1990年9月 池宮正治『沖縄の遊行芸 チョンダラーとニンブチャー』ひるぎ社
○現在本島中部を中心にもてはやされているエイサー芸能からは想像もできないが、かつては全く念仏歌も多く保存されていたに違いない。『国頭村の今昔』(1970年)には「エイサーのもとのうた」として、若干風化しているが、比較的長い「継母念仏」が紹介されているし、『島尻郡誌』(1937年)にも、「やいさー歌」として、眞和志村(現那覇市)上間では「親の御恩」がうたわれていたし、南風原村の或字では「継母念仏」、真壁村(現糸満市)でh「親の御恩」など、比較的完全な念仏歌がうたわれていた。古くはこうした念仏歌を霊前で歌って供養するシ―リアスなものであったものが、「打ち晴れ」の部分だけが肥大化するにつれて、信仰もうすれ、念仏歌も漸次忘れられるようになったものと思われる。ただエイサーの念仏歌がチョンダラー(ニンブチャー)の影響と直ちに言えるかどうかは疑問で、チョンダラーたちも含めた形で本土の影響を受けたのかも知れない。しかし、また全く無縁であったとも思えない。エイサーの時に出るおどけはどうであろうか。万才系の芸能の名残りかも知れないのだ。またエイサーの時、瓶を棒でかついで各戸から酒をもらい歩くが、これも乞食と言われたニンブチャー(チュンダラー)の影響と見ることもできる。だがこれも古くさかのぼれば、単なる乞食ではなく、もともと念仏者である自分に喜捨させることにより、罪多き衆生を仏縁につなげ、善根をつませる積極的な意味があったと思われる。後にはいよいよ生活の手段として全くの乞食になったであろうが・・・・・。

チョンダラー(ニンブチャー)たちの祖先の念仏僧たちは、信仰の普及という熱意にもえて、幾代幾度にもわたって、海上の危険をおかし、南海の島々に渡来した。そして、彼らの芸能はさまざまな形で地方に伝播し、民衆の精神生活を支え、芸能を豊かにしてきた。王府が保護した、いわば官製の仏教に比べて、未公認の浄土教の、沖縄へ与えた影響はきわめて大きいと言わねばならぬ。














1984年 沖縄の雑誌『青い海』132号 池宮正治「新注釈・執心鐘入」



2014年2月28日 琉球新報ホール「第31回・東恩納寛惇賞贈呈式」
池宮先生の大学教授時代、私は大阪で色々な「短冊」など入手するとコピーを先生に送り解読してもらったりして面倒をかけたこともあり参加した。会場には旧知の知人が大勢みえた。第27回・東恩納寛惇賞受賞者の仲宗根将二氏から「宮古郷土史研究会会報」、先生孫弟子の綱川恵美さんから「<日記>史料からみる渡唐儀礼」を恵まれた。会場に榕樹書林・武石和実氏が居たので例のジュリに難しい字を当てているのは何故かと聞いた。「尾類」は差別だという。歴史的に差別は現にあって戦前の新聞などでは使われているのも歴史的にも事実だ。今の安倍政権やНHKと、仲井眞カジノチジも沖縄戦に慰安婦など「負の歴史」の隠蔽(秘密法)に繋がり危険だ。現在のНHKは何やら意図があるらしくどうでもいい安倍首相の発言を丁寧にニュースで報じているようだ。その結果、八重山では尖閣問題では右翼団体の幹部とも同席した石垣パクリ市長が再選された。見え透いたオベンチャラテレビより2,3の週刊誌が報じている「子が居ない安倍首相の嫁姑バトル」のほうが面白いし健康的な明るい話題である。





祝辞を述べる第一書房代表の村口彌生さん


安座間本流清風一扇会


粟国恭子さん、池宮正治氏、新城栄徳、崎原綾乃さん


伊佐眞一氏と田名眞之氏