大湾朝功は『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社1983年4月)に金城正篤氏が紹介しているので名前は知られている。


2013年9月15日『琉球新報』仲村顕「人ものがたりー大湾朝功」(イラスト・カカオマスさん)


○1990年2月  渡久山寛三『琉球処分ー探訪人・大湾朝功』新人物往来社

○2011年2月のブログ「海邦小国」にも大湾朝功(向建栄)は報告書の写真付(大湾朝功と久高盛政が警察へ提出した報告書の一部)で紹介されている。「大湾朝功(おおわん・ちょうこう)は琉球併合の際、日本側につき処分官・松田道之のスパイ(探訪(謀)人)となり、琉球人の同行を探る役割を果たした。置県後は生命の危険もあったため、松田が帰任する際に一度沖縄を離れたが、その後戻って県庁に勤めた。事典などでは生没不詳とされているが没年は確認できる。没年は明治40(1907)年4月。長男は朝忠。朝忠も県庁に勤めた。孫は朝義。」また同ブログには他の探訪人、「伊波普猷の叔父・許田普益(小樽金)ー琉球併合時に日本側について、探訪(謀)人(スパイ)となる。スパイとなった許田は生命の危険もあったことから、松田道之が帰任する際、同行して一時東京へ行き身を隠す。東京で滞在中は共慣義塾(英学)で学び、明治15(1882)年4月に沖縄に戻った。しかし、翌年の明治16(1883)年、腸チフスにかかって亡くなった。享年18歳。 久高盛政が日本側の探訪(謀)人として活動したことが確認できるが、ほかに首里士族の「仲吉、松島」も、探訪人となったという。」も紹介されている。