城壁の門を通らなければ 中には入れない。現在は8つの城門が残っていて、そのうちの幾つかは旧・新約聖書の記述 にその名前が確認できる。正面は最も荘厳な門で「黄金門」と呼ばれている。一番狭い門は「糞門」(ふんもん)あるいは「不浄門(汚物門)」と呼ばれた門である。糞門の名称はネヘミア記(旧約)にも見られ、ゴミを焼却するために神殿からヒンノムの谷へと運ばれたことに因んだとされている。エルサレムの南側の一番標高の低い場所に位置し、当時は人やロバがやっと通れる程の小さな門で、位置も図の箇所ではないかと推測されている。ビザンチン時代に移築された写真(1940年代)が ある。

 糞門はエルサレムの都で最も低い地点である事は先にも述べたが、加えてその門の外には 右手にキデロンの谷、左手にヒンノムの谷という深い谷が広がっていて、ありとあらゆる汚物 が投げ捨てられ、その谷の周辺には重い皮膚病や心の病を病む人々が追いやられて生活していた。またエルサレムの城内でも汚物門のまわりの地域は、羊飼い、食肉業者、皮なめし職人など汚れた職業として定められ、これらの人達が専ら出入りする門としても糞門は用いられていたのだと思われる。この様な、この世の弱者が通る門が糞門(不浄門)である。こうした門はエルサレム以外でも 石垣で囲まれた街であれば必ずある。 自らの汚れなさや、正しさを誇る者達は、黄金門やヘロデ門を用いたであろうし、ローマの軍隊は宿舎のすぐそばのダマスコ門を用いている。一方、不浄門は貧しい者、汚れの烙印を押された者達が、腰をかがめ、小さくなってくぐる。「狭い門から入りなさい。しかし、その門は命(天の御国)に通じるのだ」と、イエスは言った。 「その門をあなた達は通りなさい、腰をかがめ、謙虚に、そして差別され尊厳を脅かされている人達と肩を並べて・・・・」世の誉れ、地位や名声、富に勝る価値にまだ気がつかないのか! と譬(たとえ)て言われたのかもしれない。

僕は、「男はつらいよ」シリーズの主人公、フーテンの寅が好きである。 {キリスト教」と「イエス・キリスト」の説明には多くの字数と情熱を必要とした。それに比較すると、どうしても(ボリューム)という点で付け足しのように見えるかもしれない、しかしそうではない。彼は日本人の心性(霊性ではない)に、そこはかとなく沁み通るような名セリフを数多く残している。(イエスも口伝だが、このセリフ、口上、口伝という話言葉のもつ言霊というか、何か秘密が隠されているには違いないが、現在の僕にはそれを語る力が足りない、又、寅次郎の妹、サクラの亭主、前田 吟演じる博は、草団子屋「とらや」と裏庭伝いで隣家の「朝日印刷」の職工(印刷機械工)であるところにも親しみを感じている。)

第39話「寅次郎物語」でサクラ・博夫婦の長男、青年期に達した満男と寅次郎のこんな会話 がある。

 満 男「人間は何の為に生きているのかな~?」
       ・・・しばしの沈黙・・・・・
 寅次郎「・・・・・何て言うかなぁあ~生まれてきてよかったなぁって思うことがいままでに何べんかあったろう?!そのために人間生きてんじゃねぇーか・・・」
というものだ。

ククヌトゥ 六十(ルクジュウ)59歳の僕は、死んだらどこに行くか?とか「天の御国」とかを考える事に興味は無い。
 しかし、寅次郎が言うように「あーっ 生まれてきてよかったなぁ 母ちゃんありがとう!」と思うことはよくある。そんな時僕は「俺は今、天の御国に居る」と呟くことにしている。僕の天の御国は、一月に数回、一回につき1~2分間、この世の現実にあるのだ。(我ながらいい考えだと思う。元気がでる。かのニーチェも言っている。喜び方が足りないと!)

最後に、最近感動し、又その歌風を正岡子規が絶賛したという橘 曙覧(たちばなのあけみ) の歌を三首紹介する。

   たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無(なか)りし花の咲ける見る時
   たのしみは妻子(めこ) むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時
   たのしみはとぼしきまゝに人集め酒飲め物を食へといふ時


想えば、ナザレのイエスも寅次郎も庶民(?)であった。
孤独であった。そしてロマンチストであった。

 2000年の時空を越えて僕の霊性にイエスは訴える「まだ気付かないのか!明日の事を思 い煩(わずら)うな!空の鳥を見ろ!」と・・・・・・・・。
最後までお読み下さり有難うございました。「フォルムシリーズ」は一応終了とします。とり残した「沖縄の階段」と「織柄の進化」は後日、単発、小品にて書こうと思います。
良い時代に生まれたと思いました、中世のヨーロツパでこんな文書を発表したら、多分、異端審問の後、火焙りの刑であったでしょう。皆さんも注意しましょう。

梅雨明け真近  H25.6.13