『琉文手帖』(1999年5月)「沖縄近代文化年表」の1914年(大正3)の2月5日のところに、画家・水上泰生 平壌丸で来沖とある。

水上泰生 みなかみ-たいせい
1877-1951 大正-昭和時代の日本画家。
明治10年10月24日生まれ。寺崎広業(こうぎょう)に師事。大正3年「琉球の花」,4年「樺太の夏」が文展三等賞をうける。5年上京。昭和2年帝展委員。写実的な花鳥画を得意とした。昭和26年2月21日死去。73歳。福岡県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は泰生(やすお)。⇒コトバンク



大正3年・第八回文展 水上泰生「琉球の花」(六曲一双)

○1999年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』題1号 原田あゆみ「鎌倉芳太郎略年譜」(参考文献に『琉文手帖』「沖縄近代文化年表」もある)
□1914年 鎌倉芳太郎、第8回文展にて水上泰生の『琉球の花』(3等賞)を見る。1918年 鎌倉芳太郎、水上泰生を麻布本村町の邸宅に訪ねる。早速その日から宿泊し、製作の手伝いをすることになる。狩野派の彩色原理は水上泰生から学ぶ。