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那覇市歴史博物館□川平家は、尚王家と縁の深い伊江家と血縁関係があり、首里王府で三司官を勤める士族でした。また朝申の祖父川平親雲上朝彬は欽定工工四を編纂して現在にも伝来しています。このように、川平家は首里王府の政治家であると同時に、芸能に造詣の深い家柄でもありました。川平朝申(1909~1998年)は、戦前県立二中在学中に、家族と台湾に移住しました。戦後台湾で「新沖縄建設のお願い」を沖縄民政府に提出し、「演劇、舞踊、音楽、その他芸能、演劇場の建設を促進し、健全娯楽の提供をすること」を主張しました。沖縄に引き揚げた後に沖縄民政府文化部芸術課長に就任し、アーニーパイル国際劇場の建設などに尽力しました。その後、琉球放送局長・結核予防会沖縄支部長を歴任し、その間那覇市町界町名整理審議会会長などに就任しました。




1963年6月21日~23日「第一回知名士劇」で踊る川平朝申