写真・上原健次

瑠璃色の海恋う漁夫に似てわれも深き青さの肺にみちくる   喜納かつよ


1966年 『秋山庄太郎作品集』

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1985年4月ごろ。二科会写真部沖縄支部の写真講座講師・秋山庄太郎を囲んで。前列右から2人目が山田實、秋山庄太郎、喜納勝代、林忠彦、新垣典子。後列に津野力男、安里盛昭が居る。






 銀座・ルパンは、1928年(昭和3年)に開店致しました。 開店に当っては、里見弴・泉鏡花・菊池寛・久米正雄といった文豪の方々のご支援を頂きました。 そのお蔭で、永井荷風・直木三十五・武田麟太郎・川端康成・大佛次郎・林芙美子と言った文壇の方々、 藤島武二・藤田嗣治・有島生馬・安井曽太郎・岩田専太郎・東郷青児・岡本太郎と言った画壇の方々や、 古川緑波・小山内薫・宇野重吉・滝沢修などの演劇界の方々も常連でした。 開店当時は、「カフエー」という、女給のサービスでお酒を飲ませる洋風の酒場スタイルでした。 それを、現在のようなヤチダモのカウンター・バーに改装したのは、1936年(昭和11年)でした。 その時に、控室だった一階も改装してL形のカウンターを作り、営業を始めました。(略)
 戦後は、飲食営業緊急措置令で酒類の販売は出来ず、 1946年(昭和21年)1月にコーヒー店として再開、 1949年(昭和24年)5月に酒類が自由販売になるまでは、 様々な手立てで酒を仕入れて売るという時代が続きました。 その頃は、矢鱈な所で酒を飲むと何を飲まされるか判らないと言う時代でしたが、 ルパンなら安心、と作家や出版関係の方々を中心に、大勢のお客様が帰って来て下さいました。
 その中に織田作之助・坂口安吾・太宰治など無頼派と言われる作家の顔もあり、 また同じ時期に木村伊兵衛・濱谷浩・秋山庄太郎などの写真家の来店も多く、 その中の林忠彦氏が撮影した無頼派三氏の写真は特に有名になりました。 一階の方には地下とは別のお馴染みが出来て、1960年代にはサトウ・サンペイ・ 小松左京・星新一・後藤明生などの方々の顔が見られました。→昔噺「銀座・ルパン」 

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1978年7月 『太陽』№184 「特集・銀座モダン」平凡社〇1931年『オール讀物』「蒙御免文壇カフェー常連番附」 

 2012年3月21日、写真家の山田實さんのところに遊びにいった。偶然に朝日新聞社の1982年発行『昭和写真全仕事・林忠彦』を手にした。著者・林忠彦の署名入りである。中によく知られた太宰治の写真が載っている。山田さんの弟・昭氏の教え子の一人に太宰治の娘が居た。また山田さんは林忠彦色紙も所蔵している。

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二科会写真部沖縄支部、鹿児島市二科会 林忠彦氏を迎えて

□林忠彦 はやし-ただひこ
1918-1990 昭和時代の写真家。
大正7年3月5日生まれ。昭和12年上京,報道写真家の道にはいる。戦後,フリー。「小説新潮」に連載した文士のポートレートで地位をきずいた。のち秋山庄太郎(しょうたろう)らと二科会写真部を設立。平成2年12月18日死去。72歳。山口県出身。オリエンタル写真学校卒。写真集に「日本の作家」「日本の画家108人」など。(→コトバンク)