岩獅子の独白  


 俺、冬瓜(とうがん)を担ぐ岩獅子。日々、冬瓜を担ぎ部屋の片隅で置物としての生業(なりわい)を果たしています。冬瓜とはいえ陶製なので、重みが右の肩に食い込み、肩や腰が痛くてなかなか辛い仕事でもあります。仲間のシーサー達からもよく「一体君は何のために、冬瓜を担ぐ格好でいるのか。」と聞かれますが、実は、俺にもよく解らないのであります。

俺は、この世に生まれてずっとこのかた、この格好でいるので、特に疑問に思ったこともなく、日々を過ごしてきたが、長ずるにつれ世間を見まわして見ると、俺の格好が奇妙で他のシーサー達とは違うことに気ずいてきました。この頃は、門柱の上で夫婦(めおと)シーサーとして仲睦まじく存在している彼らや、屋根瓦の上で孤高の哲学者のように、虚空を睨む彼に較べると、俺の格好はいかにもぶざまではないのか?との疑念が湧いてきて心穏やかではいられないのであります。存在の不条理というか、他のものに変わりたいというか、
兎にも角にもこの重たい物を降ろして、自由になりたいという思いが強くなってきて、
毎日が面白く無いのであります。
このオリモノのように沈殿した妄念が、ある暑い夏の日に爆発しました。
「一体、俺が冬瓜(とうがん)を担ぐことに何の意味があるんですか?。ゴルゴダの丘のキリストでもあるまいし。」と悶々たる思いを、生みの親である陶芸家先生にぶつけました
普段は物言わぬ俺の発言に、先生は一瞬「ん?」という顔をなさいましたが、曰く、
「特に意味はない。冬瓜の石膏型があり、思い付きで冬瓜と手びねりの獅子とコラブレーションしただけだ。只、最初の構想では槍を持つ衛兵の如く、姿勢はもう少し立つていたのだが、冬瓜の重みでだんだんと倒れかけてきて、アレ、アレと思うままに手直しを重ねてきたのが今の形だよ。」と仕事の手を休めるでもなく素っ気なくこたえるのでした。
勢いこんでいた俺は
「はぁ」と拍子抜けするやら、俺がこれだけ懊悩しているのに「思い付きでつくったぁーあ?俺の存在は毛ほども軽いのか?。」「倒れかけたら真っ直ぐに直したらいいじゃないか。あんたのズボラのおかげで、俺の肩と腰はヒィヒィいってるよ。」
と情けなくもあり、怒りも込み上げてきて、冬瓜(とうがん)をバット替わりに殴ったろうかとも思いました。俺の顔は紅潮し、目は涙目になりながらも、なお、
「先生、俺、辛いんだよ。やりきれないんだよ。意味も解らないで冬瓜を担ぎ存在していることが。」と声を荒げ言い放ちました。

先生は今度は仕事の手を休め、俺の方をむき直り、真顔で俺の顔をじっと見て
「君の存在理由を、強いて言えばユーモラスな感じかな?。門柱のシーサーや屋根のシーサーを見てごらん。どこも似たり寄ったりで、誰も見向きもしないではないか。そこにくると冬瓜を担ぐ君の姿を見ると、誰でもまずは微笑むだろう。そこだよ。君が意識するとしないとに関わらず君の存在は、人に微笑みを与える。微笑みとはすなわち幸せのことだよ。仏様の教えでは、己を滅して他に幸せを与える者を菩薩と言うんだよ。尊いことだよ。冬瓜を担ぐ君の姿は尊い菩薩行を行じているんだよ。」
と言い、頭をなでてくれるのした。その瞬間、憑き物が落ちたように、俺の人生でも初めてのことだが、ワァと涙が滂沱の如くあふれでて、俺の中にもこんなに涙があったのかと思うくらいに泣きました。そして先生が偉い人にも思えてきました。

その日以来、解ったような解らないような気持ちですが、でも少し解ったような気がしています。これからは、俺が冬瓜(とうがん)を担ぐ姿をみて、人が微笑んでくれたら良しとしようかと思います。又、その日以来、冬瓜が軽くなったような気がしています。    合掌

追記  今度のシーサー会の模合では、みんなにこのことを語ってみようとおもいます。





2013年8月31日の沖縄県立博物館・美術館


2013年9月1日の沖縄県立博物館・美術館